第25話 炎天 其の三

「そんなへらへらして、何かあったの?」

「……何も」


 そんなに顔に出ていただろうか?カペラに横目で指摘される。

 あれから浮ついた気持ちが抑えられなくなっていた。ここはダンジョンで、いつ危険が迫って来てもおかしくない。いくらそう自分に言い聞かせても、私の口角が言うことを聞いてくれないのだ。

 シロナの方はというと、まるで今朝の出来事が夢だったかのように平静を取り戻していた。変化があるとすれば、雰囲気が以前にも増して柔らかくなったくらいだろうか。

 カペラの向こう側を歩く彼女に目を遣れば、片目を瞑って人差し指を口に当てている。彼女としては、まだ打ち明ける心の準備ができていないだけなのだろうが、一方でコミュ障な私はそんな所作にさえも顔を赤らめてしまう。

 そして、そんな挙動不審な私を再度じろりと睨むカペラ。先頭を歩くベラだけが警戒心を緩めずに役回りを果たしてくれている。周囲の雰囲気にのまれることなく仕事を果たす彼女のそのマイペースさが羨ましい。

 ため息にも似た深呼吸をする。そろそろ本当に気持ちを落ち着けなければ。上層部のほんの入り口である浅層。されどもここはダンジョン、人知の及ばぬ化け物が潜む魔窟。私達のような冒険者見習いが気を抜いて良いような場所ではないのだ。

 自分の置かれた状況を思い出し、ようやく気を落ち着かせる。冷静さを取り戻さないと、やはり普段なら気づくようなことも気づかなくなるようだ。カペラの顔を見つめ返す。


「何よ?」

「……顔が赤いように見えるけど、大丈夫?」


 どことなく頬が上気しているように見える。私のように何かに照れていたなんてはずでもなければ、体調を心配してしまうが……。


「そんなの、暑くなってきたからに決まってるでしょ。気づいてなかったの?」


 言われてみると確かにダンジョン内の温度が上がっているのを感じる。いくら季節は夏と言っても、直射日光の当たらない洞窟内の温度が急激に変化するとは思えない。

 慌てて地図を取り出してみるが、事前に確認したルートと寸分違わぬ道を歩いている。オラクル王国周辺には火山があるが、その地熱を感じるような道は選んでいないし、私達の中の誰も選ぶ気になるはずがない。火山周辺は浅い層でも危険度が段違いになるからだ。


「今度は何が出てくるのかしら」


 カペラは早くも次のトラブルを予感していた。彼女の言葉にもう一度気を引き締め、歩を進める。


 ◇


「ベラ!」

「了解」


「病毒蛇」が私に攻撃しようと鎌首をもたげたところを、闇から現れたベラが一瞬で刈り取る。こう温度が高いと蛇特有のピット器官も仕事をしないようだ。昨日の「夜蛇」はもっと警戒していて狩りにくかったが、簡単に注意を引くことができた。

「状態異常耐性」や「強靭」など、防御面のスキルが多い私が盾役を担うのは当然なのだが、やはり怖い。痛みに耐えられるだけであって、痛いものは当然痛いのだ。冒険者になったら前衛は誰か別の人にお願いしたい。


「ふう……」


 それにしても……暑い。空気が燃えているようだ。あれからモンスターを狩りながらダンジョンを進んでいたが、前進する度に温度が上昇しているように思える。


「確認だけど、討伐数は?」

「今ので十。昨日の分も合わせたら十七」


 汗で額に張り付いた前髪を鬱陶しそうにかき分けてカペラが尋ねる。

 ベラのカウント通り、昨日と今日で合わせて十七匹のモンスターを討伐した。パーティーの目標数まであと三匹といったところ。

 前進すれば確実にモンスターはいるが、ここまでの暑さは異常だ。しかも前進すればするほど温度は高くなっている。この異常事態の原因がこの先にいるのは間違いない。きっとここが生死の分かれ道だ。

