第六話 魔法戦隊集結

 岐阜の中津川から東京の水道橋まで移動する場合、すべて各駅停車を使用するのが一番安上がりであるが、そうなると始発で出ても昼には到着できない。

 次善の策としては、中津川駅六時台の各駅停車で塩尻駅に向かい、塩尻駅から八時台の特急『あずさ』を利用する方法があり、そうすると新宿から水道橋まで総武線利用で十一時半前には着くことになる。

 道中、コンプライアンスがどうの信義則がどうのと騒いでいるルンルンを完全に無視しながら、平次は新宿駅まで歩みを進めた。そして、総武線のホームに向かいながら小声でルンルンに尋ねた。

「ところで、なんで水道橋なんだよ」

「知りませんよ。私だって『水道橋の西口までくれば案内人がいるから大丈夫』と、そう言われただけなんですから」

 まだ機嫌が悪いらしくルンルンの口調はぞんざいになっているが、平次は気にしていなかった。

 それよりも久しぶりの東京で、用事を済ませてから何をしようか考えると頭がいっぱいになる。昼からの魔王討伐では、なんとかして時間稼ぎをし、宿泊の権利を獲得するつもりであった。

 水道橋から中津川に帰る場合、最終は東京駅二十一時二十四分発の『のぞみ』だ。新幹線の旅費をもらっている以上、それを超えないと言い訳が出来ないことになる。そうすると水道橋で二十一時を超える必要があった。

 宿泊費については案の定「東縦イン」クラスの定額支給という話だったので、南千住の簡易宿泊所を使えば差額が出る。事後精算も事務処理が面倒なのか不要とのことだった。

 往復交通費と宿泊費の差額はそこそこの金額となるから、自費負担を多少覚悟すれば豪遊することも可能である。引き延ばしの手段とルンルンの小言を除けば、問題となる点は何もない。

 いや、厳密にいえば二十一時まで魔法少女を水道橋に釘付けしてよいのかという道義的な問題はあったが、その点は主催者が考えるべき問題だと平次は割り切ることにした。

「だって討伐に必要な時間だったんだもん」

 これで自分の過失はなくなる。

 そう考えると、平次の足取りはいつもよりも軽くなった。


 *


 指定された通りJR水道橋駅西口改札を出たところで、身なりの整った男性から声をかけられた。

「榊原平次様でいらっしゃいますね」

 普段、あまりそのような対応にお目にかかることのない平次は、少し慌てた。

「はあ、その、榊原です」

「お待ち申し上げておりました。こちらにお願いいたします」

 男はゆっくりとした足取りで先導する。

 平次はその物腰に圧倒されて速やかに後を追ったが、彼がすぐ目の前にあるスロープを登り始めた時に、

 ――もしや。

という、背中に冷や汗が流れるような感じがした。


 なぜなら、進行方向にそびえたっているのは東京ドームである。


 できればその手前にあるウインズ後楽園が目的地であってほしかったが、無論、場外馬券売り場のわけがない。

 そのまま黙って後を追いかけていると、男性はよどみのない足取りで東京ドームの関係者専用入口に向かった。

 確定である。

 平次も覚悟を決めざるをえない。

 考えてみれば、仮にも魔王討伐である。

 東京指定の時点で、それなりに広い空間がある都内某所であることが前提となる。皇居はさすがにないし、新宿御苑のようなオープンエアな場所も、周囲の視線が問題になる。

 となれば大規模かつ貸し切り可能な屋内施設しかないし、水道橋指定の時点で確定したも同然だった。

 ビールを飲みながら野球中継を見ることはあったが、まさか自分がその場所に立つことになるとは考えてもいなかった。


 関係者入口から中に入ってすぐに、男が言った。

「ルンルン。道中変わったことはありませんでしたか?」

 その毅然とした声から、彼がルンルンよりも上位の存在であることは明白である。

 平次はルンルンのほうを睨み、今日の準備物を詰めたボストンバックを軽くたたいた。中にはバールが入っている。

 ルンルンは少しだけ身体を震わせると、

「はい、あの、特に支障はなかったです」

 と答える。

 それに対して男は少しだけ唇を歪めると、

「そうですか。中央本線に遅れが出ていたので気になっておりましたが、早めに出発されていたのですね」

 と返したので、平次は慄然とした。

 ――ああ、こいつは絶対バレてる。

 しかし、男はそれ以上何も言わずに前を歩いてゆく。

 平次が首を捻っていると、ルンルンが小声で言った。

「あの方が主席秘書官ですよ」

 要するに今回の事務方トップその人だった。


 細長い通路を抜けるとドームのグラウンドに出る。

 想像以上に広々とした室内空間に、平次は圧倒された。

 屋外の広さだったら岐阜県民には驚くことはなにもなかったが、天井があるのに広いというのは岐阜県民にはそうそう経験できることではない。ナゴヤドームも似たようなものかもしれないが、まだ行ったことはなかった。

 それが、いきなり「グラウンド」である。

 空間認識に全神経を持っていかれて唖然としていると、目の前をなにかが横切っていった。

「わーい。芝生きれーい。天井高ーい」

 見た目、五歳ぐらいの幼女である。その後ろを白い兎が追いかけてゆくのが見えた。

 牧歌的な風景だったが、平次はすぐに我に帰る。

 今日の目的は「魔王討伐」である。

 関係者以外がこの場にいるわけがない。

 つまり、幼女と兎は関係者である。

 そして、さすがに幼女を夜遅くまで拘束できるわけがない。

 平次はグラウンドに膝をついた。そのまま動けなくなっていると、

「あら、どうして殿方がここにいらっしゃるのかしら。もしかして貴方が魔王?」

 という落ち着いた女性の声がしたので、平次は反射的に振り返る。

 するとそこには――

 声の主と思われる、同年代の上場企業役員秘書のような女性と、その方に乗った黒い鳥。

 高校生ぐらいの無表情な少女と、足元の黒猫。

 六十を越えていると思われる老婆と、ずいぶん老いぼれた犬。

――という、ちぐはぐな団体がいた。

 無論、全員が関係者であるのは間違いない。

 平次はさすがに無様な姿をさらしている場合ではないと悟り、立ち上がって言った。

「いや、俺は魔王じゃない。魔法遣いのほうだ」

 すると、三人の女性はいずれも「あら」という表情を浮かべてから――

 女子高校生は冷たい視線で、

 中年女性は物珍しそうな眼差しで、

 老婆はやんちゃな孫を見るような穏やかな瞳で、

――平次を見つめる。

 彼はなんだか居たたまれない気分になった。

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