第一話 魔法少女登場

「本日の予定ですが――学校の授業が終わった後はピアノのレッスンがあります。その後で塾の授業。帰宅予定は二十一時ですね」

 東急田園都市線の鷺沼さぎぬま駅。

 ホームは東京方面に通勤・通学する乗客でごった返している。そんな中、佐々木ささき桃子ももこは今日の予定を読み上げられていた。

 彼女は十五歳。

 高校一年生で、これから池袋の学校まで行くところである。

 予定を理解した合図のために小さく頷くと、前方右側、頭上三十センチのところでまた声がした。

「本日の宿題は終わっておりますね?」

 桃子はまた小さく頷く。

「結構です――それでは後で確認すると致しまして……」

 そこで一瞬、声が切れた。

「……すいません、急な連絡が入りまして」

 そして、声は少し高めのトーンに切り替わった。

「ああ、どーも、いつもお世話になっておりますぅ。最近どんな感じですか? ああ、相変わらず急ぎの案件ばかりで。大変ですねぇ、お察ししますわ。で、今日はどういったご用件で、はい、はい……」

 桃子は小さくため息をついた。

 契約の時に本人が自分で言っていた通り、彼は実に優秀である。

 行動に無駄がないし、手順もスムースだ。

 予定を忘れることもない。

 完璧なマネジメントである。

 しかしながら――桃子は頭上三十センチのところを目だけで見上げる。

 そこには、黒猫がスマホを持って浮かんでいた。

 魔法生命体――本人が自己紹介の際にそう言っていたが、その姿や声は桃子にしか見えていないし聞こえていない。

 契約者か同業者にしか認識できない存在である彼らは、ある目的のために地球にやってきた。

「はいはい」と「おやおや」を繰り返している彼――固有名詞『リルリル』の姿を目だけで見つめていると、駅に急行電車が入ってきた。

 前から三番目に並んでいた彼女は、降車の列が切れたところで前に進む。

 リルリルは彼女と一定の距離をキープし続けるようになっているので問題ないのだが、一応ちらりとついてきていることを確認する。

 なぜなら、次第にリルリルの声のトーンが低くなっていたからだった。

「はいはい」も疑問形に近くなり「はい?」という言葉も挟まっている。

 どうやら雲行きが怪しいようだ。

 そんなことを考えていると、リルリルが常に冷静な彼にしては珍しい声を上げた。

「なんですって!?」

 桃子は思わず顔を上にあげた。

 リルリルは、猫の顔で可能な最大限の「驚いた」表情を浮かべていた。フレーメン反応に近い。

 何があったのだろう――そう思っていたところで、リルリルの後ろにいた男性が怪訝けげんそうな顔をしていることに気が付いて、桃子は顔を伏せた。

 頭上からリルリルの不機嫌そうな「はあ、はあ」という相槌あいづちが聞こえてくる。

 田園都市線は溝の口駅到着前の減速を始めていた。


 *


「ごめんなさい。ちょっと急な案件の電話だったもので」

 溝の口から渋谷まで、何か考え事をしていたリルリルが、それを察して渋谷駅での乗り換えの途中、人目のつかないところで立ち止まった桃子に声をかけた。

「何かあったの?」

 他の人に聞かれる心配がない時には、桃子も声で応じる。

 いつも時間に余裕をもって通学しているので、少しの時間であれば立ち話をしても問題はない。

「いやなに、主席秘書官から直々の依頼がありましてね。営業成績トップはつらいですな」

 彼はそう言いながら自慢そうな顔――猫の自慢そうな顔というのは実に奇妙だが、それはともかく――をした。

「主席秘書官というと、あの胃の悪そうな男性ですか?」

 桃子は契約後に「顔合わせ」と称して紹介された男のことを思い出した。

「そうそう」

「それでご用件は?」

「なんでも、二週間後に魔王討伐をするので力を貸してほしいとのことで」

「ふうん」

 そう言って、桃子は学校に向かうために山手線方面に歩き出した。

「おや、驚かないんですね」

 人目のあるところに出たので、桃子は小さく頷いた。

「ふふふ、それでこそ私が見込んだ『魔法少女』です」

 リルリルはまた自慢げな顔をしていたが、桃子がそちらを見ることはなかった。

 本当に危険な依頼だったら、リルリルが断ってくれただろうから――そんな確信がある。

 リルリルもそれは理解しているようで、こう話を続けた。

「まあ、念のため条件を付けておきましたがね。『最低でも五人は準備してほしい』と。わかった、と言っておりましたからあてはあるのでしょう。楽勝ですよ」

 その後、リルリルは昔あった魔王討伐の歴史を話しているようだったが、桃子の関心はそこにはなかった。

 魔法少女が五人――これまで同業者には会ったことがなかったので、ちょっとドキドキする。

 それで何となく足取りも軽くなったが、彼女は自分が思い違いをしていることに全く気がついていなかった。

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