第29話 隠世 其の三
その日から、また鍛錬の日々が続いた。日が落ちるまで体を動かし、日が落ちてからは瞑想を行う。食事や休憩の時間には集中を解き、終わったらまたすぐに切り替える。その緊張と緩和のサイクルに、心身共に研ぎ澄まされていくのを感じた。
環境が違うからか、いつもよりも皆生き生きとしているように見える。やはり、リフレッシュというのは何事においても大事なのだろう。
そうして、怒涛の勢いで一週間が経過しようとしていた。
「受けながらも周りを見な。ほら、陣形が崩れてる」
「……はぁ……はぁ」
ザザッと地面を踏みしめる音の後に、金属がぶつかり合う甲高い音が木々に木霊する。音につられて思わず後方を見てしまう。──が、その瞬間、横顔に影が掛かる。
「──っ!」
慌ててレイピアを中段に構え、防御態勢をとる。少し遅れてやってくる衝撃。足に力を込め、鍔迫り合いの状態から相手を押し離す。
「目の前に集中しなさい。実戦では命取りになる」
直剣を片手に父さんがそう言った。この夏休み中ずっと見ていたとはいえ、やはり父さんに剣はあまりしっくりこない。
そんな父さんの背中で気配が揺らいだと思ったら、小振りなナイフが一本飛んでくる。それを何でもないように打ち払う。カランと空しい音が響いた。
「筋はいいけど、まだまだ分かりやすいね。伸び代だと思えば良い」
揺らいだ気配の正体、ベラが悔しそうな顔で頷く。
「攻撃が失敗したんだから、早く援護に向かいなさい」
父さんにそう言われ、母さんの攻撃を何とか凌いでいる後衛二人の下へ駆け出す。そんな、私達には行き着く暇がない攻防が二、三回繰り広げられた。
「今日はここまで!ご飯の前にちゃんと手を洗うんだよ」
母さんの言葉に四人同時にへたり込む。今日もくたくただ。足の筋肉は痙攣をおこし、指は痺れて力が入らない。
そんな状態でもご飯は勝手にやってこないし、ましてや腹が膨れるわけもない。レイピアを杖代わりに何とか立ち上がる。
隣ではベラが既に立ち上がっていた。もう動けるのかと一瞬驚愕したが、彼女の呼吸がまだ少し荒いことに気づく。多分、夕飯のために体に鞭を打って動いているのだろう。恐ろしい執念だ。
さて他の二人は、と……。
「ベラー……起こしてぇー……」
「クロエさん……私もお願いしますぅ……」
間延びした声のする方に目を向けると、そこにはぼろ雑巾のように横たわっているカペラとシロナが。仰向けで虚ろな目をしたまま、抱っこをせがむ赤子のように、或いは何かを掴もうとするかのように、夕焼け色に染まった空へ手を伸ばしていた。その二対の腕はどれも例外なくプルプルと震えている。
私とベラは、彼女達の横に抜き身のまま落ちている杖剣を拾い上げ、鞘に戻す。この一週間はずっとこんな感じだ。
二人共、仕込み杖は前から装備していたが、私達の援護を前提に魔法主体で戦うため、これまでその鞘から抜き放つことはなかった。一週間前、母さんに「援護が間に合うように自分の身を守るのも仕事さ」と諭されて、護身目的に剣術を習うことになったのだ。
最初こそひいひい言っていた彼女達だったが、この短期間でそれなりになったのは二人の才能ゆえだろう。特にシロナの成長が著しく、何度も驚かされた。
ベラはカペラをおんぶし、私はシロナをお姫様抱っこで家の中へと輸送する。私がおんぶしなかったのは、ひとえに力が残ってなくてそのまま潰されそうだったというだけで、特に他意はない。
「うぅ……ごめんなさい。お二人も疲れているのに……」
申し訳なさそうな顔でシロナが言う。確かに疲れてはいるが、剣術と体術を主体に戦闘するのには私達の方が二人よりも慣れている。むしろ今までは、私がダウンしていることの方が多かったため文句を言う気には到底なれない。
「……お互い様」
本心を口に出すと、シロナはにこりと笑う。
「……ありがとうございます」
「そうよ、いつもはアンタが介抱してるんだから、こういう時ぐらい甘えときなさい」
頭上からカペラの声が聞こえる。言っていることは間違っていないし否定もしないのだが、おぶってもらっているのに偉そうにするのはやめてほしい。
