第5話 呪いを解く方法


 アリスは彼がこの事態を解決してくれる存在であることに気づき、背筋を伸ばす。


「し、失礼いたしました! 咄嗟とっさのことに取り乱しておりまして、申し訳ありません」

「何を今さら」


 心を入れ替えて謝るも、ウラノスの態度は冷たい。それでもアリスはめげずに続ける。


「もし、王宮魔導師見習いの権利がこのあたしにまだあるなら、必ず立派な魔導師になってあなたを師範にしてみせます! ですから、この呪いを解いてはいただけませんでしょうか?」

「そんな情けないドブネズミの姿になってどうしようもない君が、私を師範にする、と?」


 言って鼻で笑う。

 しかし、アリスは必死に訴えた。


「しますよっ! だってあなた言ったじゃないですか。優秀な人材を自分の目で選んだんだって! あたしを信じろとは言わない、あなた自身の目を信じてくれれば充分よっ!」

「ほう……」


 感心するかのような呟き。そして口の端を笑みの形に歪めた。


「――良いでしょう。その意気込みだけは買います」


 だけ、の部分を強調して言うと、眼鏡を外して片目を細めて続ける。


「しかし、ドブネズミの姿でそれを言われても格好がつきませんけどね」


 くっくっと喉を鳴らしてウラノスは笑いだす。

 そんな彼に対しアリスは頬を膨らませた。文句は言いたいが、ここは黙っているのが得策だ。


「――さ、からかうのもこの辺でやめるとしますか」


 ――か……からかうって……っ!


 噛み付いてやりたい衝動は、しかしウラノスが見せた柔らかな微笑みで消し飛んでしまった。

 眼鏡を外している影響なのだろうか。冷たさがない美麗な顔は、心を奪うに充分な魅力を持っていたのだ。


 ――物語に出てくる王子様みたい……


 誰かを見てうっとりしたのは初めてのような気がしたが、胸の奥で何かが引っかかった。


 ――あれ? 前にもこの感覚はあったような……?


 ウラノスは美男子と言われる人を集めたとしても、おそらく上位に入るだろう美貌びぼうの持ち主だ。人を近付けまいとするような冷たい気配さえなければ、彼の周りには女の子が群れているに違いない。そんな相手にうっとりするのは女の子だから仕方がないと感じるアリスではあったのだが――。


 ――うっとりするくらいの男に出会ったことがあるってこと? いつの話よ、それ?


 交友関係が極端に狭いというのに、全く思い至らない。不思議なこともあるものだ。


「改めて自己紹介をしておきましょう。ドブネズミ相手と言うのも滑稽こっけいですが」


 ――一言多いっ!


 一瞬で現実に戻ってきた。むっとしているアリスに対し、彼は王宮にいる人間に相応しい所作で応じる。


「私は魔法部隊所属のウラノス=エマペトラです。魔導師の育成が現在の主な仕事で、位は師範代。今日からアリス=ルヴィニの指導教官になる予定でした」


「指導をはじめる前から過去にしないでよっ! ――一応、この姿で失礼しますが、あたしはアリス=ルヴィニ。今日からお世話になります」


 アリスは自分の指導教官であるウラノスに頭を下げる。


「……って、人間に戻してもらってからの方が良かったんですけど……」


 不満げに呟くと、ウラノスはクククと小さく笑う。その声を聞いて、ウラノスの意図を察した。


「なっ! わ、わざとねっ!」

「こんな事態は滅多にありませんからね。ドブネズミで王宮入りだなんて、後世まで残る笑い話だ」


 ――つくづく失礼なっ!


「しかし、それは他人の話なら、です」


 ウラノスはアリスを見下ろした。冬空のようなピンと張りつめた空気が辺りを包む。


「自分の選んだ生徒がそんな状態でやって来たとなれば、私の経歴にも傷がつく。早急に対処すべき事象だ。――従って、今回は特別に呪いを解いて差しあげましょう。証拠隠滅も兼ねて」


 ――結局自分のためかいっ!


 動機はさておき、人間に戻れるかもしれないこの機を、ウラノスの機嫌を損ねることで失わないように沈黙を守る。文句はそのあとだ。

 一方、ウラノスは魔法を使うために両目を閉じて意識を集中させはじめていた。周囲に幾何学模様で構成された複雑な魔法式が浮かび、魔力が編まれてゆく。


 ――すごい……


 肌がピリピリと痛む。それはウラノスの魔力に起因する現象だ。


「――月の使者よ、この者にかけられし呪いを取り除きたまえ」


 紡がれた呪文に呼応して、魔法式が一つの円陣を引き出す。高位の浄化魔法だ。


 アリスの足下に展開された美しい光の円陣は――しかしすぐさま闇の炎によって打ち消された。


「え……?」

「あれ?」


 予期せぬ事態に、二人してほうけた声を出す。何が起きたのか理解できない――いや、受け入れたくなかったのだ。


「あの……、エマペトラ先生……?」


 説明を求めて声をかけると、低い笑い声になって返ってきた。見れば、かけ直された眼鏡越しに映るウラノスの目の奥に不気味な光が宿っている。


「――どうやら彼女もまた優秀な魔導師のようですね」

「へ?」


 アリスは首をかしげる。


「私の魔法が効かないように細工さいくがされていたんですよ――君が私に助けを求めると予想していたのでしょう」

「ええっ!? じゃ……じゃあ、あたし、戻れないのっ!?」

「いえ、方法なら他にあります」


 その一言にアリスはほっと胸を撫で下ろす。


「他の魔導師に依頼するのが最も手っ取り早いですが、それは私の沽券こけんにかかわるので却下します」

「ちょっ……!」

「なので、手間にはなりますが、聖水を取りに行きましょう」


 ――なんだ……ちゃんと方法はあるんじゃない。


 アリスが安心していると、不穏な笑い声が耳に入る。ウラノスに意識を向けると、彼の凄みが増した。青い瞳がいっそう冷え冷えと光る。


「これは私に対するロディア君の挑戦だ。この程度のことでは決めた方針を変えることなどないのだと示す必要がありそうですね」


 ――この人は絶対敵に回しちゃいけない!!


 イライラした感情を微塵みじんも隠さずに告げるウラノスはなかなかに迫力があった。


「――都合をつけてきます。君はこの部屋で待っていなさい。くれぐれも、部屋の物をいじらぬように」


 言って、ウラノスはローブをひるがえしてさっさと部屋を出てしまう。

 一人になると、少しだけ客観的に出来事を振り返る余裕が出てきた。人間に戻る手立てが見つかったお陰だろう。


 ――あんな喋り方しかしないけど、結果からみれば案外と面倒見のよい教官なんじゃない?


 全体を俯瞰ふかんして、アリスはふとそんなふうに感じた。

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