「病毒蛇」の毒腺を処理し終わったカペラが指示を出す。


「引き返しましょ。残りは帰り道で討伐すればいいわ」


 彼女の言葉に私達も頷く。後発組とかち合ってしまうかもしれないが、その時はその時だ。ダンジョンは判明しているだけでも蟻の巣のように入り組んでいて分岐が多い。入口に近い所でも、モンスターがいるところはいくらでもあるはずだ。

 素材を回収し終え、四人が踵を返したその瞬間。


「「「「──!?」」」」


 奥の方から何かの気配がした。その気配はどんどんと増えていき、気配とともに咽るような熱気が膨れ上がってくる。全員が即座に振り返る。目を凝らすと青白い火の玉のようなものが近づいてきていた。


「──伏せて!」


 ベラが叫ぶ。その声に弾かれるように身を伏せた。

 すぐさま羽音が聞こえてきて、私達の頭上を灼熱の温度ともに通り過ぎていく。脅威はすぐに去り、羽音は地上の方向へと遠ざかっていった。辺りには陽炎が立ち込め、まるで火炎放射でも浴びたかのように土が焦げてガラス状になっている部分もある。


「『愚者火ウィルオウィスプ』の群れ?でも、なんでこんなところに……?」


 カペラが心底不思議そうにつぶやく。

「愚者火」は、危険度は低いが中層の地熱地帯に生息するモンスターだ。その名前から人魂のような幽霊的なものを想像してしまうが、その実態はこぶし大より一回り小さい蝿だ。全身から耐火ジェルのような体液を分泌させ、炎を纏う奇妙な虫。

 同じく地熱地帯に生息する「獄番犬ヘルハウンド」や「炎纏鬼ムスペル」と共生し、そのおこぼれとして腐肉を貪る、言わばコバンザメ的なモンスターだ。

 飛んで火にいる夏の虫という言葉があるが、自ら火を纏う羽虫というのは如何なものかと、授業で習った時にそう思ったのを覚えている。

 モンスターという不思議生物だからと言って、進化の方向性がいささか突飛ではないか?もはや生物としては歪なようにも思える。

 そんな事を考えていると、ジワリと背中に嫌な気配がした。振り返る首が動かない程の不気味さ。己の首に死神の鎌が掛けられているような、濃厚な死の気配。体中から冷汗が流れ出す。ギギギと首を回すと、そこにそいつは佇んでいた。

灰織手チィトカア」、大蜘蛛の怪物。八つの赤く光る単眼は、私達を完全に捉えて離さない。


「──走れぇぇっ!!」


 カペラが悲鳴にも聞こえる号令を放つ。その叫び声を皮切りに、私達は全速力で走り出した。

 灼熱の所為で足場の悪い道を、なりふり構わず逃走する。数分と走り続けてはいるが、その気配は未だに離れてくれない。

 ちらと振り返ると、闇の中を蠢く影が、音もなく確実に近づいてきているのが見えた。彼我の距離は想定よりも近い。

 ──やるしかないっ!

 走りながらも全神経を集中させ、膨大な魔力を練り上げる。出来上がったのは今にも崩壊しそうなほど膨れ上がった巨大な火の玉。いつぞやの模擬戦で、私がもろに喰らった「火魔法LV3『爆裂球エクスプロージョン』」だ。学校生活の中で私のスキルも、少しずつだが成長していた。


「あとは任せた!」


 信頼する仲間達にそれだけを伝え、「爆裂球」をぶっ放す。狙うは「灰織手」の顔面、ではなく私達が通過したばかりの通路の天井。私の渾身の魔法は、狙い通りの場所に着弾し、猛烈な閃光と爆音が大気を震わせる。

 ──ドドドドッ!

 すぐ後ろで土砂が崩れる音がする。しばらくして、もうもうと立ち込めていた土煙が晴れ、通路を塞ぐ土の壁が姿を現した。「灰織手」の姿は見えない。分断作戦がうまくいったようだ。

 脅威を退けることに成功したのを確認すると同時に、目の前が真っ暗になる。さっきので体内魔力を使い切ってしまったようだ。足に力が入らない。地面が目の前に近づいてくる。


「クロエさんっ!!」


 遠くでシロナが呼ぶ声が聞こえ、私はそのまま意識を手放した。

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