第18話 五月雨 其の二

「……フッ……フッ」


 翌朝、私は暗い部屋の中で筋トレをしていた。昨日の雨がまだ止んでおらず、雨粒が窓を叩く音が部屋に響く。良い時間だが、カーテンを開けてみても窓から日の光が差すことはない。

 普段なら運動場に移動してトレーニングをするのだが、朝からびしょ濡れになって洗濯物を増やしたくはない。天気もそうだが、洗濯物を部屋干ししているせいでいつもよりどんよりとした朝だった。


「おはよう。何時?」

「七時」

「そう。準備するからちょっと待って」

「うん」


 丁度起きたベラが、目をこすりながら洗面所へと向かうのを見送る。ベラとの共同部屋生活もだいぶ慣れた。彼女はやはり物静かな子で、基本的にはあまり喋らない。

 二人きりの時は挨拶や会話を数回かわすくらいで、そのことを気にする様子もないから、私としても要らぬ気を揉まずにのびのびと生活できている。その代わり、仲が良くなっているのかが分かりづらいのが玉に瑕だが……。

 それでも、家族でもない同年代の子と喧嘩もせずにうまくやれているというのは、圧倒的コミュ障である私に自信をつけさせるには十分すぎる成果だった。


「終わった。行こう」

「うん」


 洗面台から制服に着替えたベラが出てくる。朝の支度を終えた私達は、一緒に食堂へと向かった。


 ◇


 食堂に到着した私達、いつも四人で座っている席を見てみると誰もいない。今日は私達の方が先だったようだ。それぞれで朝食を選び、席に着く。私はベーコンエッグを乗せたトーストとスープ、ベラはミートソースがたっぷりかかったパスタだ。


「食べよ」

「うん」


 シロナとカペラを少し待ってみたが、来なさそうなので先に食事を始めてしまう。一口で結構な塊を頬張るベラ。飛び散るどころか、口の周りにソースがついたりもしていない。その高等技術はどうやって身に着けたのだろう。

 それはさておき……。

 ここにいない二人はどうしたのだろう?この時間帯に集まらないのは、私達四人の生活習慣が固まってからはあまりなかった状況だ。どちらか寝坊していたりするのだろうか。そんなことを考えているとベラに話しかけられる。


「今日のモンスター学の小テストなんだけど」

「えっと……水生型のモンスターの特性?」

「うん。『スキュラ』と『カリュブディス』の縄張りになる層は──」


 会話の内容を除いてしまえば、どこにでもあるような学校の風景だ。ついに自分も、傍観者ではなく当事者になれたのだと実感しては感動する毎日。前世の私ではとてもじゃないが考えられない。

 だが、そんなささやかな幸せも永遠には続かない。


「──失礼、邪魔をする」


 私達に声をかけてくる人がいた。声変わりする前の男の子のような中性的な声。振り返ると、そこにはソフィアがいた。いやな記憶がフラッシュバックして、呼吸が一瞬浅くなる。あれ以来話したことはなかったというのに、一体何の用だろう?


「食べてるから待って」

「っ……。わかった」


 強制力を感じさせるオーラを纏って話しかけたソフィアを、「食事中だから」というだけの理由でバッサリと切り捨てるベラ。身分の違いとかもあるだろうに、ソフィアの方も大人しく了承したのには驚いた。前もそうだったが、この人自身は自分の身分をひけらかしたりはしないようだ。

 そのやり取りの間に、水を一口飲んで落ち着きを取り戻す。いつもは独特の間で私達のペースを乱すことも多い彼女だが、今回はそのマイペースさに助けられた。

 カチャカチャと食器のこすれる音だけがしばらく鳴り、私達の食事が終わったところで今度はベラが切り出す。


「で?」


 おい。待たせておいて「で?」って、それはさすがに……。

 そう思ったが、ソフィアの方は少しだけ驚いたような顔をしただけで起こるような雰囲気はない。この人は取り巻きを全員追っ払った方が得をするのではないか?


