第41話 春愁 其の三

 ここ、オラクル王国でも秋分から春分にかけては日が短く、既に外は真っ暗だ。運動場の外周には幾らか魔力灯──蛍光茸の性質を模倣したバイオミミクリーの産物であり、周囲の魔力を吸い上げ、光の属性を付与して発散することで魔力の循環を可能とした半永久機関──が備えられてはいるが、やはり中心部は僅かな月光を頼りにしてやっと足場が見えるかどうか。


「本当に真剣で良いのか?条件を提示させてもらった私が言うのもおかしいが、怪我をするかもしれないぞ?」


 隣を歩くソフィアが、顔は向けずに尋ねてくる。発言の内容だけに注目すれば不遜な態度をとっているように思えるが、その声音からは不安がありありとみてとれた。


「大丈夫」


 彼女の抱える不安の要因は何一つとして分からないが、それが手合わせによって解消されるかもしれないというなら、私にそれを断る理由はない。少なくとも、半年近く一緒にいてくれている数少ない友達のために何かしたいという気持ちは嘘ではない。


「そうか……。ありがとう」


 少しだけ力のこもった私の返答に、どうしてかさらに彼女の声が沈んだのが分かった。しばらくしてソフィアの足が止まる。


「ここで待っていてくれ」


 そう言うと、彼女は近くの教員を捕まえて二言三言のやり取りをとった後、位置に着く。どうやら許可が取れたようだ。

 魔族侵攻による厳戒態勢以前は、よっぽどのことでもない限り日没後の運動場利用は認められていなかったが、外部指導員が大幅に増えて警備も強化されたため、逆に許可が下りやすくなった。とはいっても、私は利用するのは初めてだが。

 空気は冷たく、手足がかじかむが、逆に言えばそれだけだ。昼間の父さんの魔法の方が余程生命の危機に近く、このくらいは軽くストレッチをして心拍数をあげればどうとでもなる。

 準備運動を始めて数分、アレクサンダーともう一人、恐らく看護要員の教員が監督を務めるように私達の近くに来た。先程の教員が真剣での手合わせということを考慮して適役を呼んできてくれたのだろう。ありがたいことだ。これが指導長官だったら、自分達で勝手にしろと突っぱねてきそうだ。まぁ、それはそれで私達の成長を促すためなのだろうが。

 教員方の配置を確認したソフィアがこちらに目配せをする。手合わせの準備ができたらしい。抜かれたブロードソードが月光を反射し、鈍い光を帯びていた。

 私もレイピアを鞘から抜き放ち、胸の前に構える。ソフィアの剣と違い、月光を吸収して冷たい光沢を放つ私の剣。最近になって、ようやく扱いに慣れてきたところだが、母さんによれば未だに私はこれの真価を発揮できていないらしい。事実、母さんが振るのと私が振るのでは、その鋭さが何十倍と違うのが肌で感じ取れる。筋力や体格の違いでは測れない何か、あれがきっと経験の差なのだろう。積み重ねた経験がスキルとして可視化されるこの世界で、具体的にどの程度鍛えれば良いか、恐らく母さんは分かっていそうだが、それでも教える気はなさそうだったし、私も知りたくなかった。幸運にも再び手に入った私の人生、私の初めての冒険なのだ。誰かに攻略法を聞くなんてまっぴらごめんだ。そう思うと、自然と剣を握る手に力が入る。

 深く息を吸い込む。冷たい外気が肺に満ち、さっきまで考えていた余計なことが洗い流されていく。

 深く息を吐き出す。右手にこもっていた力が、程よい緊張とともに熱が伝わるように全身を包み込んでいく。

 そうして見つめた視線の先には、彼女の揺れる瞳があった。真剣での勝負を前にして、未だ何かに迷う彼女に、私の中で小さなモヤモヤが湧き上がっていくのを感じた。


「はじめっ!」


 号令が運動場に響く。


「……」


 ──三秒。双方動かない空白の時間が流れた。

 おかしい。いつもなら開始の合図と同時に踏み込んでくるか牽制の魔法を放ってくるはずなのに、動く気配がない。何か策があるのか、はたまた私の出方を窺っているのか。どちらにせよ、先手を譲ってもらえるならありがたく受け取ることにしよう。

