第12話 彼女の代わりなんていくらでもいる


 アリスは目の前で起きた出来事に驚き、思わず叫ぶ。投擲とうてきされた剣が脇腹をかすめ、着ていたローブをいて朱をにじませていく。ウラノスは片膝をついて、傷口に手を当てた。手袋をはめた指先が赤く濡れる。


 ――やだ……あたしのせいで先生が怪我をしちゃうなんてっ!


「らしくありませんよ、ウラノス様。彼女の代わりなんていくらでもいるではありませんか」


 ロディアの声が冷酷に響く。


「それに、あなた様はネズミがお嫌いだったはず。ネズミが媒介する病で母親を亡くした影響でしたかしら? 無理しなくてもよろしいんですのよ?」


 ――だから、不機嫌だったの?


 アリスは王宮に連れて来られた日のことを思い出す。


 ずっといら立っていた理由がそれだというなら、アリスだって理解できる。彼女にも苦手なものはあるし、嫌なものを前にして落ち着いてはいられないのもうなずけるからだ。


 ――それに。


 宿屋で聞いてしまった寝言が脳裏をよぎる。彼が過去の夢を見ていたのは、憎い存在を目の前にして、思い出したくない記憶が呼び起こされてしまったからなのだろう。


 ――先生は、ネズミなんて見たくなかったのに、あたしをこうして連れてきてくれた。そんな想いを秘めていたにもかかわらず、投げ出さずに接してくれたんだ……フィロさんに押し付けることもできたはずなのに。


 胸の奥がうずく。


「私が無理していると? 笑わせないでください」


 ウラノスは鼻で小さく笑い、台詞を続ける。


「アリス君はどんな姿になろうとアリス君ですよ。ネズミだろうと他の何かになろうとも、私は彼女を見分けることができます。何故なら、彼女の代わりは存在しないのですから」


 傷口に手を当てて治癒魔法をかけようとしているが、痛みがひどくて集中できないらしい。集まりつつある魔力が途中で散ってしまい、魔法が発動しないのだ。


 ――エマペトラ先生……。


 ウラノスの言葉に鼓動が早くなる。そしてアリスはこのまままもられているだけではいけないと感じていた。王宮魔導師を目指すなら、助けたいと思う誰かに手を差し伸べることができなけばいけないはずだから。

 アリスはウラノスを助けるために、集中を高める。


「アリスさんに何ができるというのです? あなた様の野望を叶えるのはこのわたくし以外に存在しませんわ!」


 じりっという地面を削る音。ロディアは力強く宣言すると、足を一歩踏み出す。


「わたくし、知っていますのよ。あなた様が王位継承権を奪われた血筋の末裔まつえいであることをっ! だからこそ、力を示して国に認めさせようとしているのだと!」


 ――なっ……え?


 ロディアの話を聞いて、アリスの集中が途切れる。

 頬に汗を流しながら、ウラノスは口の端を上げて笑んだ。


「――よく調べましたね」

「呪術師の基本ですわ」


 当然だと言わんばかりの口調でロディアは返す。

 呪術は過去の因縁を利用して発動させる。効率的に成功させるためには、呪う相手の情報が欠かせない。つまり、ロディアは魔導師であるまえに、そういう身辺調査を得意としているのである。


「確かに私の家は、さかのぼれば現クリスタロス陛下の先祖と同じくしております」


 苦しげに息を吐き出し、ウラノスは続ける。


「エマペトラ家から王位継承権がなくなったのは祖父の代。戦争による財政難を契機に王族の縮小を求められたため、遠縁とおえんの血筋から切り捨てられたと聞いております」


 ――もし、その出来事がなかったら、彼は王子様だったってこと?


 淡々とウラノスの口から語られる彼の背景。アリスは驚いたが、集中力を切らせるわけにはいかない。彼が自分の生い立ちに関わる話をしているのが時間稼ぎであるのは察していた。だから、なおさらこの魔法は成功させなくてはいけない。


「私が王宮魔導師採用試験を受けた理由が、少しでも王族に近付きたい気持ちがあったからであることは認めましょう」

「ほら、わたくしが予想した通りではありませんか」


 得意気な顔をしているロディアに、ウラノスは続ける。


「……ですが、私はそんな個人的な気持ちだけでこの職に就いたわけではありません。私はただ、この国の人間を護りたいだけ。王位などなくても国民を護れると証明したいだけ。そのためには国の後ろ盾が必要です。だから私は上を目指す――そういうことなんですよ」


 苦痛で顔が歪む。アリスはウラノスのためにつむいだ魔力をそこでやっと解放した。


「――大地と海の使者よ、この者をいやす力を分け与えたまえ」


 アリスの苦手な治癒魔法。彼女がそれを発動させるためには予備動作や魔法陣が必要不可欠で、今のネズミの姿ではいずれも満足には使えない。だが、真剣な気持ちが伝わったのだろう。小さいながらも魔法式で作られた光の円陣が展開し、ウラノスの傷口を微弱な光が照らした。裂けた皮膚がゆっくりと合わさっていく。


 ――他の人がやるよりも効果は薄いかもしれないけど、やらないよりはマシなはず。


 期待していたよりも魔法の継続時間が短かったのを見てアリスは落ち込む。

 そんな彼女の頭をウラノスはそっと指先で撫でた。声には出ていなかったが、その仕草しぐさだけで感謝の気持ちが伝わってくる。


「――ロディア君は自分の力を国に使って欲しいから王宮魔導師になりたいと言いましたね」


 ウラノスはアリスの顔を見ずに立ち上がり、ロディアに向き合う。


「えぇ、そうよ。わたくしの力を効率よく使うことができるのは国家以外にありえないと思いますもの」

「しかしそれは君自身が自分の力を誇示こじしたいからにすぎません」


 指摘されて、ロディアの顔に不機嫌な色が濃く表れる。


「アリス君の答えはこうでした。――誤った力の使い方をしないために王宮魔導師になりたい、と」


 ――覚えてくれていたんだ……。


 王宮魔導師採用試験の面接のとき、ウラノスの問いにアリスは飾ることも偽ることもせず、ありのままの気持ちをぶつけた。他の受験者たちがこころざしの高さをつらつらと述べて主張する中、一人だけ個人的な理由を告げたのには恥ずかしさはあったが、それでも伝えておきたいことを言えたのは誇りに思っている。だから、悪目立ちで印象に残っていたのだとしても素直に嬉しい。


「よく、そんな心構えで王宮魔導師採用試験の最終選考に残ったものですわね」


 ふん、と鼻で笑うロディア。彼女がそう言いたくなる気持ちはアリスにも少しだけわかる。

 フィロに勧められ、魔法の勉強を続けるために試験を受けたのは事実だ。とはいえ、一般的には王宮魔導師は王国に所属する機関であり、私学のためではなく、国に尽くすために存在している。心構えがなっていないという指摘であれば、真っ当な意見だろう。


 ――先生はどう返すのだろう。


 ウラノスの性格や言動の傾向から考えると、ロディアに同調してもおかしくはないはずだ。アリスは不安な気持ちを抱えて耳を澄ます。

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