第26話 炎天 其の四

「──ロエさん!クロエさんっ!」


 誰かが悲痛な声で私を呼んでいる。手には、柔らかな感触と温かい体温が伝わってくる。うっすらと目を開けると、そこには見知らぬ天井、どころか暗すぎて何も見えない。状況が分からず脳内にクエスチョンマークが浮かぶ。


「……ここは……?」

「クロエさんっ!?起きましたよ皆さん!」

「驚いた、アンタって本当にタフね。ほんの数分で目を覚ますなんて」

「頑丈なのはいいこと」


 徐々に目が慣れてきて、ごつごつとした岩肌が広がっているのがぼんやりと見えてくる。

 そうだった。今はダンジョンにいるんだった。

 ぶっ倒れる前の記憶が蘇ってくると同時に、あの悍ましい悪魔の輪郭が脳裏に浮かび上がる。それだけで妙な汗をかいてしまう程に、アレは私に恐怖を植え付けてくれたようだ。

 視線を横に動かすと、シロナの顔が見える。ランタンの明かりが逆光になっていて表情は窺えないが、目元で何かがきらりと光っていた。


「無茶しすぎです。死んだらどうするんですか」


 雫が一滴、零れ落ちる。


「……ごめん」


 どうすれば彼女の涙を止められるのか分からない私には、それしか言えなかった。少女の影が揺らぐ。さらに怒らせてしまったかと、ぎゅっと目を閉じるが、想像よりも遥かに優しい感触が私の顔を包み込んだ。


「──私のお友達が無事でよかったです」


 耳元でそう囁くシロナ。その声には、先ほどまでの悲痛さはただの一片もなく、心からの安堵が籠っているようだった。そのまま優しく横たえられる。


「今、温かいものをお持ちしますね」


 そう言って少女の姿をかたどった天使が背中を向ける。その足取りはふらふらとしていておぼつかないものだった。心配になり、彼女を追いかけようと上体を起こすが、瞬間、頭がずきりと酷く傷んだ。


「いっ……!」

「コラ、まだ寝ときなさい。マナポーションを飲ませただけでまだ体内魔力は万全じゃないんだから」


 シロナと入れ替わりでカペラがやってくる。彼女の手にはモンスター除けの香があった。恐らく動けない私のために、ここを一時的な拠点としたのだろう。通路の片側は完全に土砂で埋まっているし、「灰織手チィトカア」もいない今、警戒すべき脅威は非常に少ない。


「……ありがとう」

「どういたしまして、寝坊助さん」

「……ベラにも」

「分かったわ。伝えとくから、もう休みなさい」


 その言葉に甘えて目を閉じる。瞼の奥に、もう化け物はいなかった。


 ◇


「シロナったら、心配性なんだから。どこにも目立った外傷はないのに、『自然治癒リジェネレーション』に『浄化ピュリフィケーション』まで使って」

「だって、本当に心配だったんですよ?」

「それで自分も魔力切れになってたら本末転倒」

「うっ……耳が痛いです」


 自然と会話が弾むパーティー。それもそのはず、あと数歩というところに、ダンジョンの入り口が見えているのだから。

 トラブルだらけの初ダンジョンだったが、予定していた時刻を大きく外れることもなく、私達は地上に戻ってこられた。

 実質的なパーティーリーダーであるカペラを先頭に、地上へと躍り出る。ランタンとは比にならないほどの光量に目が眩んだ。


「すぅ~、はぁ~……。やっぱり外の空気が一番ね!」


 茜色に染まった空を見上げながら、目一杯息を吸い込む。カペラの言う通り、地上の空気は格段と澄んでいるように思えた。閉鎖的な空間から戻ったことで、身体が反射的に伸びをする。

 私達は余韻を噛みしめたまま、ダンジョン入り口で簡単な検問を受けて、その足で学校へと帰還の報告をしに向かった。


「お帰り~」

「よく無事に戻ってきた」


 校舎に戻り運動場へと向かうと、ジンとアレクサンダーが迎えてくれた。運動場の真ん中にはキャンプファイヤーでもするかのように丸太が組まれていた。周りには他の生徒はいない。どうやら先発組の中でも私達が一番乗りで帰還したらしい。そのことに少しの優越感を感じる。


「では早速、ノルマを達成できたかどうか報告してもらおう」


 アレクサンダーの言葉に従い、戦利品もとい討伐したモンスターの素材を、バックパックから取り出す。姉妹がしっかり防腐処理をしてくれたはずだが、少しだけ臭いがする。きっと「愚者火ウィルオウィスプ」の熱の所為だろう。臭いはともかく素材自体には何の影響もないようで助かった。

 アレクサンダーが素材を検めている最中に、ジンは何やら木材をナイフで削っていた。それが気になって注目してしまう。

 あれは……十字架?


「気になるかい?」


 どうやら私の視線に気づいたらしい。ジンの問いかけに素直に頷く。するとジンは作業する手を止めずに語り掛けてくる。


「……残念ながら、君達よりも先に帰還した子達がいる」


 ……え?そうだったの?てっきり誰もいないから一番乗りかと。

 彼の言葉に、小さな優越感はすっかり鳴りを潜めてしまった。でも、それが削っている物と何の関係があるのだろうか?


