第31話 夕焼 其の一
「えーっと、クロエさんの名前は……あ!ありましたよ!」
「……うん、良かった」
冒険者学校の教室前、私とシロナは掲示板に張り出されたクラス名簿を確認して安堵する。一年生の上半期を終えたところで成績に応じたクラス替えがなされるため、最初が同じクラスだったからと油断はできない。特に私達のようなコミュ障には死活問題だった。
戦闘技能以外の期末試験は筆記形式で、内容自体は難しくはないのにも関わらず、前世でもしたことのないトリプルチェックまで行ったほどだ。試験勉強の期間には同部屋のベラと互いに問題を出し合ったりもした。その甲斐あって、最優秀評価のクラスに入ることができた。
このクラスは学習内容が他のクラスとは別格で、特に実地での授業に関しては、他の冒険者クラスは月に一回のダンジョン探索であるのに対して、このクラスは二週に一回となっている。ゲームのようにスキルポイントを振るだけではなく、実際に経験を積まないと強くなれないこの世界では、その経験値が二倍になるというだけで、とてつもなく貴重なことだ。目指さない方が馬鹿である。
冒険者になるという目的自体はどのクラスでも達成されはするだろうが、やはり入学当初にも考えていたように、せっかくなら満足するまで強くなりたいのだ。そのための努力は惜しまない。
「当然、アンタ達も同じクラスよね?」
不意に背後から声を掛けられる。そこにはドヤ顔で仁王立ちするカペラといつもの無表情で棒立ちするベラがいた。「アンタ達も」ということは二人も一緒のクラスなのだろう。
「カペラさん、ベラさん。これからもよろしくお願いします」
「……よろしく」
「ふふん。良いわよ。もちろんアタシがリーダーだけどね!」
礼儀正しく挨拶するシロナに倣う。カペラのこの高慢ちきな態度にも随分と慣れてしまったものだ。
「さっきまでずっと心配してたのに」
「んなっ!ベラ!それは言わない約束でしょ!?」
ぼそりと呟いたベラに、顔を赤らめながら詰め寄るカペラ。
ほう?カペラはこの四人パーティーを気に入っていたのか。人間関係に関してドライな彼女にしては少し意外にも思える。が、悪い気はしない。
既にお馴染みとなったメンバーで集まっていると、深紅の長髪を揺らしながらこちらに近づいてくる影が一つ。
「君達も同じクラスか?」
「──ソフィア様!」
「あら?久しぶりね」
廊下の向こう側から優雅な所作で歩いてくるソフィア。どうやら彼女も同じく最優秀クラスらしい。まあ、当然と言えば当然だろう。彼女は名家の貴族子女で成績優秀、戦闘技能の授業でもほとんど単独で教官達を相手取ることができる程の実力の持ち主だ。むしろ最優秀クラスでない方が可笑しい。
そんな彼女だが、先ほどからじーっと一点を見つめていた。私は自意識過剰ではない、むしろあまりの会話能力の不足加減に、他の要素を勘定しても自分に自信はもてない。だが、彼女の視線は、勘違いでなければ私の顔にロックオンされ続けている。
その理由が分からずにたじろいでいると、彼女はにやりと口の端を吊り上げて挑戦的な笑みを向けてくる。
「……リベンジの機会を手に入れたな」
「リベンジ?」
ソフィアの呟きに、耳聡いベラが反応する。
はて?リベンジとは……?
ここまで考えてはっとする。ソフィアの取り巻き連中が起こした騒動の時、手合わせした後に彼女を元気づけるのためにそんなことを言ったのを思い出した。まさか、その一言が今になって聞いてくるとは。
私が戦々恐々としている間にも、何かオーラのようなものを漂わせながら、笑みを浮かべるソフィア。まるで肉食獣が如き獰猛な視線に体がぶるりと震える。コンディションが良い時の彼女はこんなにも恐ろしいものなのか。
「……アンタ、一体何したのよ」
呆れ顔でそう言うカペラ。私は手合わせを頼まれて全力で戦っただけだ。だというのに何故そんな目で見られねばならないのか。
ともかく、彼女のリベンジができるだけ先延ばしになるよう願うばかりだ。
◇
「今日から早速、模擬戦を行うのだが、今日はいつもと趣向を変えて君たち同士の一対一の戦闘訓練をしてみよう」
……噓でしょ?
