第14話 目的の場所へ

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「着きましたよ」


 夕陽が湖面を照らす。辺りは朱色の優しい光で包まれている。月がちょうど上がりはじめたところらしく、水面にその姿が映りこんでいた。


「この湖全体が聖水なの?」


 湖畔こはんに馬を止めて下りる。水際に来ると、ウラノスはアリスをポケットから出して地面にそっと置いた。


「えぇ。水の精霊の加護を受けている一番大きな湖であり、ネロプネブマ王国の魔力の源なんですよ。――その水を浴びれば、呪いは解けるはずです」

「わかったわ。浴びればいいのね」


 言われて、アリスは水辺に寄る。聖水と呼ばれているだけあり、水に近付けば近付くほど毛が逆立った。魔力を宿しているのがそれでわかる。

 覚悟を決めてアリスはそっと後ろ足から水に浸かる。ひんやりとした感触が伝わると同時に光の魔法陣が展開。真夏の陽射しのような強烈な光が小さな彼女を包み込む。やがて光は収束していき――。


「やった! 戻れたわ!」


 視界がいつもの見慣れた高さに戻る。先ほどまで前足だったのがちゃんと腕に変わっているのを確認。赤みを帯びた長い金髪が聖水に濡れて重たくなっている感覚もあって、人間の姿になっていることを改めて感じ取った。


「ありがとうございます! エマペトラ先生っ!」


 アリスは感謝を述べて微笑むが、ウラノスは顔を真っ赤にしたまま固まっていて反応がない。どうも様子がおかしい。


 ――ん?


 理由にすぐ思い当たらなかったアリスであったが、視線を動かしてやっと気づいた。


「ひゃあっ!」


 湖面に映った自分の姿を見て、アリスは素早く水の中に身体を沈める。長い手足や成長途中の細い身体を包み隠すはずのものが何もなかったのだ。


 ――と……当然よね……ネズミに変えられた時、自分の服の中にもれていたんだし……。ってか、見られた……


 全身真っ赤になりながら、アリスはウラノスに背を向けて落ち込む。男性に肌を見られるだなんて、十六になったばかりなのにとんだ災難である。


「す……すまない、アリス君……」


 気まずそうなウラノスの声。涙目のアリスは何も答えられない。


「……とりあえず、これを着なさい。君のローブです」


 沈黙に耐えられなかったのだろう。ウラノスは馬に戻って荷物を探りローブを出すと、アリスの頭上に差し出した。


「ど……どうも」


 背を向けたままアリスは受け取ると、ウラノスから手渡されたローブをおずおずと羽織はおる。

 渡されたローブは彼女の身体に合う大きさだった。てっきりウラノスの私物だと思っていたのにちょうどぴったりなので、アリスは不思議に感じる。前をきっちりと合わせると、ウラノスに向き直った。


「これ……」

「大きさは問題なさそうですね」


 ウラノスはアリスの全身を見て優しく微笑む。どこか満足げだ。


「本来であれば、王宮入りの日にお渡しするはずだったのですが、遅れてしまいましたね」


 言われてよく見ると、このローブがただのローブではないことに気づく。


 ――水の精霊の紋章入りってことは……。


 王宮魔導師であることを示すローブをアリスは着ていたのだ。


「これっ……あたしの……?」


 感情がたかぶってしまって、言葉をうまくつむげない。ついローブのいろいろな場所を見てしまう。身体にとても馴染なじんでいた。


「君のローブだと説明したはずですが?」


 やっと実感が湧いてきた。ウラノスに見習い王宮魔導師になることを認めてもらえたということなのだ。


「嬉しいですっ! ありがとうございますっ!」


 感きわまって、アリスは勢いよくウラノスに抱きついた。


「うっ……アリス君、傷がっ……」


 ウラノスのうめきに、アリスははっとしてすぐさま離れる。彼が脇腹に負った怪我けがのことをすっかり忘れていたのだ。


「す、すみませんっ! お怪我は大丈夫なんですか?」


 かれたローブはそのままで血液がべったりと付着している。だが、血はすっかり止まっているようで、アリスはちょっとだけ安堵あんどした。


「えぇ、君のおかげで大事には至らずに済みました。あの状況で魔法を二つ同時にむのは困難でしたからね。感謝しております」


 ウラノスは眼鏡の位置を直しつつ、アリスから視線をそらした。


「良かった。治癒魔法、あたし苦手だったからうまくできているか気になっていたんです」


 魔法が正常に発動するかは不安だった。しかしそれ以上にウラノスの身が心配だった。必死だったのだ。

 彼は小さく笑う。


「アリス君は、火炎魔法以外はほとんど素人しろうとですからね――でも、君ならやってくれると信じていましたよ。あのとき、幼くて非力だったはずの君が、私のために精一杯尽くしてくれたのをずっと覚えていましたから」

「あのとき……?」


 少しずつ引き出されていく記憶。幼い日々を過ごした故郷での思い出。


 ――まさか、本当に?


 驚きと戸惑いで、何から話したらいいのかわからなくて言いよどむ。思考がごちゃごちゃしてなかなかまとまらない。

 ウラノスは寂しげな表情を浮かべた。


「まだ思い出していただけませんか?」


 問いながら、彼は眼鏡を外して真っ直ぐ見つめてきた。

 太陽の輝きのような髪、よく晴れて澄み切った空のような瞳。


『もし王都を訪れることがあるなら、王宮にお越しください。必ずこのお礼を致します。ですから、私の名前を覚えていてください。私の名前は――ウラノス=エマペトラです』


 記憶がしっかりと繋がった。

 フィロが何を伝えようとしていたのか、ここにきてきちんと理解できた。フィロは、アリスとウラノスの接点を知っているのだ。

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