第23話 炎天 其の一

「携帯食料は持った?」

「ばっちり」

「各種ポーションは?」

「完璧です!」

「浅層と安全地帯の地図は?」

「……大丈夫、持った」


 じりじりと刺すような日差しの中、私達はカペラ主導の下、装備の最終確認を行う。昨夜も全員で確認したが、万が一ということもあるから気は抜けない。


「よし!それじゃ出発よ!」

「「「「おー!!」」」」


 私達はそれぞれの思いを秘めて足を踏み出す。多くの衛兵をかき分けた先、その目に映るは巨大な洞穴、ダンジョン。獲物を誘うかのように大口を開けたそれの威圧感に、誰かが唾を飲む音が聞こえた。


 一寸先も見えない暗闇へ、僅かな灯と大きな夢を手に、四人の少女が歩き出した。


 ◇


 時は遡って一週間前。六月の下旬に差し掛かり、学校生活の上半期が終わろうとしていた頃。私達が教室に入ると、教室全体が落ち着かない雰囲気に包まれていた。

 そこかしこでひそひそと話し声が聞こえたり、緊張で顔をこわばらせている生徒がいたりと、どこか色めき立っているような、そんな感じだ。


「何かあったの?みんなそわそわしてるみたいだけど」


 カペラが近くの生徒を一人捕まえて尋ねると、その生徒は少し意外そうな顔をした。


「中間試験の連絡聞いてないの?」

「中間試験?アンタ達は聞いた?」

「全然」

「初耳です」


 カペラがこちらにも目を向けてくるが、私の情報源は極々僅かであるため、当然皆が知らないことを私だけが知っているはずもない。首を横に振る。


「だって。どういう連絡だったの?」

「来週末に行うってさ。で、肝心の内容なんだけど──」

「皆さん席についてください。授業を始めます」


 これから本題というところでアメリアが教室に入り、授業の開始を宣言した。話の内容は気になったが、大人しく席に着く。あの日以来、アメリアには少し苦手意識を感じている。言うことに従わなければ何かをされるのではないかと、いらぬ想像を働かせるくらいには恐ろしい雰囲気を纏っていた。


「始める前に一つだけ連絡事項を。皆さん中間試験については耳にしているとは思いますが改めて」


 さっき聞けなかった話をしてくれるようだ。少しだけ得をしたような気分になる。


「試験は来週末から行います。試験内容はパーティー単位でのダンジョン浅層の探索及び、モンスターの駆逐、そして生還です」


 ──は?


「期間は五日。パーティー毎に時間を分けて出発します。ノルマは一人につき五匹。モンスターの素材は各々で活用して構いませんが、試験結果を測るため規定分は確保してください。皆さん心して準備するように。それでは授業を始めます」


 事務的に授業を開始するアメリア。結局、その授業の内容のほとんどは頭に入って来なかった。


 ◇


 仄暗い横穴を、腰に付けたランタンが照らしていく。出発してから一時間ほど経ったが、まだ何のハプニングも起きていない。

 雨の日が多かったせいかダンジョン内は蒸すような暑さだ。加えて、洞窟特有の閉塞感が気分を鬱屈とさせる。いくら広くて天井が高いからと言って、見上げても空は見えない。


「……この付近に生息するモンスターは?」

「『殺人蜂キラービー』に『死神蟷螂デスマンティス』、『病毒蛇ヴェノムヴァイパー』に『夜蛇ナイトサーペント』」

「危険度が低いもので言えば『一角兎アルミラージ』もいますね」


 湿気と沈黙に耐えかねたのか、カペラが問いかける。ベラとシロナが答えたのはこの区域に比較的多く現れるモンスターだ。浅層というだけあって、食物連鎖の最下層にある虫系統や小動物、それらを捕食する爬虫類系のモンスターが多い。

 そこまで考えて、はたと気づく。


「そうよね。んで、そいつらはここら辺にうじゃうじゃいるはずよね?」

「うん」

「それがどうかしましたか?」


 カペラも同じ違和感を覚えていたようだ。声に警戒心がこもっている。


「それならなんで、先発組の私達は何の気配も感じずにここまですたすた歩いて来られたわけ?」

「「──!」」


 ベラとシロナの顔が驚愕の色に染まる。私達の考えていることに思い至ったようだ。パーティーが不安感に包まれる。

 と、その時。


「──っ!?止まって!」


 先頭を歩いていたベラが小さく、それでも鋭い警告を発する。彼女の背中から確かな焦りを感じ取れた。いつも飄々としている彼女からは考えられない。


「どうしたの?」

「……」


 カペラも小声で聞き返すが、ベラは何も答えない。暗闇の奥のただ一点だけを凝視して私達を促すかのように指をさす。その指先は微かに震えていた。

 斥候を務める彼女ほど私達は探知能力に優れていない。腰のランタンを手に持ち前を照らそうとしたところ、ベラに手で制された。


「消して。そうすれば分かる」


 彼女の言葉に従い、私達はランタンの火を消した。暗闇に目が慣れるまでの数十秒がひどく長く感じられる。

 ようやく目が慣れたというところで、もう一度奥を集中して見てみると、鈍く光る小さな赤い点が見えた。その数は八つ。どれも私達の身長よりも高い場所にある。それを見つけた瞬間、全身の毛が逆立つのを感じた。あれは……目だ。

 ダンジョンの浅層とは言っても危険度の高いモンスターが現れないということはない。彼らは繁殖期になれば狩りやすい浅層の獲物を捕らえに上ってくることもある。


「『灰織手チィトカア』……」


 ベラが呟く。暗闇がもぞもぞと蠢く。それは巨大な蜘蛛の形を成していた。普段はもっと深い層に生息するモンスターだ。授業で習ったことが事実であるならば、熟練の冒険者が彼らの生息域に足を踏み入れて生還できる可能性は三割。彼らが繁殖期ならばその可能性はさらに下回る。私達には到底手に負えない怪物だ。

