第43話 春愁 其の五

 西日の差す廊下を歩く。つい先程まで図書館で調べものをしていたのだが、小腹が空いたため食堂に向かっている途中だ。校舎内にはまだ人がまばらにいるが、私の様に一人で歩いている者は少ない。たいてい複数人のグループか、もしくはペアで親しそうに話しているのだが、私がその近くを通り過ぎたりすれ違ったりすると、スッと綺麗に会話が途切れる。ここまでくると、最早悲しいとか辛いとかではなく、面白い。

 皆が静まり返る中、肩で風を切りながら悠々と歩く姿は、物語に出てくる大魔王かのようだ。

 平伏せ愚民どもー。そこの貴様、頭が高いぞー。はっはっは。……はぁ。

 実際に魔族だの魔王だのがいて、今まさにそいつらと戦争中なのに何を考えているのだか。全くもって笑えない。今度図書館に行ったら、軽くこちらの世界のジョークでも嗜んでおこう。

 角を曲がり人目に付かないところまできて、頭を冷やす。最近はどうにも考えが後ろ向きになってばかりだ。ソフィアとの関係が拗れたのが原因だとは分かっているのだが、話を聞き出すのをシロナに頼んでしまった以上、今は知らせを待つことしかできない。


「……嘘つき」


 頭をガシガシと掻きながら、自分を糾弾する言葉をそっと漏らした。

 待つことしかできないなんて嘘だ。原因が分かって自分にそれを解決する意思があるのならば、真っ先に自分が行けば良いだけの話だろう。今もこんなところでうじうじと悩んでいないで、さっさと彼女の部屋を聞いて向かえば良い。頻繁にやり取りしているシロナなら場所は知っているはずだ。ほら、早く行けよ!

 自分自身を責め立ててみるも、両足は依然として前に進まない。それどころか柱にもたれかかって座り込んでしまう始末だ。


「……」


 本当は分かっているのだ。ずっと子供じみた言い訳をしているにすぎないことを。「前世では友達がいなかった」「喧嘩をした経験がないからどうすれば良いか分からない」なんて、誰に聞かれるでもない甘言を弄して、本心を騙しているだけだと。

 本当は分かっているのだ。不意に歪んでしまった関係がこれ以上悪くなってしまうのに怯え、友達を傷つけてしまった事実に直面する勇気がないだけだと。

 体育座りで太ももに顔をうずめながら、そんな風に考えこむ。


 ◇


 どれくらいの時間が経っただろうか。顔を上げ、窓の外を眺めると既に日は落ちかけていた。

 立ち上がり、近くの水場で顔を洗う。ぴしゃりと冷たい水が顔を打つと、すぐに考えがまとまった。

 やることは一つだ。最初からこれしかなかった。

 制服の袖で乱暴に顔を拭う。


「……行こう」


 震える足に鞭を打って走り出す。

 校舎から出て寮への道に差し掛かると、遠くにシロナのシルエットが見えた。彼女はきょろきょろと忙しなく何かを探しているようだったが、私に気づくとすぐさまこちらに駆け寄ってきた。


「はっ……ふぅっ……見つけましたっ!」


 息を切らしながら何かを伝えようとする彼女を支えて落ち着かせる。シロナも日々の体力トレーニングを怠ってはいないはずだが、それでもここまで呼吸を荒くさせるとは、余程焦っていたのだろう。

 少しして、呼吸が十分に落ち着いたのか彼女は話し始める。


「ソフィア様からお話を伺ったのですが……。それが、その……」

「……大丈夫。私も自分で聞きに来たから」


 わざわざ橋渡し役を頼んだのに、結局自分で解決することを選んだ罪悪感からか、申し訳なさがこみ上げてくる。


「そう、でしたか……。もしかして、お節介でしたか……?」


 おずおずと目を伏せてそう言うシロナ。

 お節介?そんな訳がない。


「……そんなことない。ありがとう」

「えへへ……。どういたしまして」


 手を握りながら心からの感謝を伝えると、彼女は、照れ隠しなのか少し赤くなった頬を掻いた。私も恥ずかしくなって手を放そうとするが、一瞬だけ考えて、逆に握る力を強めた。