表情筋がピクピクと痙攣しているのを感じる。私の切なる願いも虚しく、無慈悲な審判が下された。
「ダンジョン内ではパーティーでの行動が基本中の基本だが、何かのアクシデントがあった時に、一人では何もできないという状況は冒険者にとって最悪中の最悪だ。故に合流するまでの自衛能力を──」
アレクサンダーが訓練の意味を説明しているが、その一切が右の耳から左の耳へと何の抵抗もなくすり抜けていく。
神よ!私が何をしたというのか!
心の中で慟哭をあげる、哀れな子羊となり果てる。まあ、そもそもこの国には神を信仰する宗教はなく、月の魔力を信仰するルアーノ教しかないため、神に祈るのはお門違いではあるのだが、現世利益を求める現金な私には正直言ってどちらでも良い。
現実逃避気味にそんなことを考えていると、後頭部に誰かの視線を感じた。いや、「誰か」はすぐに分かったが、それを認めてしまうともう後に引けない気がしたのだ。
ぎぎぎと音が鳴りそうな程のぎこちない動きで首を回す。振り向いた先には、やはり深紅のオーラを纏った少女、ソフィアがいた。
彼女の切れ長の目はしっかりとこちらを捉えている。獲物を見定めた獰猛な狩人のような鋭い視線。逃げることは不可能、そんな気さえ起こさせる程の気迫を感じ、ゴクリと喉を鳴らしてしまう。
もはや万事休すか……。
俎上の魚のように運命に身を任せようと諦めようとした、その瞬間──。
「──では二人組を組みなさい」
「──!」
地獄から逃げる唯一の道、一本の蜘蛛の糸が垂らされた。通常、私のようなぼっちにとって「ペアになって」は幼少期のトラウマを引き起こす最大級の呪いの言葉なのだが、今回だけは違った。
思考を頂点にまで加速させ、四肢からシナプスの一つ一つに至るまで集中させる。ぐるりと周りを見渡して、ある人を探す。
──見つけたっ!
生徒達の中から飛び出た明るい茶髪。その根元を目指し、他の生徒をかき分けてぐんぐんと突き進む。視界が開けるとそこには目的の人物がいた。
「……ベラ」
安堵からか呟くように彼女の名前を呼んでしまう。私の窮地を救ってくれるのは彼女しかいない。
万全な状態のソフィアと今の私が一対一で戦ったりしたら殺されるまではなくともけちょんけちょんにされるのは間違いない。しかし、知らない人と訓練するなど私には到底できるはずもない。
そうなるといつもの三人に絞られるのだが、シロナもカペラもパーティー内では後衛の役割。前衛の私とでは良い訓練にはならないだろう。少なくとも最初の訓練ではお互いの役割が一緒であった方が良いはずだ。となると必然、私が頼れるのはベラ一人となるわけだ。
嗚呼、救世主様。その御名を私ごときがお呼びするのをどうかお許しください。
悲劇のヒロイン宜しく、彼女に駆け寄る。ベラもこちらに気づいて振り返った。その救いの手を取ろうと手を伸ばす。
「……ベ──」
「待ちなさい」
ひゅうっと口から呼気が漏れる。と同時に、ガシッ!と勢いよく肩を掴まれ、肉に指が食い込むほどの力で引き寄せられる。深紅の髪が横目に見え、私をものすごい力で引き寄せる彼女の吐息が耳に当たる。次の瞬間、耳元でこう囁かれた。
「逃がすはずがないだろう?」
びくりと身体が震えた後、糸が切れたように全身の力が抜けた。そのままずるずると体を引きずられていく。
「あーーー……」
だらしない声が口から出る。手を伸ばした先に立つベラが、小さく手を振りながら「がんばれ」と小さく呟くのが聞こえた。
◇
「ふむ、軽いな。感覚を掴めるかどうか」
運動場の中、あちこちで木剣を打ち合う音が聞こえる。流石に生徒同士では真剣での立ち合いは認められていない。
私は「
普段は大ぶりな両手剣を扱うソフィアなんかはそれが顕著だろう。対面に構える彼女は、片手でぶんぶんと振り回しながら感触を確かめている。
「……もう良い?」
「っと、あぁすまない。待たせてしまった。こちらは問題ない」
そういって中段に構える彼女。私としては軽さに慣れてないくらいのハンデが欲しかったから声をかけただけなのだが、こうも真摯な対応をされると少しだけ罪悪感が募る。まあ、私の本心を聞いたところで怒るような器の持ち主ではないだろうから、ただの杞憂だろう。
