第27話 隠世 其の一

 夏休み。幼少期は莫大な時間をどう使おうかと果てしない高揚感に胸を躍らせ、青年期は膨大な宿題の量をどう処理しようかと限りない絶望感に頭を悩ませる。

 まあ夏休みとはいっても、私が勝手に想像しやすいように頭の中で名付けただけで、実際はただの一週間の休暇であり、時期もホットな夏が過ぎ去って、だんだんと秋に向かって過ごしやすい気温になっているのだが……。

 それでも、学校が始業してから初めての長期休暇と言えば「夏休み」なのだ。これだけは断固として譲れない!

 そんな歓喜と悲鳴の声が織りなす調和と混沌が支配するイベント。この期間を友達と一緒に経た者は、人間関係において新時代を迎えるであろう。言わばコミュニケーション黎明期だ。


「あれは金木犀の芽かしら?」

「甘い匂い……お腹空いた」

「のどかで素敵な場所ですね」


 現在、辺境の街アグロスから私の実家へと伸びる道を、私達は歩いている。私の目の前にはいつものメンバー。それが表すことは一つ──。


 ──見よっ!あれが夜明けだ!私は遂に勝利したのだっ!!


 生まれて初めて。否、生まれ直しても初めて、友達と休日を過ごしているという事実に、脳内で勝鬨をあげる。

 私の実家に来ることになった要因は、それぞれ家族との縁が切れていたり帰省する家がなかったりと、全くもって歓迎できる内容ではないのだが、それでも嬉しいものは嬉しい。頭の中は既に凱旋ムード、お祭り騒ぎだ。

 こんなっ……!こんな奇跡が起こるなんて……!


「急にガッツポーズなんかしちゃって、どうしたのよ?」

「……何でもない」


 心の声が私の身体に誤作動を起こさせたようだ。無意識のうちに握りしめ、振り上げていた拳を下ろす。

 隣を歩くシロナが、クスクスと堪えるように笑っているのが見えた。

 ……恥ずかしい。

 そんな平穏なやり取りをしていると、カペラが前方を指さす。その先に見えるのは、愛しの我が家、そのはずなのだが……。


「ねえ、あれがアンタの家?」

「……うん」

「でも、何だか……」

「……変」


 そう、様子がおかしいのだ。

 周りの木々は薙ぎ倒され、年輪がはっきりと見て取れるほど滑らかな断面を見せている。枯れ葉が落ちていただろう根本には、その炭も残っておらず、風に吹き飛ばされたかのように白い灰が尾を引いていた。それなのに、地面は所々ぬかるんでいる。最近は雨が降っていないのにも関わらずに、だ。

 他にも、中途半端に盛り上がった土壁が焦土と化しているなど、まるでここだけ天変地異が起こったかのような、極めて異様な光景だ。


「……ベラ」

「何もいない」


 念のため武器を取り出し、この中で一番索敵に優れたベラに問いかけるも、答えは「怪しい気配はない」とのことだ。正体の掴めない不気味さに、とてつもない胸騒ぎに襲われる。

 まさか、母さん達に何か……?

 警戒を解かずに家の方に近づいていくと──。


「────っ!」

「~~~~っ!」


 そんな言い争うような声が聞こえてきた。その瞬間、全身全霊の力を以って、玄関めがけて駆け出す。


「──えっ!?」

「ちょ、ちょっと!」


 後方から私を制止するような声が聞こえてきたが、そんなのに囚われている暇はない。

 母さんっ……父さんっ……!

 その勢いのまま玄関のドアを蹴破る。吹っ飛んだ扉の向こう、家族と囲んだ暖かい食卓に見えたのは──。


「ふざけるなっ!正真正銘、クロエは僕達の可愛い娘だ!」

「だぁから、何であんな風に育ったのかって聞いてんだよ!」

「クロエ~~~!会いたいよ、クロエ~~~!」

「俺はてめえらのガキじゃねぇっ!」


 昼間からくだを巻く吞兵衛二人に絡まれた指導長官の姿だった。彼の持つ、あの時に見た覇気や迫力は、もはやその面影すらも見えない。


「「「「……」」」」


 調和もへったくれもない、純度百パーセントの混沌が支配する光景に、一同はしばらく立ち尽くしていた。


 ◇


「クロエ~~~!会いたかったよ~~~!」

「僕としたことが……恥ずかしいところを見せてしまった」


 久しぶりの我が家は懐かしさよりも新鮮さで満ちていた。未だに上気した頬を私の顔に擦り付けて泣き喚く母さんはいつも通りであるため例外として、酔いが醒めきっていないのか額に手を当て、深い溜息を吐く父さんに、最初は困惑していたものの、昼食をとりながら興味津々で父さんと話す三人。そして──。

 部屋の隅、腕を組んで目を閉じている大男をちらりと見る。腕や頬には浅い傷が散見され、ぼさぼさに伸びていたオールバックの髪は随分と短くなっている。何故、ここに指導長官がいるのだろうか?

