第28話 隠世 其の二

「美味しい!カペラさん、今度これ作ってほしいです!」

「アンタって、食のことになると急に我儘になるわよねー」

「ご飯は大事」

「ハイハイ、わかったわかった」

「口に合ったようで良かった。レシピなら明日にでも教えてあげるよ」


 居間の窓から満月が覗いている。食卓で晩御飯のミートパイを囲みながら談笑する私達と酒瓶を抱きながら赤ん坊のように眠る母さん。

 指導長官が帰った後、昼間の熱戦に触発された私達は、父さんと母さんに稽古をつけてもらったのだが、その苛烈さたるや。体力トレーニングがメインだったとはいえ、熱の入った二人の指導は、学校の授業も比にならない程だった。

 すっかりへとへとな私達だったが、父さん印の美味しいポーションのおかげで何とか食事にありつけている状態だ。這う這うの体で噛みしめる肉の味は甘美という他ない。ベラも、肉食獣もかくやという勢いでがっついている。

 ……それでも、やはり口の周りは汚れていない。実に不思議だ。このままいけば、酔っぱらった母さんの衰えない膂力と一緒に、私が観測した異世界七不思議の一つに確実に入るだろう。


「それにしても……」

「ねえ?」

「うん」

「……?」


 三人が両親と私を見比べて、胡乱な目でこちらを見てくる。何がそんなに不思議なのだろうか?


「……本当に賑やかなご両親でしたね」

「全くよ。蛙の子が蜥蜴なんてこともあるのね」

「ずっと一人だけ喋ってない」


 ……聞こえてますが?

 ひそひそと小声で私の悪口を言うお三方。事実だったとしても言ってはいけないことがあるのだ。ピクピクとこめかみがひくついているのがわかる。

 しかし、不満を口に出すことは、やはり私にはまだ難しい。そういうわけで行動に出すことにした。右手のフォークを逆手に構え、三人の皿に狙いを定める。

 ──一閃。彼女達の皿からパイが一切れずつ私の皿にテレポートした。世紀の発明、お手軽空間魔法(物理)の完成だ。


「あーっ!」

「ちょっと!意地汚いわよ!」

「とっておいたのに……!」


 彼女達の恨がましい視線を受け止めながら、愉悦の笑みを浮かべてパイを頬張る。甘露甘露、まるで蜜の味だ。


「はは、仲がよろしいようで何よりだ。おかわりができたから召し上がれ」


 ささやかな復讐の最中、大皿を持ってくる。夏だというのにもうもうと立つ湯気が、出来上がったばかりだということを強く主張するそれは、私の席よりもテーブルの少し奥、三人の方にどんと置かれた。


「「「ありがとうございます!」」」


 熱々のミートパイのかぐわしい香りに、涎を垂らしてお礼を言う彼女達。私も負けじと自分の皿に取り分けようとするが──。


「?」


 父さんの手に待ったをかけられる。


「クロエはさっきいっぱい食べただろう?」


 父さんが意地悪な笑みを浮かべながらそう言い放つ。

 父さん、お前もかっ!?

 予想だにしなかった裏切りに、メキメキと心がひび割れる音がした。ショックを受ける私をそっちのけで、はふはふと口いっぱいに頬張る彼女達。まさに天国と地獄。

 ぐぬぬ……これが己の行為への報いか……。

 失意の内に夜はますます更けていく。


 ◇


 寝室のベッド。半年前までは家族三人で一緒に寝ていた特大サイズのものだが、今は私含め少女四人が独占してしまっている。そんなに気を使わなくても良いと父さんには伝えたのだが、「子供の内は甘えておきなさい」と優しく諭され皆で使うことになったのだ。


「もうちょっとそっち寄れないの?」

「無理」


 もぞもぞとスペースを確保しようと蠢く私達。いくら身体が小さいとは言っても、元々家族三人でもギリギリだったサイズだ。窮屈になるのは必定だった。

 寝相が悪い奴がいなければ良いのだが、ここで一番に挙げられるのはベラだ。一度寝坊しそうな彼女を起こしたことがあるのだが、部屋を仕切るカーテンの向こうの景色は異様なものだった。枕の位置に足が置かれていたことに気づいた時には自分の正気を疑ったほどだ。

 そんなわけで彼女の隣は何とか避けようと必死だったのだが、それはカペラも同じだった。普段、妹大好きな彼女がそこまで言うということは、つまりそういうことだ。

 結局ベラとカペラはそれぞれ両端で寝ることになり、今晩の犠牲者、もといベラの隣はシロナになった。友よ、すまない……。追悼の念を表しそのまま眠りに落ちる──。


「……ご両親、凄かったですね」

「うん、動きがほとんど見えなかった」

「魔法の予備動作もゼロに等しかったし、相当な手練れよね」


 と思ったのだが、微睡みの時間に入る前に雑談大会が始まる。

 もしや、これはあれか?修学旅行とかで「ねえねえ、誰のことが好きなの?」とかって話すテンプレのやつか?

