第40話 春愁 其の二

「そろそろ再開しよう」


 反省会に夢中で卓上に散らばった資料を片付けながら父さんが言う。その言葉に全員が頷き、席を立つ。軽く背伸びをし、食事後の眠気を吹き飛ばす。

 他の皆も一様にストレッチをして、いざ午後の訓練へ──。


「──ソフィア・スカーレット」


 不意にソフィアが名前を呼ばれる。ここ数カ月ですっかり聞き慣れてしまったその声に、皆の視線が集まる。

 ぼさぼさに伸びた髪を獅子の鬣の様に纏め、年季は入っているが隅々まで手入れされた装備を纏う壮年の男。冒険者学校の指導長官を務める一線級の冒険者だ。


「よぉ男前。調子はどうだい?」

「うるせぇ。酒も入ってないのに毎度の様に絡んでくるな」


 ニヤニヤと悪い笑みを浮かべながらちょっかいを掛ける母さんを、冷たくあしらう指導長官。


「つれないねぇ。昔馴染みなんだからこれくらい許してくれたっていいじゃないか」

「昔馴染み?腐れ縁の間違いだろ」


 やれやれと言ったポーズで首を振る母さんに、またもやぶっきらぼうなツッコミが入り、それを見て父さんがクスクスと笑う。こうしてみると、仲の良い兄弟のような印象を受ける。

 そういえば……。

 ふと疑問がよぎる。この三人はどれくらい付き合いが長いのだろう?夏休みに実家で鉢合わせた時に付き合いがあることを知ったが、それ以上のことは全く知らない。

 からかわれているのが余程嫌なのか、指導長官の顔が不機嫌になってきたところで、父さんが一つ咳をする。


「それで、レオ。彼女に話があるんじゃないのか?」

「……チッ」


「誰のせいで話がそれたと思っている」という思いを一つも隠さずに盛大な舌打ちを鳴らした指導長官は、再びソフィアの方に向き直った。


「少しツラを貸せ。お前宛の封書が届いた」


 それだけ言って、くるりと踵を返して去っていく。さっさとついて来いということなのだろう。その意を理解したソフィアは、疑問を浮かべながらも父さんと母さんに断りを入れて彼の背中を追っていった。どこまでも律儀な彼女の姿勢に、いつも共闘している時には感じられない貴族の所作を感じて新鮮に見えたが、これを直接言うと彼女にたしなめられそうなので心の内に秘めておくことにする。


「さて一人減っちまったが、どうすっかねぇ?」

「そうだな……。魔法主体の訓練にしよう。丁度、改善点を見つけられたことだし」

「えぇ~?それじゃあ、アタシの出番がないじゃないか」

「君も子供達と一緒に訓練すると良い。魔法の適性はあるというのに、いくら言ってもそれを伸ばそうとしないんだから」

「あー、聞こえない聞こえない。アタシには剣があれば良いんだからそんなお小言は聞こえないー」


 両手の小指で耳栓をしながら運動場の方へと歩いていく母さん。溜息を漏らしながらもそれについていく父さんと笑い声をこぼしながらあとを追う私達。そうして、今日の訓練が再開された。


 ◇


 夕暮れ時、私は図書館にて魔法関連の資料を読み漁っていた。常ならシロナと一緒でしか来ないのだが、今日は後半の魔法訓練で魔力の使い過ぎて不調らしく、夕飯の時間まで少し休むと言われて、単独でやってきたのだ。

 周囲の気配は疎らで、図書館らしく静謐な雰囲気に包まれている。

 また減ったな……。

 頭の中で呟く。もともと図書館がそこまで混み合うということはなかったが、それでもモンスターの資料や魔法の研究などを目的に足を運ぶ生徒は少なくなかった。それが減り始めたのは、魔族侵攻が公にされてからだ。その時から校舎ですれ違う生徒の数も明確に減っていった。あちこちで親元や頼れるところに避難したという声を聴く。至って当然のことだ。誰も、戦争になど巻き込まれたくはない。私だって、目標のためでなかったらこんな物騒なところに残ってないはずだと断言できる。

 ふと、誰かがこちらに気づき、そそくさと立ち去っていく足音が聞こえた。それに気づかないふりをして、資料のページをめくる。最近になって、また私の髪色に反応する人が増えたような気がするが、恐らく勘違いではないのだろう。黒髪は不吉の象徴であり、魔族との戦争の凶兆。私があまりにも当然のように生活しているせいで、もはや気にも留めていないようだったが、言い伝えが、たとえ偶然でも本当になってしまったことで、否が応でも反応してしまうのだろう。

 無意識に右手が首の後ろに回っていたことに気づく。最近、指導長官に没収されたフードのことを思い出すようになった。やっと自分が成長できたと思えるようになったというのに。