 私達は息を潜め、その脅威が去るのをじっと待つ。悠久にも感じる時間が流れた後、「灰織手」は踵を返し、奥へと向かった。それでも私達はしばらく動かない。まだ安全圏まで移動してくれたかは分からない。

 暫く経って、大きく息を吐き出す。息が詰まるなんてものではなかった。あんな緊張感は、出来ればもう二度と味わいたくはない。


「警戒を解かずに先に進みましょ」


 カペラの声に皆神妙な顔で首肯し、探索を続ける。


「うっ!酷い匂い……」


「灰織手」がいたところまで進むと、昆虫から小動物まで様々な死骸が転がっていて、死屍累々の様相を呈していた。むせるような体液や血の匂いが湿気とともに体中にまとわりつく。

 もっと酷いのはその死骸が奥へ奥へとまるで足跡のように続いていて、私達はそこを進むしかないということだった。

 他の道へ行けば危険度の低いモンスターがいるかも知れないが、それはつまり、またあの化け物とご対面する可能性があるということだ。そんなリスクを背負うくらいなら、既に狩りを終えた道を進む方がよっぽど安全だ。


「あーあ、これじゃ素材には使えないわね」


 もはや原型が分からないモンスターの足をぶらぶらさせながらカペラが言う。彼女の言う通り、死骸は全部めちゃくちゃな形になっていて使い道がない状態だった。

 結局私達はその死骸のパレードをしばらく歩き続けた。


 ◇


「……ここで合ってる……と思う」

「それじゃ、ここで休憩しましょう。ベラとアタシは安全確認、シロナはモンスター除けの香を焚いて。クロエは水場を用意して」


 数時間後、私達は安全地帯へとたどり着いた。カペラが、休息をとるための拠点設営の指示をきびきびと出していく。

 地上はもうそろそろ日が落ちる頃だろう。ダンジョン内の温度も少しだけ下がったような気がする。

 私は適当な窪みに水魔法を放ち水源を確保する。浅層ではあまり水場がない。だからこういう時には水魔法を使える人間が貴重なのだと習った。パーティー内にいない場合は飲み水を余分に携帯する必要があり、深層に向かうとなると、新たに外部から雇うこともしばしばあるのだとか。

 幸い私が使えるし、体内もダンジョン内も十分だ。数分と経たない内に窪みが水でいっぱいになる。

 同じタイミングで全員の作業が終わったようだ。空洞の中心に集まる。


「ご飯にしましょう!」


 カペラがそう言うと、ベラが待ってましたとばかりにカバンから蓋つきの容器を取り出す。中にはサンドイッチが並べられていた。瑞々しい見た目の野菜とハムが挟まれていて食欲がそそられる。

 それぞれ一つずつ手に取って、それを頬張る。簡素ながらも丁寧に味付けされていて、削られた体力と精神力が回復していくのが分かった。やはり食事というのは偉大だ。


「美味しいです!これはベラさんが?」


 シロナがそう聞くと、ベラは口いっぱいに頬張ったのか、リスのように頬を膨らませながら首を横に振った。


「アンタが準備してる間にアタシが作ったのよ。この子は家事がてんでダメなんだから」


 カペラの言葉に、普段のベラの部屋での様子を思い出す。確かに彼女は最初、洗濯もまともにできていなかった。当時は、どうしたらこの世界でこんな育ち方をするのかと不思議に思ったのだが、なるほど甘やかしてくれる存在が近くにずっといたからか。

 数カ月にわたる疑問が解消された。


 ◇


「『死神蟷螂』の鎌が二つに、『夜蛇』の皮が三枚、『一角兎』の角が二本ね」


 食事を終えた私達は、今日の戦果を確認する。先程水場で姉妹が死骸を処理して素材にしたものだ。その手際は非常に滑らかかつ丁寧なものだった。


「お尋ねしたいことがあるのですが」

「なあに?」

「どうしてお二人はそんなに手馴れているのですか?」


 素材を保管するカペラ達に質問を投げかけるシロナ。バッグに素材を詰める手を休めずにカペラが答える。


「子供の時からベラと一緒に動物とか地上のモンスターを狩っていたから、必然的に死骸の処理は身に着いたわ」

「突っ込むようで申し訳ないのですが、何故二人で狩りを?」


 そこで初めてカペラの手が止まった。


「アタシ達の……目標のためよ」

「目標とは?」

「ダンジョンの完全攻略、そして偉大な冒険者になるの」


 振り返ったカペラはにやりと口角を吊り上げながら宣言したが、その目は笑ってはいなかった。その目を見た時、胸の奥がきゅっと締まるような感覚を覚えた。それはきっと私が彼女たちの生い立ちを知っているからだろう。

 尋ねたシロナも何かを感じ取ったのか、少しだけ沈鬱な表情になり、パッとにこやかな笑みを見せる。


「それはすごいですね!私とクロエさんもご一緒していいですか?」

「もちろんよ!アタシ達の配下として名前を刻んであげるわ!」


 彼女達が道化を演じてくれたおかげで、雰囲気は元のように明るくなった。


「そういえば、アンタ達の話を聞いたことはなかったわね」


 そう言って私達に話を向けてくるカペラ。それからはしばらく談笑していた。私のこちらの世界の両親の話をした時、皆に「なんでこんなのに育ったんだ」と疑問の目を向けられたのが辛かった。

 その後は一人ずつ見張りを交代して休むことに決まった。私は最後の見張りだと決まったため、日課を済ませてすぐに眠りについた。

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