 前世では、私が目をつぶった後から楽しそうなひそひそ声が聞こえてきて、枕を濡らしながら翌朝を迎えるという、今考えても泣ける結末だったことを思い出す。

 話している内容はそんな可愛げのあるものではなく、戦略等の非常に物騒なものだが、悲しくも未体験だったイベントに気分が高揚する。


「訓練もきつかった」

「明日は技術の方も教えてもらいたいけど」

「……頼めば喜んで教えてくれると思う」


 私がそう言うとシロナの引き攣った笑い声とベラの気合の入った鼻息が聞こえてくる。珍しくカペラは何も言わない。はて?と思い隣に目を向けるとやけに神妙な顔をしていた。


「そうすればアタシも……」

「……どうしたの?」


 小さく呟くカペラ。言葉の真意を尋ねてみると彼女は何かを悩む素振りを見せた。他の二人も気になった様子で黙っている。少しの間沈黙が場を支配するが、観念したように彼女は口を開いた。


「……悔しかったのよ」

「何が、ですか……?」

「『灰織手チィトカア』に追われたあの時、アタシは何もできなかった」


 普段はあまり自分の心情を吐露しない彼女の、その言葉に思わず息をのんでしまう。その間にも彼女の独白は続いた。


「あの後からずっと、考えてたのよ。あの時冷静になっていれば何かできたんじゃないかって。もし、皆に「雷纏ヘイスト」をかけていたら、誰も危険な目に遭わずに逃げられたんじゃないかって。そう思う度に悔しくてたまらなかった……」


 しょうがないことだとは思う。初めてのダンジョン探索、それもパーティーの指揮を担う役割で、だ。私の「爆裂球エクスプロージョン」だって一か八か、最後の賭けだったのだ。経験のない私達では最適解を最初から出すことなんてできるはずもない。精々その時々の最善を尽くすことしかできないのは当たり前だ。

 そう思ったが声には出せない。そんな正論では何の慰めにもならないのは私にもわかる。

 数秒の後、二人の声が沈黙を破る。


「そんなの私達だって同じです!あの時、そもそも引き返すことを進言していればって……」

「私ももっと集中して索敵してたら見つかってなかった」


 そして、ダンジョン探索の大反省会が行われた。皆、それぞれできたこと、やれなかったこと、失敗してしまったことを暴露していく。そしてお月様が登り切った頃、「明日からも一緒に頑張ろう」という締めの言葉で、今度こそ全員夢の世界へと旅立った。


 ◇


 翌朝、誰かの呻き声で目を覚ます。身を起こして声の方に目をやると、ベラの足に顔を踏みつけられてうなされるシロナの姿があった。

 ……南無。

 合掌の後、朝の支度をしているであろう両親のもとへ向かう。今日から稽古をつけてほしいと頼むためだ。


「おはようクロエ、よく眠れたかい?」

「うん、おはよう父さん」


 居間では父さんが朝ごはんを作っていた。母さんの姿を探してみると、椅子に掛けられた毛布が上下しているのが見えた。動きに合わせて寝息が聞こえる。どうやらまだ寝ているみたいだ。


「それで、何か用があるのかい?」


 父さんに促され、頼み事を伝える。すると父さんは二つ返事で快諾してくれた。これで取り敢えずの用件は終わった。これから何をしようかと考えていると、ふと部屋の隅の私達の荷物に目が行く。


「──あっ」

「うん?他にも何かあるのかい?」


 大事なことを忘れていた。荷物の中から、布に包まれた細長いものを取り出す。


「これは……」


 そう言って布の中を確認する父さん。中身を確認すると、目を丸くして驚愕していた。そう、中身は「灰織手」の脚だ。誰の所有物にするかしばらく議論したのだが、結局生存の功労者ということで、半ば押し付けられる形で私に預けられることとなったのだ。


「……私の武器にできる?」

「僕では無理だが、知り合いに腕の良い鍛冶師がいる。彼に頼めば問題ないだろう」

「ありがとう」


 忘れていたことも思い出し、すっきりとした気持ちになる。瞑想でもしようかと庭に出ようとすると後ろから手を引かれる。


「……どうしたの──」


 突然父さんが抱き着いてきた。一体どうしたのだろうかと尋ねようとすると、父さんが先に口を開く。


「……あんまり無理しないで。ちゃんと生きて帰るんだよ」


 ……どうやら心配させてしまったようだ。


「……大丈夫。父さんと母さんの子だし。それに──」


 父さんの手を握り返す。


「──皆もいるしね」


 頬を掻きながらそう言う。本人達には聞かれていないとはいえ少し恥ずかしい。そんな私の頭を優しく撫でてくれる父さん。その幸せを享受し、しばらく余韻に浸っていると──。


「──クロエ~、むにゃむにゃ……」


 毛布の中からそんな寝言が聞こえてきた。二人で顔を見合わせ、笑い声を漏らし、父さんは朝ごはんの支度に、私は日課の瞑想をしにいく。

 こんなに愛されているのだ。無事でいるためにも努力を欠いてはいけない。決意を新たに、一日の始まりを迎えたのだった。

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