 じろじろと観察していると、不意に彼が目を開ける。


「何だ?」

「……何でも……ないです」


 彼が向けてくる鋭い眼差しに、質問を言い出せずに視線を切ってしまう。一度植え付けられた苦手意識はそう簡単には払拭できない。


「僕達は冒険者時代からの知り合いでね。レオは君から話を聞いて尋ねてきてくれたんだよ。学校では上手くやっているそうだね」

「……俺はただ、そいつの言っていたことが本当かどうか確かめに来ただけだ」


 気まずい空気を察してくれた父さんが説明してくれる。指導長官の名前がレオであるという思いがけない新情報が出てきたが、あえて触れはしない。

 指導長官がここに来た理由はひとまずは分かったが、まだ気になることが一つあった。


「外のあれは何?」


 修理した玄関の扉を指さして、ベラが父さんに問いかける。そう、外の惨劇の痕がどうやって生まれたのか、それがずっと気になっていたのだ。

 その質問の瞬間から、徐々に部屋の温度が急激に下がっていくような感覚がした。いや、実際に下がっていた。室内の温度低下に、窓の外側が汗をかいているのが見えた。

 これはきっと、水魔法の適性が高い父さんの魔力が放出されているせいだろう。水魔法の熟練度が上がると氷も精製できるようになるのだ。

 補足だが、この世界には氷魔法なるものは存在しない。その理由は、恐らく魔力の性質に関係している。

 これは私が物理学や化学を少しかじっていたから推測できたことだが、魔力というのは粒子や波に働きかける外的エネルギーだ。

 例えば、火魔法は大気中の可燃性粉塵を摩擦させることによって意図的に粉塵爆発を起こさせ、その現象を一つの塊として操作することによって成せる業だ。実戦には向かないが、手袋をつけて指パッチンをすることで対象を燃やすという、どこぞの大佐の真似事も可能だ。

 他にも、水魔法は大気中の粒子の振動を減速させ、温度を低下させることによって水蒸気を水に、水を氷に変え、雷魔法は強制的に電荷分離を起こさせ、放電現象を起こし、土魔法は物質を構成する粒子の結合力を強めることで木でも金属に負けない強度を与え、風魔法は大気及び空気に慣性を無視した流れを与える。

 光魔法と闇魔法がこれら五属性と比べると特殊と言われるのは、光という自然現象が粒子と波の性質を併せ持つからだろう。

 また、それら魔法によって生まれた現象は、燃焼反応に使われた酸素のような、消費されたものを除いて、エントロピー増大の法則に従い、元の状態に戻る。「金剛化」によって硬質化した肌が元の柔らかさを取り戻すのもそのためだと考えられる。

 この推測が当たっていれば、アインシュタインもびっくりなトンデモエネルギーということになるのだが……。

 つまるところ、魔力というのはサイコキネシスや念力のようなものなのだろう。ゲームのように数値化されるとしたら、MPではなくPPであったというわけだ。

 だがしかし、魔力の原理に目星をつけられたからといって、自然科学の表面しか修めていない私には、どうして魔力が存在し、生物の体内や大気を漂っているのか。どうしてそれを操ることができるのかなどは、結局は知り得ようがない。

 故に、こちらで発展した魔法という技術を使用できるだけで、棚ぼた的に覚えていた現代知識で無双する、なんてことはできないのだ。


「少しね。僕達と彼でちょっとしたいざこざがあったんだ」


 表面上はいつも通りの笑みを浮かべた父さんがそう言う。額にうっすらと青筋を立てている。

 明らかに「ちょっと」の範疇ではとてもじゃないが収まりきらない光景だったように思えたのだが……?

 かつて見たこともないほどの雰囲気を纏う父さんの様子に、言葉を上手く口に出すことができない。


「どうして?」


 そんな私とは正反対に、自分のペースを崩さずに素直に疑問を口にするベラ。この状況で物怖じしないでいることに、素直に尊敬してしまう。それでいて、空気を読むときは読むのだから本当に不思議だ。これほどマイペースという言葉がしっくりとくる人物はそういないだろう。


「それはね……」


 ゆっくりと口を開く父さん。その迫力に、思わずゴクリと唾を飲みこんでしまう。この三人の間でどんな確執が、過去が、人間ドラマがあったのだろうか。


「彼がクロエのことを馬鹿にしたからさ!」


 ──はぁ……。どうせそんなこったろうと思ったさ。


 案の定、三人はあんぐりと口を開け硬直している。ぐうの音も出ないといった様子だ。魔力うんぬんは関係なく、部屋の空気がフリーズする。私は私で、羞恥や呆れを通り越して虚無顔をさらしているのは、鏡を見ずともわかる。


「これ以上付き合ってられるか」


 アルコールの力を借りた父さんのいつもより饒舌な娘自慢が始まろうというタイミングで、指導長官が吐き捨てるように呟き、玄関へと歩を進める。

 これをほっといてそのまま帰る気?

 うちの両親の親ばかさ加減は今に始まったことではないが、こんな状況を作り出した要因はこの人にあるのだ。それなのに、私達に丸投げしようだなんて、そうは問屋が卸さない。

 以前のこともあって、どう意趣返ししてやろうかと考えを巡らせていると、さっきまでむにゃむにゃと私の胸で項垂れていた母さんが声をあげる。


「あるぇ~~~?クロエ~、フードはどうしたの~~~?」


 うぇっ、酒臭い。

 そんな感想と同時に、これ以上ない妙案を思いつく。にやりと口の端を歪ませた私は、スッと指導教官の背中を指さした。


「──あん?」


 何か異変を感じたのか、彼は怪訝な顔でこちらを振り向く。そして、皆の注目が十分に集まったところで一言。


「……斬られた」


 その瞬間、ボンッ!と色とりどりの魔力と赤黒い殺気が食卓の和やかな空気を蹂躙した。


「レオ……君って奴は」

「てめえこの野郎。その汚え手でうちの子に何してくれてんだ?あぁん?」


 酔っ払い二人が、ゆらりと幽鬼のように立ち上がり、わずかに開いた口から呼気を漏らす。


「……はぁ、またこれか」

「ふざけるなぁぁっ!」

「ふざけんじゃねぇぇっ!」


 そして、修理したばかりの玄関扉を突き破り、家の前で超次元バトルをおっぱじめる。「また」ってことは、やはりあの災厄の痕は、私達が来る前のいざこざが残した傷痕なのだろう。


「……スゴ」


 外のドンパチを眺めながら、カペラがそんなつぶやきを漏らすのが聞こえた。

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