私も中段に構え、集中する。立会人はいないため、両者の気配が戦闘開始の合図となる。
──胸を借りる気でいこう。
そうだ。相手はどう考えても格上なのだ。一応リベンジされる側ではあるが、この間みたいな不調時でなければ私に勝ち目はない。ならば、相手の一挙手一投足に集中して、少しでも自分の力にすれば良い。
そう考えると、気持ちが晴れるように無駄な緊張がほぐれていった。相手のことを見る余裕が生まれる。ソフィアの方を見ると、一度の瞬きもせずにこちらの出方を窺っている。その瞳からはふつふつと闘志がにじみ出ていた。
「来ないのか?ならばこちらから行かせてもらう!」
そう言った彼女は、木剣を胸の位置に構え身をかがめる。その体勢から何を狙っているかは明白、刺突の構えでの突進だろう。彼女の膂力から繰り出される突きはまともに受けてしまえば、たとえ防御したとしても大ダメージ必至だ。かわす心構えをしておく。相手の手が読めればさばくのは容易い。
──それが普通の相手なら。
「──っ!?」
視線の先、ソフィアの気配が一瞬揺らぐ。その瞬間、体が無意識にローリングしていた。
速すぎんだろ!?
気配が揺らいだ瞬間にはもう目の前まで迫って来ていた。その速さは目で追うのがやっとというレベルで、勘が働いて奇跡的に避けることができただけだ。迫ってくるものの体感速度が分かりにくいとはいえ、通っただろう軌跡にもうもうと砂煙が舞っているほどだ。尋常な速さではない。背筋に冷汗が伝う。
しばし呆然と砂煙を眺めていたが、慌てて体勢を取り直す。突進をかわしたというのに追撃の気配がない。ソフィアほどの実力で体勢を崩した相手に追撃を選ばないことがあるだろうかと怪訝に思っていると、砂煙がおさまり、彼女の姿が良く見えるようになる。彼女は突きを繰り出した姿勢のまま何やら小首をかしげていた。
「どうにも慣れんな、勢いが調整できん」
どうやら、これも出力の調整ミスらしい。考えてみればそうだ。前の手合わせでは、木剣の倍以上はある重さの武器であのスピードを出していたのだ。それならば、単純に速くなるのは道義だろう。それにしてもばかげた速さだったが。
ともかく、隙だらけのチャンスを放っておく理由はない。
「ふっ!」
短く息を吐き、距離を詰めてから大きく上段から振り下ろす。
「──む!」
そのまま一本、なんて簡単なはずはなく、振り向きざまに木剣を打ち合わせられ、弾かれる。それからは一瞬の油断も許されない攻防が始まった。
一撃を振るい、弾かれてはバックステップで退避する。ヒットアンドアウェイで立ち回る私に対して、一瞬で距離を詰め強烈且つ狙いすました一撃を放つソフィア。鍔迫り合いになった時点で圧倒的な膂力の差で押し込まれるのは自明の理。そうなる前に体重移動と剣さばきで相手の力を受け流す。そして側面から、一撃を狙う。それも反応されて弾かれるというループ。
私は決定打不足、ソフィアは武器の習熟度不足でそれぞれ煮え切らない攻防が続く。三度ほどこのループを繰り返したタイミングで戦況に変化が現れる。
──ん?体内魔力の流れが……。
打ち合いの内容自体は変わらないが、魔力の流れに変化が生じた。もちろんだが、魔法及び魔力というものが存在する世界では戦闘において魔力の流れを感じ取るというのは初歩的なことだ。それは対モンスターでも対人でも、当然相手が前衛向きの
今もソフィアとその周囲の魔力の流れに注意を向けていたのだが、彼女の体内魔力の流れに変化があった。普通の体内魔力は血液のように体中を巡っているのだが、今はソフィアの身体全体を覆うように広がっている。こういう魔力の使い方は魔力を放射する攻撃特化の魔法ではなく、強化や属性付与の魔法を発動するときのものだ。この場合、自分を覆うように魔力を展開しているから、自己強化の系統だろう。
この状況で発動するなら、「
そう思っていると、ソフィアの口元がにやりと歪む。
「……え?」
瞬間、彼女の身体を覆っていた体内魔力が、急速に一点に集まった。
──まずいっ!?
