第42話 春愁 其の四

 あれから二週間が経った。校舎内に備え付けられた庭園にも、早咲きの花がちらほらと見え、すっかり春らしい雰囲気となっている。

 新学期まであと一週間。もうすぐ二年生となる私達だが、今日も今日とて厳しい訓練を行っていた。


「しっ!」

「……ふっ!」

「お~、前よりかはましになったじゃないか!」


 ベラが牽制に放った暗器を目くらましに、懐に潜り込んでレイピアを振り上げる。正面の私の攻撃を受け止めても、素早く背後に回り込んだベラの攻撃は避けられない。事前の作戦会議で考えた連携。隙を生じぬ二段構え。抜刀術でもなければ私一人での攻撃でもないが、達人でもない私達が現実にできるのは、少なくとも今はこれくらいが限度だろう。私達の成長がみられて余程嬉しいのか、母さんが戦闘中にもかかわらず相好を崩す。

 これでやっと一本。


「でも──」


 そんな私の油断を、今まさに剣の達人の域に達している母さんが許してくれるはずもなかった。

 私のレイピアの軌道上に母さんの直剣が割り込む。


 ──ガィン。

「──っつ!」


 強引に打ち付けられた衝撃で右手が痺れ、反動の勢いそのままにレイピアの切っ先は地面に突き刺さる。体勢を立て直すために慌てて引き抜こうとするが、母さんの方が早く、柄を踏みつけられてしまう。

 諦めるしかない。そう思って手を離した瞬間──。


 がしっ。


 右手首を掴まれる。いやな予感が頭をよぎるが、その力は到底私一人ではどうにかできるものではない。


 ぐいっ。


 今度は掴まれた腕を思いっきり引っ張られる。無理に抵抗しようとすれば脱臼してしまうかもしれない。敢えて力に身を任せる。が、これはどうやら悪手だったらしい。

 母さんは、私の腕を引いたまま、くるりと振り返って──。


 ──ぶんっ。


 思いっきりぶん投げた。そして吹っ飛ばされた私の目の前にあったのは……。


「──!?」


 目を見開き、驚愕の表情を浮かべたベラの顔面だった。

 ──へぇ。ベラがこんなに驚くなんて、珍しい。

 走馬灯でも流れてきそうな時の流れの中、そんなどうでも良いことが頭を過った。


 ごんっ。


 ◇


「はい、これで良くなりましたよ。鼻血ももうすぐ止まると思います」

「……ありがとう」


 鼻を擦りながらシロナにお礼を言う。目を覚ましたら鼻が曲がっていたなんていう経験は、私の記憶が確かであればないだろう。初めてがこちらの世界に来てからで良かった。これくらいの怪我でも手術なしで治せてしまうのだから。まぁその所為で、医療技術が発展しておらず、大怪我にもなると本人の素質に左右されてしまう回復魔法に頼らざるを得ないのだが。そう思うと、ダンジョン内でも的確に治療をしてくれるシロナがパーティーにいる今の状況は、とてつもない幸運なのではなかろうか。

 怪我ばかりしている私に嫌気がさしていたりはしないだろうかと彼女の顔を見ると、ぱちりと目が合う。そして優しく微笑むのだ。

 ──女神だ。

 忌憚のない誉め言葉が口をついて出そうになったが、年季の入ったコミュ障である私の喉がそれを通すはずがなく、息だけが音もなく漏れる。

 そうして数秒、ただ相手を見つめるだけの時が流れ、それに気づいた私は慌てて目を逸らす。逸らした先にはベラが、カペラに氷嚢を頭に当てられながら、彼女の膝の上ですやすやと寝息を立てていた。


「あっ、もう氷嚢は大丈夫ですよ。今、ベラさんの方も治します」

「分かったわ」


 そう言ってシロナは寝ているベラの方へと歩いていき、素早く治療を開始する。


「それにしても、『金剛化ヴァジュラ』を発動したクロエさんと衝突して、良く出血だけで済みましたね。それもほんの少しだけで」

「そんなの、アタシだって驚いてるわよ。『礫弾ストーンショット』を習得したのもついこの間だったのに。流石アタシの妹だわ」

「それを言ったらカペラさんだって。いつの間にか水魔法を習得していたじゃないですか。それを聞いて私、凄く驚いたんですから!」

「ベラに置いて行かれないように必死なだけよ。それに今日だって、とっておきのつもりで発動した不意打ちの魔法も利用されちゃったし……。他人が発動した魔法を、それを上回る魔力を流し込んで制御を奪い取るなんて、そんなのありなわけ?」