「……?」


 きょとんとする彼女の目を見つめ、声が震えそうになるのをどうにか抑え込みながら、一つ頼みごとをする。


「……まだ少し怖くて。一緒に、来てくれる……?」


 それを聞いた彼女は、パァッと花が咲くような笑顔を見せる。


「……!はいっ!喜んで!」


 ◇


 そうして辿りついたソフィアの部屋。大きな深呼吸をして心を落ち着ける。ようやく決心がついたところで、扉を叩いた。

 コンコンとノックの音が静かな廊下に響いた。数秒後──。


「──入ってくれ」


 これまで聞いたこともないほど硬いソフィアの声が聞こえる。シロナと顔を見合わせ、頷きあって扉を開けた。


「おや?君だったのか」


 部屋の中はきれいに掃除されていた。というよりかは、物が極端に過ぎなかった。片方はしばらく人が使っていた形跡が見当たらない。恐らく魔族侵攻が知れ渡った時にここを去ったのだろう。肝心のソフィアがいる方も彼女の剣と窓際の花瓶に庭園に咲いていたのと同じ赤い花、そして机の上には……あれは、丸められた羊皮紙だろうか。見るからに高級感あふれる質感と、それに負けない存在感を放つ蝋印で赤い紐が留められている。


「しばらく顔を出せず、申し訳ない」


 なるべく明るい口調で言ったつもりなのだろうが、彼女の目の下には、乾いた笑みでは誤魔化しきれない程くっきりと隈が残っていた。


「……無理しなくて、良い。……私も気まずいから」


 考えていた言葉とは全然違う言葉が勝手に出てきて一瞬焦ったが、ここまできて取り繕うことは出来ない。


「それで……何があったの……?」


 流れに身を任せるように、ずっと気になっていたことを問いかける。


「シロナから聞いていないのか?」


 そう言いながら私の顔を見るソフィア。首を横に振ると、彼女は「ふむ」と口に手を当てて考える仕草をする。


「丁度良いか。まずはこれを……見てもらいたい」


 彼女は数秒ほど思案した後、そう言って机の上の羊皮紙を手に取り、シュルシュルと紐を解いて私達に手渡す。それは、驚くほど滑らかな質感で、手に取るのを一瞬躊躇してしまった。おずおずと受け取り、上品な筆跡で大きく書いてある一文に目がいった。


「【召集令状】──


「……えっ?」


 思わず声が出てしまった。途方もない困惑と焦りが脳を支配する。本文には、場違いで長ったらしい貴族向けの時候の挨拶や、現時点で魔族の侵攻を阻止している最前線の情報など、とても私が見て良いものとは思えない内容が書いてあったが、そんなのは重要じゃなかった。最後の一文まで目を滑らせ、一文字一文字を集中して確認する。


 ──新年度を以って勇者一団と合流せよ」


「……と、言うわけで」


 私が最後まで読んだのを見計らってか、ソフィアが口を開く。


「四月からここを離れ、勇者様達のいる最前線へと向かうことになった」


 羊皮紙に張り付いてしまったかのように動かない視点を無理やり引っぺがし、彼女と目を合わせる。


「……どうして、教えてくれなかったの?」


 唇に上手く力が入らず、弱々しい声が喉を震わせる。


「話してみてって、あの時言ったのに……」

「君に伝えて……どうする?」

「ど、どうっ……て?」

「君に何ができるというんだ?」


 平静を装っていたソフィアの声に、徐々に感情が籠っていく。


「君が代わりになってくれるのか?戦場が怖くて怯えている私の代わりに?」


 彼女が右腕を前に突き出すと、プルプルと震えているのが分かった。


「そう、怖いんだ……どうしようもないくらいに。あれだけ勇者様のためになりたいだの、皆を守る責務があるだのと偉そうに言っていた私が、いざ人間族のために戦地に召集されたら、死ぬのが恐ろしくて仕方がない」


 ソフィアは力なくベッドに腰を下ろす。


「怖くてどうしようもなくて、誰かに伝えればこの恐怖も和らぐと思った……。だが、この気持ちを伝えて何になるというのだ……。駄々をこねる子供の様に、君達を困らせてしまうだけだ。だから、手合わせをお願いしたのだ。君なら……あれだけ真っ直ぐな君と剣を交えれば、この気持ちもどこかへと行ってくれそうだったから……」


 ちらりとブロードソードに視線が動く。


「……でも、結局君を失望させてしまっただけだったな。はは……」


 目を伏せて、ぼそぼそと独り言のように語る彼女のことが、初めて年相応の女の子に見えた。


「明日の朝、迎えが来る。君達との、最後になるかもしれない会話がこんなものだと思うと悔やまれるが、肉盾でも勇者様の役に立てるなら本望だろう……」


 遂に黙り込んでしまうソフィア。横に立っていたシロナは涙を浮かべて口を押えている。嗚咽を堪えているのだろう。今、彼女に声を掛けられるのは私だけ。しかし、掛ける言葉が見つからず、焦りで視点が定まらない。

 ──何か、言わないと……。でもなんて?