 中段の構えを解き、踏み出しながら「金剛化ヴァジュラ」を発動。ソフィアの対応を見て、突きか逆袈裟か、それとも魔法で撹乱か。選択肢を考えながら近づく。彼女はまだ動かない。モヤモヤが大きくなる。

 彼女の間合いまであと三歩。私の攻撃を届かせるにはそれ以上に踏み込む必要がある。ふくらはぎにさらに力を入れ、潜り込むように体勢を低くする。彼女はまだまだ動かない。モヤモヤがムカムカに変わる。

 レイピアの切っ先が届くところまできた。すでに私は突きの体勢に入っている。踏み込みの速度と体重を乗せた一撃をお見舞するまで十分の一秒にも満たない。彼女はそれでも動かない。

 目の前に火花が散った。

 ──ヒュウッ。


「──えっ……?」


 ソフィアが困惑の声をあげ、左頬に手を当てる。その中指にはトロリとした鮮血が乗っていた。自分が傷を負わされたのにも関わらず、口を開けて呆けている彼女。その目がようやく私の顔を捉える。

 ビクンと身体を跳ねさせ、怯えた表情を見せるソフィア。

 ……今、私はどんな顔してるんだろ。

 彼女と目が合うが、私の顔が反射するには、外はもう暗すぎた。目を合わせ続けるのが辛くなり、背を向ける。


「……私が見えるようになってから来て」


 そのまま、寮への道を歩き出す。後ろに続く足音はない。レイピアに付いた血を払うこともせず、運動場を離れた。


 ◇


 何で、私はあんなことを?

 湯浴みの最中、ずっとそればかりが頭の中を巡っていた。今までに抱いたことのない感情に、自分自身が振り回されている現状が酷く気持ち悪くて、何度も何度も顔を洗っても全然さっぱりしない。


「……はぁ」


 何度目かもわからないため息を吐き、どうにもまとまらない考えを全てシャットアウトする。

 ……あがろう。

 そうして、いつまでも気怠い身体を引き摺って、着替えを済ませ浴室を出る。自分のベッドに腰掛け、今日調べた資料でも見ようとしてふと気づく。

 ……全部置いてきちゃった。

 ソフィアと別れてそのまま帰ってきてしまったので、運動場に全ての荷物を置いてきてしまっていた。かといって今からとりに行く気力もない。また彼女に顔を合わせるようなことがあったら気まずいったらありゃしない。


「……はぁ」

「どうしたの?」


 カーテンの奥から声とともにベラが顔を覗かせる。私があんまりにもため息を連発するため気にさせてしまったようだ。

 ……大丈夫。

 いつもなら出てくる言葉が、今回ばかりは出なかった。またしても、まとまらない思考が頭の中をぐるぐると回り出した。脳みそがバターになってしまいそうだ。

 いつまでも返答がないのを不思議に思ったのか、ベラが顔を覗き込んでくる。


「──怒ってるの?」


 ……怒る?このモヤモヤが?

 思えばこれまでの人生で、怒ったことはないかもしれない。いつも何かを期待する前に諦めてばかりで、自分自身に失望することはあっても、誰かに感情をぶつけるということがあまりなかった。スパゲッティみたいにこんがらがっていた頭の中が、少しすっきりしたのを感じた。


「……分かんない。けど、そうかも」

「そう」


 私が返事をすると、ポンと頭に手を乗せられ、そのまま優しく撫でられる。


「……?」

「こうするとよく眠れる。お姉ちゃんによくやってもらった」


 そう言って撫で続ける彼女。その心地良い感触にモヤモヤが消えていく。確かにこれは、効果があるかもしれない。

 三十秒程撫でられ、ようやく頭を解放される。その頃には、もう瞼に重みを感じていた。


「……ありがとう」

「ん。おやすみ」


 彼女は自分のベッドに戻り、電気を消す。私も同じように電気を消した。布団にもぐり、瞼を閉じると、もう意識は夢の中に落ちていた。

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