「それにしても……」
玄関の戸を目前に、カペラが何かを言いかける。なんだろうと視線をちらと向けるが……。
「……やっぱり、何でもない」
それだけ言って、ベラの肩をトントンと叩く。私達の頭には、当然のようにクエスチョンマークが浮かんでいたが、粘ってもそれ以上は何も言わない空気を醸し出していたため、大人しく服や体に着いた土埃を払って家に入り、手を洗って食卓に座った。
「前から言っていたように、明日は休養日にしよう」
「どうしても、ですか?」
父さんがスープを一匙掬ってそう言うと、カペラから抗議の声があがる。まだやりたいということだろうか、気づけばベラも静かに頷いている。
「明後日には学校に戻るのだから、せめて最後の日くらいは体を休めなさい」
「そうそう。休める時にきちんと休んでおかなきゃ、いざという時に後悔するよ」
「……わかりました」
珍しく母さんの援護射撃もあって納得する二人。シロナはそれを見てほっとしたような、やり足りないような、複雑な表情を見せる。
私としては、両親の意見に賛成なので特に言うことはない。もちろん成長の機会を見逃したくはないが、焦っても結果を得られるとは限らないのだ。それならば、心身を休ませるのも修行の一環だと言えるだろう。
それからは、明日は何をして過ごすかを和気藹々と話し合うことになった。長々と相談した結果、私とベラは母さんと狩りに、シロナとカペラは父さんと魔法やポーションの調合法などを聞くことになった。
◇
湯浴みを終え、ベッドに潜り込む。最初は四人では狭く感じたが、今ではすっかり慣れてしまった。シロナも今朝なんかは、ベラの足を掴んで避けていたくらいだ。
日課のステータス確認を終え、意識を眠ることに集中させる。
「……カペラさん」
不意にシロナがカペラを呼ぶ。
「何?」
「さっきは何を聞こうとしていたのか、どうしても気になってしまって……」
さっきというと……。あー、訓練が終わった後のあれのことか。確かに、普段ははっきりとものを言う彼女が、あんな風に言い淀むことは稀だ。どんなことを言おうとしていたのか気にはなる。
少しの沈黙の後、カペラが口を開く。
「……本当に大したことじゃないわよ。ただ……」
「ただ?」
「……ただ、あれ以来アンタ達が妙に距離が近くなったように感じただけ」
「私も気になった」
「私達が、ですか?」
「他に誰がいるのよ」
そう言うとカペラは体を起こす。私とシロナのことを言っているのだろうが、身に覚えがない。しかし、あまり他人のことを詮索しない彼女達にしては珍しいことだ。気になったので私も目を開け、耳を傾ける。
「あの日の朝、アンタ達二人で話してたみたいだけど、あれから変によそよそしくなったと思ったら、急にべったりするようになったり、別に詮索する気はないけど気になったのよ」
「それは……」
ダンジョン二日目の朝の話か。確かに、あの時シロナに彼女の秘密を教えてもらって、最初は急激に近づいた距離感にあたふたしていたが、そんなに挙動不審に映っていたのか……。
それにしても……。
シロナの方に視線を向けてみるとばつの悪そうな顔をしていた。どうやらまだ二人には話していなかったようだ。
「……ごめんなさい。まだ……」
「別に怒ってないわよ。言ったでしょ、詮索する気はないって」
シロナの謝罪に、気に病んだ様子もなく態勢を戻して掛け布団を掛け直すカペラ。これで話は終わりかと思ったのだが──。
「──けど、私達だって仲間なんだから、あとでちゃんと話しなさいよね」
「──はい」
彼女から面と向かって「仲間」だと言われるのは初めてのことだ。私達の関係性も少しずつ良くなっているということだろうか。そう思うと感動で胸がいっぱいになる。
ぼっちだった私が、まさか仲間と呼んでもらえるなんて……!
「分かればよろしい。それじゃ、おやすみ」
「おやすみなさい」
会話はそれきりだったが、胸の充足感はそれからもずっと続いた。
私が眠りについたのはそれからしばらく経ってからだった。
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