「これはその子達を象った物さ。これを燃やして、煙を月まで届ける。そういう儀式なのさ」


 いつもの浮ついた空気を微塵も感じさせない声で、ジンはそう告げた。その言葉で全てを理解する。先発してほとんど最速で達成した私達よりも早く帰還したというのは、つまり……。

 横をちらと見ると、シロナが両手を前で組み、祈りを捧げるようにして立っている。

 あぁ……やはりそういうことなのだろう。

 ダンジョンは未知の領域も多い魔窟、世界に広がる謎の領域。その一端に触れるというのは相応の危険が伴うものだ。私達だって、五体満足で帰ることは出来なかったかもしれない。実際、今回私達が無事だったのも奇跡に近い。そう思うと、自然に胸に手を当てていた。

 ……この子達の冥福を。

 そして、素材を点検している仲間たちの方へと振り向く。私はまだ生きているのだ。ならば私は私のしたいことを、冒険を続けなければ。

 丁度アレクサンダーが点検し終えるところだったようだ。


「……十八、十九、二十。よし、合格だ!素材は君達で有効に使い──うん?まだ何か残っているようだが、それは?」


 アレクサンダーが指をさす。その先にはバックパックがあった。布でくるまれた何かが飛び出ている。


「あー、それは……」


 カペラが言い淀む。知られたくないものに目をつけられたというよりも、それをどう説明したら良いか困っている様子だ。無理もない。それの正体を知っている私達は、全員同じような表情を浮かべる。


「良いや、見てもらった方が早いかも」


 そう言って中身を取り出すカペラ。そこには闇を纏ったかのような漆黒の細長い物体があった。未だにぴくぴくと動いていて気色が悪い。これの持ち主の生命力がどれだけ強いのか想像に難くない。


「これは──」

「『灰織手』の脚の一部です。運よく撃退できましたが、討伐したわけではないので報告しようか迷っていました」


 経緯を説明するカペラ。それを聞くなり、アレクサンダーは私達全員を抱き寄せた。


「えっあの……?」


 まだ子供とは言え、日々鍛錬しているし身体も成長しているため、四人が密集するとそれなりに苦しい。特にベラの──どことは言わないが──発育は姉と違って目覚ましいので、呼吸もできない。困惑する私達を他所に、アレクサンダーは力を強める。


「良く……無事に帰ってきた……」

「ハイハイ、そこまで。皆苦しそうでしょ」


 ジンの助けがあって、ようやく脱出できた。せっかく息苦しい所から帰還したのに窒息死するところだった。

 しかし、アレクサンダーは何故、急にこんなことをしたのだろうか。纏う雰囲気も数段シリアスなものになっている。


「あの……お話を伺ってもよろしいでしょうか?」

「……」


 カペラがいつになく丁寧な口調で問いかける。普段、教師陣に対しては幾分か丁寧な彼女でも、ここまで畏まった口調になるのは珍しい。それに対して鈍い反応を示すアレクサンダー。普段の彼からは考えつかないほど沈鬱な表情を浮かべている。

 それを見つめるシロナの表情も悲しみの色を帯びている。どうやら聞いてしまったようだ。


「……ジン」

「アレックス、君の口から言うべきだ」


 ジンの名を呼ぶが、にべもなく振り払われる。


「あのっ、余計なことをお尋ねしました!忘れてもらって結構で──」

「──私には、弟がいたんだ」


 静かに口を開くアレクサンダー。その声に耳を傾ける。


「名前はアレン。八つ歳の離れた、元気な子だった。いくら冒険者は危険な職業だと言っても怯まない勇敢な子だったよ」


 思い出を語る彼の眼は、私達のさらに向こうを見つめていた。


「冒険者学校を首席で卒業するくらい、優秀だった。私が同じ頃とは比べ物にならないくらいに。それでも……あの子は帰ってこなかった」


 物憂げな表情ではあったが、優しい一面を見せていた顔がと歪む。


「遺体も、装備さえも見つからなかった。痕跡が途絶えたのは中層、『灰織手』の生息域付近だった」


 話が終わると居心地の悪い静けさが広がる。


「つまらない昔話をしてしまったね。この素材も君達で使いなさい。きっと役に立つ」


 悲しげに笑いながら私達の頭をそっと撫で、素材を布で包み直すアレクサンダー。その手には力が籠って震えているように見えた。


「本当に……良く帰ってきた」


 最後にその言葉を聞いた私達は、四人で寮への帰路についた。


 ◇


 自室にて、日課のステータスを確認する私。脳内に表示される情報とにらめっこする。めでたいことに「魔力操作LV4」に成長していた。それもそうだ、体内魔力を枯渇させる勢いで「爆裂球エクスプロージョン」を放ったのだから。あの時は火事場の馬鹿力的な力が働いたのか、普段は安全のために残してある魔力さえもかき集めていたような気がする。やはり生命の危機にあると人間はリミッターを外してしまうものらしい。

 しかし……それぐらいのことをしないと、もうスキルの成長は望めないのだろうか。或いは意図的にリミッターを外すことができれば……?

 危険な思想に陥っていることに気が付き、頭を振って邪念を払う。ゲームではないのだ。そんなリスクを冒して、命を失うなんてことはしたくない。

 ふうと息を吐く。どうせトラブルは向こうからやってくる。生きている限り成長の機会はいくらでもあるのだ。

 そう思考を締めくくり、眠ることにした。

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