 不快感を押し込めるために、またページを一枚めくる。これまではただ不吉なものを見るような視線だったのが、明らかな敵意が混ざるようになっていったことに気づくのはそう難しくなかった。腫物を見る目には元の世界で慣れていたし、入学後のあの一件から気にすることもなくなったが、それが敵意に変わると話は全くの別物になる。

 最初は、「私は何もしていないのに、目の敵にされても……」と困惑するだけだったが、次第にその視線を煩わしく思うようになっていった。

 気を紛らわせるために資料の内容に集中し始める。すると、落ち着いているように振る舞うために、手がまだ勉強していないところまで読み飛ばしてしまっていたことに気づく。先程まではただの文字の羅列だったが、段々と焦点が絞られていくとそこには興味を惹かれる一文が書かれていた。


「魔力の本質とは森羅万象に介在する『意思/遺志』が顕在化したものであり、魔族や妖精族、そして人間族は、それら魔力の流れに自らが望む方向性を与える、つまり『意志』によって魔法を行使している。『死霊系モンスター』や魔族は、この仮説を証明するのに最適と言えよう。彼らはモンスター本来の源流──まだ証明されておらず、証明ができたとして一体どれほどの歳月がかかるか予想もつかない──があるとしたら、突然発生したそれらとは全くの別物の、いわば人間から生まれたモンスターだと言っても良いだろう。彼らは人間が息絶えた時、その故人の『遺志』によって骨や残留思念といった形で留まり、また、稀有なケースだが生前の適性魔法を行使したことも確認されている。魔族に関しては未だ研究が発展途上であるため断定はできないが、過去の戦争において運よく捕虜を確保した際に行った実験では、生命維持が不可能になった瞬間に身体が魔力となって散り散りになったかと思えば、直後に渦を巻くように収束するという結果になった。危険性を考慮してその後の実験は中止、実験場は速やかに放棄されたが、あのまま観測を続けていたら確実に復活していただろう。これが、魔族が不死にも思える程の生命力を持ち、討伐された魔王が蘇ることの証左だ。この発見によって、現時点ではLV5の発現が限界とされている回復魔法が更なる発展を遂げるだろう。そしてもう一つ、ここに新たな仮説が生まれた。先程に述べた内容の通り、魔族と人間族はどちらも魔力が寄り集まって物質化した生物であることは間違いない。妖精族も、人間族との子、原初のエルフを生み出したことから、同じく魔力を起源とする種族だと考えられ、我々人間族が人類と呼ばれるならば、この二種族は別種の人類であるとみなすことも可能だ。ならば人間族も彼らのような生命力を──」


 ──ギィ。

 そこまで読み終えたところで、隣の席から椅子が軋む音が聞こえてきた。今の状況で私の近くに腰掛ける人物など、悲しいことに両手の指を数えきれない程度にしかいない。シロナから始まり、パーティメンバーやエリナさん、そして両親と次々に顔が思い浮かぶ。

 最初に浮かんだのがシロナで、一番関係値のある両親が最後に浮かんだのが自分でも意外に思えた。単に学校生活と両親が結びつかないのか、はたまた私が自立できている証拠なのか。後者に至っては、実質的な年齢はとうに三十路に差し掛かっているというのに何を自慢げにしているのか、と悲しい気もしないではないが、冒険者を目指すにあたっては悪くはないと言えるだろう。

 そんなとりとめのないことを考えながら、隣の席に目を遣る。そこには、思い浮かんだ面々の中でも特に意外な人物が座っていた。


「……」


 ソフィアが俯きながら、何も言わずにただ座っていた。彼女の前に本や資料が開かれていたらそれに集中しているのだと納得もできたが、机に向けられた瞳はきょろきょろと忙しなく泳いでいる。目は口程に物を言うとはこのことだろうが、ここまで露骨なこともそうそうないだろう。実直な彼女らしいと言えばそうだが、やはり心配の方が勝った。


「……どうしたの?」


 思い切って問いかける。彼女はこちらに目を向け、口をパクパクと動かすも喉は動いていなかった。また目を伏せるが、瞳は閉じていた。どう話せばよいのか考えているのだろう。数秒待ってみるが答えは返ってこない。

 ならばもう一押し。


「……まず話してみて。どう受け止めるかは私が決める」


 いつになく真剣な声がでた。こんな声色で話すこともできたのだと自分自身に驚く。ソフィアは今度こそ顔をこちらに向けた。まっすぐこちらを見つめる彼女の瞳孔に、私の顔が反射しているのが見えた。他人の目を通して見える自分は、どこか寂しく感じた。ならば私の目を通したソフィアはどのように映っているのだろうか。


「……」


 ソフィアの身体に力が入るのを感じた。そして──。


「……手合わせを願う」


 彼女から発せられたのは、知り合ってからこれまでに幾度となく聞いた言葉。だというのに、酷く懐かしいと感じたのは、今があの時と似ているからだろうか。


「……良いよ」


 そう答えて、私達はどちらともなく運動場へと歩き出した。

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