 焦りが頂点に達した時、ふと、部屋に入った時に見つけた窓際の花が目に入った。花瓶の豪華さに気圧されるように、一輪だけ自信なさげに飾られたその早咲きの真っ赤な花が、彼女の姿と重なる。


「……一対一」

「……え?」

「私と貴女の戦績」


 不意にそんな言葉が口から出る。気が付くと、私はその花を手に取っていた。


「まだ決着がついてない」


 花を持つ手から風属性の魔力を流すと、綺麗なドライフラワーが出来上がった。その花を、呆然とするソフィアの手に握らせる。


「……これで、まだ散らない。まだ、死なない」

「……!!」


 そして、震える体を、花が崩れないように優しく抱き寄せる。


「だからまた会って、今度こそ決着つけよう」


 小さく震えた声でも聞こえるように耳元でそう言うと、彼女の身体が大きく震え、そして──。


「うわああぁぁぁ……!」


 大きな声をあげて泣き始めてしまった。今まで我慢していた分を吐き出させるように、彼女の背中を擦る。その手に暖かい手が触れる。横を見るとシロナと目が合った。私の視線に気づくと、腫れぼったい目で微笑みかけてくる。それを見て私も笑みがこぼれ、目の前がぼやける。暖かい涙が頬を伝った。


 ◇


 翌朝、校門の近くにはいつものメンバーが集まっていた。ちょっとしたお別れ会だ。カペラが小さな包みを手渡す。


「これでも食べなさい。まっ、高貴なアンタの口に合うか分からないけど」

「ありがとう。中身を聞いても良いかな?」

「初めて一緒にダンジョンに行った時のやつよ」

「えっ!?私が何度お願いしても作ってくれなかったあれですか!?」

「そんなもの欲しそうな目をしなくても、皆の分もついでに作ってあるわよ」


 シロナが目をキラキラと輝かせながら喜ぶ。


「本当に行っちゃうの?」

「役目があるのでな」

「……寂しい」


 さっきまで寝ぼけ眼だったベラがソフィアの手を握りながらそう言った。


「そうだな……だが、また会える」


 ソフィアがちらりとこちらを見て、小瓶を見せる。その中にはきれいに茎がカットされたドライフラワーが飾られていた。昨日自分が言ったことを思い出して、少し恥ずかしい。


「アンタ達は良いの?」

「……うん」

「昨日たくさんお話しましたから」

「ふーん……あっそ」


 一頻りお別れが済んだところで、街道を叩く蹄鉄とガタゴトと鳴る車輪の音が聞こえ、豪華だが安全性にも優れていそうな馬車が校門の前に止まった。乗車席から神父風の男性が向かってくる。


「サイモン殿、迎えをありがとう。今行く」

「いえ、お気になさらず。ご学友とのお別れを済ませてからで構いません」


 ソフィアが荷物の確認をしている間、サイモンと呼ばれた男性は私たち一人ひとりに視線を向ける。

 ──ぎゅっ。

 急に袖を引っ張られ、何事かとそちらを見ると、シロナが彼を警戒するように私の後ろに隠れた。彼女が教会から逃げ出したことを思い出し匿うように前に立つ。


「……」


 彼はしばらく私を、正確には私の後ろに誰かがいるのを眺めていたようだったが、くるりと後ろを向き馬車へと戻っていった。それを確認したシロナがほっと一息つく。

 ──どう考えても気づいていたように見えたけど、気の所為かな……?


「よし、これで大丈夫だ。今までありがとう!また会う日まで!」


 元気よく手を振って馬車へと歩き出すソフィア。私達も手を振り返し、彼女を見送る。向かう場所が戦場ではあるが、これも立派な門出だろう。寂しい気持ちと応援の気持ち、そして彼女と再会した時に今度は私が幻滅させてしまわないようにこれからも努力しようという気持ちが胸に溢れる。

 それからしばらくの間、ソフィアの乗った馬車が去った後を皆で眺め、私とベラの部屋で一緒に朝食をとるのだった。


 ◇


 冒険者学校への街道を進む馬車を夕日が照らし出す。窓からヒョイと顔を出す少女の影が伸びた。


「ごっつい壁やなぁ……。城かと思たわ」


 手でひさしを作って外壁を眺め、歓声を上げる。


「お客さーん、危ないんで席に座って」

「はいはーい!あんなでっかいもん見たん初めてで気になってしもて、すんません……」


 注意され、素直に謝って後頭部を掻く少女の様子に、御者は微笑みを返す。


「楽しみやなぁ……」


 期待を胸に呟く少女の目はキラキラと輝いていた。

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