 ……マジか。いくら父さんでもそれはやりすぎだと思う。というかそんなことできるんだ。


「全く。自信なくしちゃうわ……」

「──そんなことない」


 寝ていたベラが、突然喋り出した。カペラが目を見開き、驚愕の声をあげる。


「なっ……!?」

「お姉ちゃんは私なんかよりすごいよ。お姉ちゃんが後ろにいてくれるから、私は前に行けるんだもん」

「アンタ……いつから起きてたの?」

「五分くらい前?」

「なんでさっさと言わないのよっ!?」


 弱気な話を聞かれたことが余程恥ずかしかったのか、耳まで真っ赤になりながらカペラが問い質すと──。


「だって……お姉ちゃんの膝枕、久しぶりだったから」


 少しだけ不貞腐れたようにそう言ったベラはまた目を閉じた。


「──もう、しょうがない子ね」


 カペラの声はいつになく優しく、妹の髪を撫でつけるその姿は、母子や姉妹というよりかは、まるで甘える猫とその飼い主のように見えた。

 暖かい光景を眺めていると、シロナがこちらを見ていることに気づく。私と目が合った彼女は、少しだけ照れた様子でウィンクをした。

 ……なるほど。ベラの心の声が聞いて、目を覚ましていることに気づいたから、カペラを励ましてもらうために少し踏み込んだ話を……。

 心の声が聞こえる彼女にしかできないコミュニケーション、或いは駆け引きとでもいうべきだろうか。見事な手腕と、持て余していた彼女自身の力をポジティブに使えていることに感動する。


「おっ?ベラの治療も終わったのかい。そんじゃ今日の訓練はここまでにしとこう」

「しっかり休むんだよ」


 私達の容態を見に来た母さん達がそう告げる。内心ではもっと訓練したいと思っているだろうが、訓練と同じくらい休息が大事だということをさんざん説明、もとい調教された私達は有無を言わずに従う。


「……今日も、来ませんでしたね」


 シロナの言葉に気分が暗くなる。誰のことかなんてすぐに分かった。ソフィアは二週間前から、訓練に参加していない。どうにかしたい気持ちはあったが、生まれてこの方、友達がおらず、まして友達との喧嘩なんてのはしたことがなかったため、どう話しかけに行ったら良いのか分からなかった。


「あっ、違います!クロエさんを責めているわけじゃなくて……。ただ、やっぱり心配で……。ご飯は一緒に食べているので身体は大丈夫そうなのですが……」


 私とソフィアの間での問題なのに、シロナに面倒をかけているのが心苦しい。


「大丈夫よ。戦闘以外のことになるとちょっとおバカさんになるだけで、アイツだって色々考えたくなることもあるわ。その内、打ち明けられるようになるまで気長に待てば良いのよ」

「……そうですね!何か事情があるんでしょうし、それこそ今日の夜にでも話してくれるかもしれません」

「そうよ。だから私達はさっさと休みましょ。いつまでもここで喋ってたら、また首根っこ掴まれて無理やり口に物を詰め込まれるわ」


 母さんの調教を思い出してか、身震いしながらそう言うカペラ。ベラを起こして、食堂へと向かう彼女の背中を見つめる。するとシロナが寄ってきて、耳元に口を当てた。


「ソフィアさんの心の声は、集中して聞かないようにしています。だから何があったかは分かりません。でも今日は何か覚悟を決めた様子でした。お話が聞けたらすぐにクロエさんにお知らせしますね」


 ……さっきの話はただの希望的観測じゃなくて、事実に基づいた予感だったのか。

 ここまでしてくれる彼女に頭が上がらなかった。


「……ありがとう」

「どういたしまして。私もお二人のお友達ですから」


 そう言って背中を押してくれる彼女と一緒に、前を歩く二人の所へ歩いて行った。

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