第34話 一方その頃:遭遇


 ──ドドドド……。

 とてつもない轟音が洞窟の中に反響し、耳を打つ。「蛍光茸ルミナスファンガス」の仄かな青色の光に囲まれた大きな空間に出た勇者一行の足は、どれも例外なくその動きをピタリと止めていた。


「ほぁー……」


 開いた口が塞がらないとはこのことだろうか。ルークは自身の目に映る光景を表現し得る言葉が見つからないのか、間抜けな声をあげながら呆然としている。


「ボウズ、見るのは初めてか?」

「当たり前でしょ?ダンジョンの、ましてやこんな区域にこの歳で望んで到達することなんてそうそうないわよ」

「あぁ、言われてみりゃ確かに」


 自分の額をぴしゃりと叩いておどけた声を出すウィル。いつもならミラが冷めた目で追撃の言葉を放つのだが、当の彼女でさえも、ルークほどではないが圧倒されたように同じ方向を見つめ続けている。


「何度見ても荘厳の一言に尽きますね」

「そうだねぇ……。おっと、ルーク君。それ以上は危ないよ」


 セルパンの言葉にはっと身を震わせるルーク。自分の身体が無意識の内に動いていたことに戦慄を覚えた彼はそのまま、一歩先、鍾乳石で飾られた断崖絶壁のその下へと視線を向けてしまう。

 白く冷たい薄靄の先には、絶え間なく流れ落ちる水の衝撃によって、白く細かい泡が途切れることなく生まれ続ける、そんな穏やかとはお世辞にも言えない水面の奥には、大小様々な魚とそれらの鱗が反射する光が見て取れた。


「──凄い……」


 彼らの前にあるのは、ダンジョン内でもオラクル国地下にしかない大滝、「大瀑布グレートフォール」。古くは「堕落の淵」とも呼ばれ、数々の冒険者を飲みこんだその滝には、「その下にダンジョンの根源がある」という伝説が残されている。まことしやかにささやかれるその言い伝えは、しかし、世界中の冒険者を魅了するには十分だったようで、今でもここを訪れることを目標にする者は多い。


「──さっ、そろそろ行きましょ。目的地はこの先よ」

「あっ、はい!行きましょう!」


 怒涛の勢いで流れ落ちる水に攫われてしまったルークの思考が、ミラの言葉によって引き上げられる。

 そのままウィルを先頭に、勇者一行の足は再びダンジョンの奥へと動き始める。


 ◇


「しっかし、なんだってこんなとこまで来ちまったんだ?」

「さあね。大方、調子に乗ってたら帰るに帰れなくなったんでしょ。オラクルの入り口からそう遠くないのに、生息モンスターの危険度は段違いだし、分岐点も多くて地図も分かりにくいし」

「そうそう。望んでここに来れる人は少ないけれど意図せず来ちゃって遭難なんてのはざらだしねぇ」


 僕達は現在、消息の途絶えた王国騎士の訓練兵の捜索に出ていた。本来ならばこういった仕事を任されることはない。つまり、今回は完全に僕のわがままに四人を巻き込んだということだ。事の経緯は三日前の昼まで遡る。


 その日は晴天。僕はいつも通り王城の一角に設えられた訓練場で、王国騎士達と同じく訓練に励んでいた。とはいっても、僕が騎士達に溶け込めているわけではない。彼らが厳格な規格に沿って訓練している中、僕は一人で剣を振り、体を鍛えているだけ。というのも僕が避けられているとかではなく、僕自身に原因があった。

 僕は妖精様のご加護を受けて、今代の勇者として選ばれた。それ自体はとても誇らしいことだし、妹のいるこの国を、この世界を守るために全力を尽くそうと思っている。

 けれども、そんな僕が正式に勇者と発表されてからしてきたことはと言えば、今のパーティーメンバーにお守りをしてもらってのダンジョンでの修行ばかり。ダンジョンを探索することは確かに楽しい。洗礼を受ける前は家族を養うために商人になりたいと思っていたが、幼いころから読み聞かされてきた、英雄達の冒険譚への憧れを捨て切れてはいなかった。そんな矢先に、頼もしい仲間と冒険する権利をもらったんだ。嬉しくないはずがない。

 それに、未熟な僕に修行が必要なのも十分わかってる。いくら妖精様のご加護があると言っても、僕自身が成長しない限り、ただの宝の持ち腐れ。魔族との戦争で、最前線で死ぬ大馬鹿者にはなりたくない。

 だけど、人類を守るのが勇者の役目であるはずだ。それなのに僕は、仲間に守られて冒険してばかりで、未だにその役目を果たせていなかった。彼ら王国騎士が、その身で人々を守っているのにも関わらずに。