そう思った頃にはもう時すでに遅し。ソフィアが剣を握る手とは逆の手の指を突き出し、その指先から鮮烈な光があふれ出る。
「っがぁ!」
その光を、直視することは避けても目に入れてしまった私は、目を押さえて蹲ってしまう。そのまま肩にとんと剣を乗せられる感触を感じた。
「勝負あり、だな」
どうやらリベンジを果たされてしまったようだ。
◇
「目は問題ないか?」
「……失明するかと思った」
苦いポーションをちびちびと飲みながら、目には問題ないことを証明するようにソフィアの顔を睨みつける。模擬戦は終了し、今は感想戦の時間だ。
「そう怒らないでくれ。私だって君に勝つのに必死だったんだ」
そう言いながら、晴れ晴れとした笑顔を見せる彼女。
彼女が繰り出した魔法は「光魔法LV3『
彼女が本当に必死だったかどうかは分からない。しかしどちらにせよ、私は本気で戦って彼女の魔力を使ったフェイントに引っかかって負けたのだ。その事実に偽りはない。
それにしても──。
「……自分で考えたの?」
「違うさ。幸い、私の家には優れた使い手が数人いてね。おかげで教師には事欠かなかったんだ」
なるほど。確かに他の貴族からも注目されるほどの名家の生まれなら、そういう技術を教えてもらっていておかしくはないか。とはいっても、習得するにはそれなりの時間が必要なことに変わりはないだろうが。
ふとソフィアの視線が気になる。彼女は心底不思議そうな目でこちらを見ていた。
「……何?」
「いや、君は言わないんだなと思って」
「何を?」
「それは……」
彼女は少しだけ口ごもった後に何かを諦めたかのように一つ息を吐いて口を開く。
「私が家の話をすると、たいていの者は『羨ましい』だの『不公平』だのと難癖をつけてくる。正直、参ってるんだ」
そういうことか。確かに名のある貴族の家に生まれたら教育等には不足しない生活を送れるだろう。けれど──。
「……生まれが良いからって努力が要らないわけじゃない」
「……!」
思ったことをそのまま口に出す。そうだ、何かを教えてもらったからといって、それが勝手に身につくということはない。人によって大小はあるだろうが、それを習得するには本人の努力が必要不可欠だ。それは前世の学校で学んだ。極端な例だが、たとえ同じ環境下で同じ授業を受けても、全員がテストで同じ点数をとれるわけではないのだ。
有力貴族の子に生まれたからといって、努力をしていないということにはならない。むしろその逆で、そんな家に生まれたからこそ、その待遇に見合った振る舞いを身につけるために並々ならぬ努力をしたのだろう。
「……そんなことを言われたのは初めてだ」
何かを考えこむように俯いてそう言う彼女。何を考えているのかが気になり、顔を覗き込もうとした瞬間、がばっと勢いよく顔を上げる。
「よし!決めたぞ!」
そう言って私の方に振り向くソフィア。一体何を決めたのだろうか。
「私と友人になってくれ!」
満面の笑みでそう言う彼女。
「……うん」
不意に口から出た言葉はたったそれだけだった。これで私の友達が増えたのだろうか?こんなあっさり?しかも、相手は貴族?
突然すぎる状況に、どうにも頭が追い付かない。
「よし!ならば、一緒に昼食をとりに行こう!」
そう言われて、呆然とする私を引きずって歩くソフィア。
「……まぁ、いっか」
取り敢えず、深く考えるのはやめることにしたのだった。
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