第7話 忘れられていたわけではなくて
「――なるほどね。さすが呪術師は人の嫌なところを的確についてくるねぇ」
最初にいたテーブルに戻してもらったアリスは、フィロの台詞を聞いてうなだれる。
「どうも簡単には戻れないみたいで、エマペトラ先生は聖水を取りに行くための準備をしてくれているんです」
「実に先生らしい判断だね。あそこは滅多に人も寄らないし、内密に済ませようってことかな。誰かを頼るのも好きじゃないしね、あの人」
口振りからすると、フィロはウラノスのことをよく知っているようだ。『エマペトラ先生』と呼んでいることも気にかかる。
「あの……フィロさんとエマペトラ先生はどんな関係なんでしょう?」
首をかしげて問うと、彼はアリスの小さな頭を人差し指で撫でながら答えた。
「俺の師匠だよ。元は別の先生に師事していたんだけど、病気で引退しちゃってさ。俺、問題児扱いされてて引き受け手がいなかったんだ。そんで、師範代になったばかりのエマペトラ先生が面倒を見てくれることになったわけ。エマペトラ先生についてからはもう四年くらいかな。つまり俺はアリスちゃんの兄弟子ってことになるね」
親指以外の四本の指を立てて年数を示し、フィロは楽しげに告げた。
「――って、フィロさんは何歳なんですか?」
王宮魔導師採用試験は十五になる年に受験できる。王宮入りは十六になってからのはずだ。最速で試験を突破したのだとしても二十歳を超えているのだが、見た目は少年のように愛らしい。
「二十一になるかな? 先生とは三つしか違わないはずだけど、俺は才能もないからこんなもんさ。そもそも肩書きに興味ないし」
フィロはあっけらかんと言う。
――本当に才能がないと言えるのかしら?
王宮入りから一年間は試用期間であり、その間に辞める者も多いと聞く。ウラノスも「今年こそは」と告げていたのだから、彼の元を去った弟子も多いことだろう。
「先生は出世にこだわっているけど、俺はここで生活できれば充分だからねぇ。エマペトラ先生の下で学ぶつもりなら、その辺のことは覚悟しておいたほうがいいよ」
「さっき説教されたばかりですよ。それで、あたし、エマペトラ先生を必ず師範にすると約束しました」
「ふふっ、それは面白いね。応援するよ」
楽しげに返された。しかし、アリスが求めているのはそういうことではない。
「なんで他人ごとなんですか? フィロさんが勧めてくれたからここにいるのに」
三年かけて魔法の基礎がひと通り身についたとき、もっと魔法を学びたいなら試験を受けるといいと勧めたのは目の前にいる彼なのだ。親身になれとは言わないが、この状況を
不満げに告げると、フィロは悪い悪いと言いながら手を振った。
「そうだったね。あんたなら合格間違いなしだと思っていたから、驚きも感慨もないんだけど」
「フィロさんの指導のおかげだと思います。ありがとうございました」
アリスはぺこりと頭を下げる。直接お礼を言う機会を得られたのは
すると、フィロはむずかゆそうな顔をした。
「いやいや、礼には及ばないよ。ってか、頼まれなくてもそうすることになっていたし」
妙な台詞が返ってくる。
「……へ?」
フィロの台詞の意味がよくわからない。きょとんとして首をかしげると、彼はしまったと言いたげな顔をした。
「あーっ、もしかして、言わなくてもいいことを言っちゃってる、俺?」
「頼まれなくてもそうしたって、どういう意味ですか?」
アリスの問いに、フィロは小さく頭を掻く。
「まぁ、いっか。時効間近だし」
そう呟くと、彼は意味深な微笑みを浮かべて続けた。
「多分、アリスちゃんが元の姿に戻る頃にはわかると思うよ? 一つ教えられるとしたら、あんたがエマペトラ先生の弟子になったのも、俺がエマペトラ先生の弟子であるのも、偶然じゃないってことくらいかな。まぁ、頭の片隅で考えてみてよ」
告げて、彼はアリスの頭をちょんと軽くつつく。
「そろそろ俺は行くね。ここで道草をくっているのが知られたら、ありがたい小言を延々と聞かされることになるだろうし。荷物、届けに来たとだけ伝えておいて」
「は、はい」
「じゃあ、またね。健闘を祈るよ」
ひらひらと手を振ると、フィロは音を立てないようにひっそりと出て行った。
部屋で再び一人ぼっちになってしまったアリスだったが、孤独な時間は短かった。
すっと扉が開くと、太陽の光に似た髪がすぐに目に入った。ウラノスだ。彼は部屋のランプに明かりを
「話をつけてきました。
「五日……」
長いとも短いとも言える期間だ。聖水が湧くとされる湖は王都の北側、王国のほぼ中心に存在し、その周辺は聖なる土地として一般人は理由なく入れない。王都からは馬車で一晩かけて向かうような場所だ。
「アリス君の母親が倒れたとの情報を得て、様子を見に戻ったのだということにしてあります。私はそんなアリス君を迎えに王宮を離れるという筋書きです。任命式は五日後なので、それまでに戻ってくることができなければ、アリス君は辞退扱いになります。――どういう状況なのか、おわかりですよね?」
「期限は任命式がはじまる前日までってことですね。お手数おかけして申し訳ないです」
何の打ち合わせもなしにウラノスは出て行ったのだが、きちんとそれらしい言い訳を使って上官を説得してきてくれたらしかった。本当に頼りになる人だとアリスは思うと同時に、自分が情けなくて仕方がない。凹みそうになる気持ちを別のことに意識を向けて奮い立たせる。
「そういえば、あたしの荷物、回収してくれたんですね。さっき、フィロさんがこの部屋まで届けてくれたんですよ」
鼻先を執務机に向けて告げると、ウラノスはそちらを見て小さくため息をついた。
「フィロが目ざとくあれを見つけなければ、この事態に気づかないところでした。礼なら彼にしてやりなさい。――ところで、彼は他に何か言っていましたか?」
不思議な問いだ。アリスは思い返してみるが、ウラノスに伝えるべきことは特にないように感じられる。
「……いえ、特には」
小さく首を振って答えると、ウラノスは腕を組んで「そうですか」とだけ言った。
「そうそう。アリス君はそのテーブルから出ないようにしてくださいね。この部屋には猫がいます。テーブルにはお茶の邪魔をされないために猫除けのまじないが施してあるので一応安全なはずですから」
「はうっ」
――もっと早く言って欲しかった……。
部屋の中に感じられた気配は猫だったのだ。アリスは血の気が引いたのを感じた。
「では、私は雑務がありますので。用事があれば大声で呼んでくださいね」
告げて、ウラノスは執務机に向かう。引き出しから雑記帳を取り出すと、何かをつけはじめた。
――仕事、なのかな?
ウラノスは本棚から本を取り出してはあれこれ確認し、雑記帳に書き留めているようだ。
――あの雑記帳、あたしが使っているのに似ているなぁ……。
そんな様子を見ているうちにだんだんと眠くなり、アリスはそのまま夢の世界に落ちていった。
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