第19話 五月雨 幕間

「ハアッ、ハアッ……んぐっ、ハアッ……!」


 無我夢中で暗い穴をかける。ランタンはとうにどこかへ投げ捨ててしまった。一寸先も見えない暗闇の中、何度躓いたかも、何に躓いたのかも分からない、知りたくもない。

 前も後ろも分からない中、かすかに感じる気配から逃れるようにひた走る。それでも、気配との距離は一向に離れる気配がしない。肺が破けそうだ。

 先ほどまでけたたましく響いていた仲間達の悲鳴はもう聞こえない。彼らがどうなったのか、振り返って確かめる勇気など持ち合わせていなかった。

 とっくに体力は限界を迎えていた。このまま逃げ続けても、いずれは追いつかれるだけだ。どこかに身を隠せる場所はないかと、暗闇に慣れてきた目を凝らして先を見回す。

 ──あった!

 何処までも暗い穴の先に横道のようなものが見えた。最後の力を振り絞るようにそこを目指す。その道を曲がると、広い空洞のようになっていた。中に逃げ込み、壁に背を預ける。


「ハアッ……フッ、ハアッ……」


 気配を殺すために息を整えようとするも、恐怖のせいで上手くいかない。肺が、喉が、全身が震える。足に力が入らずにへたり込んでしまった。

 とその時。空洞の入り口に先ほどの気配がした。


「──!」


 ばっと口元を手で覆い、息を止める。そうしないと悲鳴が漏れ出てしまいそうだった。どれくらいの時間そうしていただろうか。数秒だったような気もするし、数時間だったような気さえする。空洞を窺う気配は、獣の息遣いとともにどこかへと去っていった。


「──ハアッ……!」


 気配を感じられなくなったところで、ようやく手の力を緩めた。もう少しで気を失っていたかもしれない。まあ、その方が楽になれるかも知れなかったのだが。

 脅威が去ったことに安堵し、今度こそ息を整えて現状を確認する。

 アレから逃げ切れたのは自分だけのようだ。一緒にダンジョンに入った仲間の半数は、目の前でアレに喰われ、その他の足音も逃げている最中に悲鳴とともに聞こえなくなった。彼らが無事だと考えるほど、おめでたい頭はしていない。


「畜生っ!こんなことなら、あいつの提案なんかにのるんじゃなかった!」


 頭の中に渦巻く色々な思いを叫ぶ。空間に反響する声に危機感を覚えるも、溢れ出す感情に歯止めがきかず、堰を切ったように捲し立てる。


「なんで俺がこんな目に!そもそも変なことを言い出してあの方を怒らせたのはあいつじゃないか!それなのに、どうして俺達だけこんなところに来させられて!あいつはのうのうと生きてるんだ!どうしてあんな奴が!」


 乱れた息も、つぶれそうな喉も無視してぶちまける。どうして、なんで、とひたすらにぶちまける。そうしてすべてを絞り出した後、もはや自分の声かもわからないほどかすれた声で呟いた。


「……帰りたい」


 もう全部どうでもいい。憧れの人に良く見られたいとか、自分のことを馬鹿にしたやつらを見返したいだとか、そんなちっぽけな自尊心も何もかも、全てがどうでもいい。

 俯いた顔から大粒のしずくが垂れる。


「……誰か……助けて」


 ──カタ。


「──!?」


 物音がした。何かがこすれるような、はたまた何か軽いもの同士がぶつかり合うような、そんな音だった。


 ──カタカタ。


 やはり幻聴ではないようだ。音は段々と近づいてくる。震える足に鞭を打って、戦闘態勢をとる。濡れそぼった目を細めて音の主を確認した。


 ──カタカタカタ。


 視線の先、暗闇の中から真っ白なしゃれこうべがぬっと出てくる。眼窩にたたえる深淵は完全にこちらを捉えていた。


 ──カタカタカタカタ。


「……『竜牙兵スパルトイ』か。驚かせるなよ」


 ほんの少しだけ気が緩む。さっきの化け物に比べたら、さほど脅威にも感じないモンスターだ。地上でも何度か見かけることもあった。この程度の相手ならなんとかなる。そんな淡い希望を抱いてしまった。


「え?」


 ──カタカタカタカタカタ。


 二体目の「竜牙兵」が暗闇の中から現れる。おぞましい気配はとどまるところを知らない。


 ──カタカタカタカタカタカタ。


 三体目、四体目の「竜牙兵」が深淵から這い出てくる。それらの顎は、まるでこちらを嘲笑うかのように音を鳴らし続けている。

 そして──。


 カタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタ。


 髑髏の群れはどんどんとその数を増していき、やがて空洞に覆っていた暗闇が、白骨に埋め尽くされた。カタカタという不気味な笑い声が辺りに響く。


「ひっ、く、来るなぁっ!」


 腰を抜かしながら空洞の出口へと後退りする。やっとのことで出口へと到達したところで、ふと頭上から生暖かい風が吹いた。見上げると、そこには人一人は丸呑みできそうなほど大きな獅子の咢が開いていた。ぼたぼたと生臭い唾液が垂れる。


 そうしてハンスこと、ヨハネス・フックスの絶望は幕を閉じた。

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