 僕は偶然力を手に入れただけ。彼らが努力で手にしたものを、運だけで手にしてしまっただけの非力な子供。これなら、多くの責務を抱えながら人々を守るために一人で冒険者学校に学びに行った彼女の方が、よっぽど勇者に相応しいじゃないか。

 脳裏に、あの綺麗な深紅の髪の少女が浮かぶ。その負い目があって、僕は自分で騎士達との間に溝を作っていた。

 僕も人のために何かをしたい……。

 そんなもやもやとしていた時に、「ダンジョン遠征に向かった訓練兵が行方不明になった」という報告を聞いた。それを聞いた瞬間──。


「僕に行かせてください!」


 僕の口が、勝手にそう言葉を発していた。


 しっとりと濡れた地面を踏みしめながら、隊列の最前線で談笑する三人。殿で後方の安全確認をしてくれているサイモン。彼らは、こんな僕のわがままで安請け合いしてしまった捜索依頼を、二つ返事で聞き入れてくれた。「丁度、修行を次の段階に移そうと思ってた」なんて言って、危険度の高い場所に一緒に向かってくれているのだ。出発前に何度も頭を下げたが、それでも僕の気はこれっぽっちも済んでいなかった。

 あとでまた、お礼を言おう。

 そう思うと同時に、生存者がいますようにと強く願う。道中で仲間達の話を聞いた限りだと、生存者がいる可能性はかなり低いだろうということが分かったが、それでも助けられるかもしれない命を諦めたくはなかった。

 決意を胸に、分かれ道を左に進むと、セルパンが声を上げる。


「ストップ」


 静かだが有無を言わせない声音に、全員の緊張が高まる。


「どうした?」


 ウィルが聞くと、セルパンは声を出さずに手信号で「前方に人影あり」と伝えてくる。目を眇めて凝視すると、確かに蛍光茸の微かな光に照らされる影が、ほんの少しだけ見えた。


「例の行方不明者では?」

「っ!早く助けないと!」


 サイモンの推測に、慌てて剣を抜いて立ち上がろうとするも、セルパンに片手で制されてしまう。よく見ると、その手はじっとりと手汗で濡れていた。


「変な、というかイヤな気配がする」

「どういう事?」

「分かんない。けどあれは……ヤバい」


 セルパンの声は震えていた。これまで色んな困難に遭ってきたが、ここまで取り乱した様子は初めて見た。


「──撤退しよう」


 仲間の明らかに異常な様子に、ウィルがそう判断を下す。一瞬だけ、「でも」と言い返しそうになったが、その真剣な表情を前に何も言えなかった。そのまま抜いた剣を鞘に戻し、音を立てないようにゆっくりと下がろうとする。すると、奥の人影が揺らぐのが見えた。


「──あっ!」


 その動きに動揺して、剣を落としてしまう。ガチャンと、小さくない音が洞窟に響く。その音に気付いたのか、人影がこちらに向かってくるのが見えた。


「ちっ!全員、戦闘態勢!」


 ウィルが号令を放つ。


「ご、ごめんなさ──」

「──謝るのは後だ、説教なら後でたんとしてやる」


 毅然とそう言い放たれ、覚悟を決めて戦闘準備を行う。さっきまで怯えた様子だったセルパンも、既に準備を終えていた。

 待ち構える僕達の所へと、だんだんと近づく人影。その全貌がようやく露になった時、ミラが声をあげた。


「何よ……あれ……」


 それは人の形をした何か。足には蹄があり、服は着ておらず、くるぶしから腰までが長く青い体毛に覆われ、上半身は青白い肌が露出していて、手には長く鋭い爪。そしてその頭は、かろうじて人類と言えなくもない部位に、瞳孔はタコのそれと同じ様に長方形になっていて、側頭部に山羊のような大きな巻き角を備えている。


「──魔族……」


 サイモンがそう呟くと、ソレは誰の目から見ても明らかな程の、大量の魔力をその身から放出し始める。濃厚な死の気配に、全身の毛穴から嫌な汗が噴き出す。


「退避いぃぃっ!!」


 耳が痺れる程の大音声に、全員弾かれたように動き出し、分かれ道の右の方へと飛び込んで身を伏せる。そのすぐ後に、空気を焦がすほどの炎が洞窟内を埋め尽くした。ごうごうと音が鳴り続き、超高温の青い炎が逆巻く。直接触れてもいないのに皮膚が焼けていくのを感じた。


「ミラっ!壁を作れ!このまま逃げるぞ!」


 ウィルのその号令に、間髪入れずにミラが土魔法で壁を作り出し、道を塞いだ後に僕たちは全速力で走り出した。

 こうして、今代の勇者の魔族との初接触は、逃走で幕を閉じた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る