第4話 ようこそ王宮へ

 まもなく、周囲を森で囲まれた広大な土地と、そこにそびえたつ立派な建造物――クリスタロス宮殿が見えてくる。アリスが目指していた王宮だ。

 夕陽で赤く照らされている宮殿やその周辺の景観は美しく、地上から見上げるものとは雰囲気が異なっている。空を飛ぶための魔法を扱えないアリスにとって、貴重な体験だ。


 ――まさか空から王宮に入るとはね……


 宮殿の側に建っている背の低い屋敷群。その中にある一つの部屋に窓から侵入すると、鷹はアリスを解放した。どうやらこの部屋は彼の私室らしい。

 窓にはたっぷりと装飾が施されたカーテンが掛かっている。部屋の奥には天蓋てんがいつきの大きな寝台。窓から明かりを取り込める場所には執務用と思われる大きな机が置かれ、廊下側には背の高い本棚が並ぶ。収まっている書物の背表紙はどれもぼろぼろで使い込まれている様子が見て取れた。毛足が長い真っ青な絨毯じゅうたんで床は敷き詰められ、調度品も青い色が多く使われている。統一感のある素敵な部屋だ。

 アリスが下ろされたのは窓からの景色を臨めるように置かれた木製テーブルの上らしかった。椅子が二脚あるのを見ると、来客があったときなどにここでお茶でもするのだろう。

 部屋の様子を見ていたアリスに、ウラノスは告げる。


「全く……どこで道草をくっているかと思えば、一体なにをやっているのですか?」


 トゲトゲした冷たい口調で言い放つと、鷹は発光し姿を変えた。

 太陽と同じ輝きを持つさらさらの髪、眼鏡を通して見えるのは空と同じ色の瞳。羽織っている質の良いローブは、水の精霊を模したネロプネブマ王国の紋章入りである。彼は整った顔に苛立ちの色を濃く乗せて、アリスを見下ろした。


「えっと……ですね……」


 萎縮いしゅくしてしまって言葉が出て来ない。


「初日に遅刻という事態がどういうことなのか、わかっていらっしゃるでしょうね?」


 怒鳴られているわけではないが、落ち着いた声で責められるとじんわりと肝が冷えてくる。


「は、はいっ! もちろんですっ!!」

「ならば、さっさと術を解いて土下座して謝るくらいしたらいかがです?」


 腕を組んだ高圧的な態度で、なかなか手厳しい提案をしてくる人だ。

 アリスは迫力に負けて身を縮めると、ウラノスを見上げた。申し訳ない気持ちを込めて。


「それが……望んでこの姿になったわけじゃありませんでして……」

「見習いといえど、そのくらいできなくてどうするのです?」


 ギロリと向けられる冷やかな視線。それを直視し続ける気力が保たなくて、アリスは顔をそらす。


「う……あたしが変身魔法を苦手にしているのを知っているくせに……」


 呟きをしっかりと捉えられてしまったらしい。彼の方からいっそう冷たくなった視線を感じる。


「ほう……口答えしますか? 君の直属の上司である私の前で」


 アリスはその台詞を聞いて口をあんぐりと開けた。


 ――よ、よりにもよってこの人が先生っ!


 面接のとき、アリスは確かに彼ができる人だとは思った。信念をしっかり持った指導者に足る人物に見えたからだ。

 実際、二十代前半の年齢でありながら王宮魔導師の師範代を務めているのである。選考中に出会った師範や師範代の肩書きを持つ人の中では一番の若手だ。それ相当の能力があるに違いない。

 しかしそれは遠く憧れる分には良くても、身近で接するとなると話は変わる。彼は自他ともに厳しい性格で少々説教好きなのだ。これは他の受験者たちから聞こえてきた意見とも一致しているので、アリスに対してというわけではないだろう。


「アリス君、私は情けないですよ。自分で君を選んだことを恨みますね。これほど出来の悪い生徒だとは思いませんでした。君にはがっかりです」


 ――そ……そこまで言うっ!?


 大仰おおぎょうに額を押さえて言うウラノスの前で、アリスはむっとする気持ちをなんとかたえる。口にしたら何倍になって返ってくるかわかったものではない。


「今年こそは心穏やかに自己紹介をして、和やかな気持ちで指導をはじめることができると期待していたんですよ?」

「え……?」


 トゲトゲした口調は相変わらずだったが、思いがけない台詞にアリスは鼓動こどうが跳ねる。


「無事に一人前の魔導師に育てることができたら師範代を卒業できると聞いていたので、優秀な人材を選んだはずだったんですがね! この私の落胆らくたんに対し、どのような責任を取ってくれるのですか?」

「って、結局自分の出世のためじゃないっ!」


 損したと言わんばかりにアリスは叫ぶ。


 ――なによなによ。こっちこそがっかりよ! もっとこころざしが高い人だと思ったのに!


 アリスの文句に対し、ウラノスは眼鏡の位置を直して続ける。


「当然ですよ。出世以外に何があるのです?」

「国のためとか、陛下のためとか、国民のためとか、いろいろあるじゃない!」

「そのためにも地位や名誉は必要ですよ? やりたいことをやれる身分になるためには、手段を選んではいけません」


 ――な、なんか真っ当なことを言っているように聞こえる……


 心が動かされそうになるが、アリスは最後とばかりに言ってやる。


「じゃ、じゃあ、師範代であるあなたは何が望みなのよ?」


 やりたいことをやれる身分になりたいのだと彼は言った。つまり、彼は上に立ってしたいことがあるはずだ。ウラノスの目的が気になる。


「君に言ったところで何も変わりません」


 しかしアリスの問いは、さげすむような口調であっさり切り捨てられる。そんな態度で言い返されるとは思っていなくて、アリスは無性に腹が立った。


「なによっ! 協力できることがあるかも知れないじゃない」

「協力する気があるなら、いつまでもそんな格好をしていないで下さい」

「だから戻れないのっ! ロディアに呪われて、解除呪文もまともに発動できないんですってばっ!」

「偉そうに言うことですか? 恥を知りなさい」


 突き刺すような冷たさを持つ視線がアリスを貫く。おかげで冷静さを取り戻した。


「お……おっしゃるとおりです……」


 反論する余地はない。ウラノスの言葉はもっともな意見だからだ。


「目上の人間に対する態度もなっていませんね。困っているというわりには威勢いせいが良いようで?」


 指摘されて、アリスははっとする。


 ――そうよ。この人ならこんな呪いなんて、ちゃちゃっと簡単に解けるんじゃない?

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