「ああ、本題の前に……。クロエ、だったか?」


 こちらを向いて私の名を確認するソフィア。緊張する気持ちを抑えるように、ゆっくりと首肯する。


「あの時はすまなかった。それと謝罪が遅れたことも重ねて詫びる。すまなかった」


 そう言ってスッと頭を下げるソフィア。肩口まで伸ばした綺麗な赤毛が彼女の顔を隠すように垂れる。


「……大丈夫……です」


 謝罪を受け入れたことを相手に伝えると、彼女は面を上げた。彼女はどこまでも真剣な目をしていた。その目を見た瞬間、少なくともソフィア個人に対する苦手意識はきれいさっぱり消え去った。


「ありがとう。挨拶が遅れた。私はスカーレット家長女、ソフィア・スカーレットだ。他の者と接するように、無理にかしこまる必要はない。よろしく頼む」

「……クロエ」

「ベラ」


 軽く自己紹介と握手を交わす。ソフィアの手は、まだ同い年だというのにまめの痕が所々にあり、良く鍛錬しているというのが分かる。


「それで、君達に声をかけた理由だが……」


 そこまで言うと、もごもごと口ごもるソフィア。そんなに聞きづらいことなのだろうか?


「その……君達が戦闘技能の授業で先生方から、一本取ったというのは本当か?本当ならどうやったのかを尋ねたかったのだが……」

「……?」

「なんで?」


 そんなことを言い出すソフィア。私達が疑問に思うのも仕方ない。私達のクラスのあの少年が言うには、ソフィアは最初の模擬戦から一本取り続けているというのだ。それなのに昨日たまたま一本取っただけの私達に方法を聞くというのは、場合によっては嫌味にも聞こえるが、そんなことをするような気質じゃないのは分かる。


「その……何と言えば良いか……。ええい、まどろっこしい!」


 一頻りまごついた後、勢いに任せて口を開くソフィア。


「私は一番の成績を収めたいのだ!」


 火を噴きそうなほど、羞恥で顔を真っ赤に染めて言い放つソフィア。そのまま、赤裸々に自分の思いを言葉にしていく。


「知っている者もいるかも知れないが、私は今代の勇者様の側近候補として選ばれている。それに見合う実績として、冒険者学校を首席として卒業したいのだ。その一環として戦闘技能の小テストでも、独力で一本を取り続けられるように努力してきたのだ。しかし、最近の小テストでは私一人の力では厳しくなってきている。そこでパーティーとしての作戦が必要だと考えたのだが……」

「……だが?」

「──私は一人での戦い方しか知らないのだ。故に何も思いつかなくてだな……」


 なるほど、それで私達に作戦を尋ねたと。だが、彼女を慕う生徒は多い気がするのだが、その子達には聞いたりしないのだろうか?


「仲間に聞いたら?」


 ベラも私と同じことを考えたのだろう。ソフィアにそう尋ねた。


「それがだな……。これも私の不徳のなすところなのだが──」


 暗い顔つきになって話の続きをするソフィア。どうやら彼女の取り巻き連中が、彼女のことを褒め称えるあまり、彼女と一緒に模擬戦を受けるパーティーメンバーのことを悪く言ってしまったらしい。それに気を悪くしたパーティーメンバーは彼女の話も聞かず、模擬戦中に協力もしてくれなくなった、と。

 実に子供らしい喧嘩だが、このくらいの歳の子ならそんなものだろう。


「──それで、私から謝罪してわだかまりを解決し、パーティーで小テストに臨みたいのだが、その時に『では、何か作戦はないか?』と開口一番に尋ねるのも気が引ける。それで私からも何かを用意すべきだと思ったのだ」


 話したいことを全部話し終えて、彼女は一息つく。


「その前に、そいつら追っ払ったら?」


 ストレートに言い捨てるベラ。身も蓋もない意見だが、私もそっちの方が先だとは思う。原因を排除しないままに関係修復を図っても意味がない。


「そうしたいのは山々だが、彼ら彼女らもまた貴族だ。私の家格が他より少し高いとはいえ、無視することは出来なくてな……」

「「……」」


 ……かわいそうだなぁ。

 素直にそう思った。自分の思いと生まれに板挟みにされて、何をするにも周りの目が付きまとう。有力な貴族というのも苦労が絶えないようだ。数年後、いや数か月後には彼女のきれいな赤毛もストレスで真っ白になっているのではなかろうか。そう思わずにはいられない。


「おはようございます」

「おはよう。ん?アンタは……?」

「ナイスタイミング」


 丁度良いタイミングでシロナとカペラがやってくる。ソフィアがカペラに自己紹介し終えるのを待って、ベラがカペラに尋ねた。


「お姉ちゃん」

「うん?」

「作戦の考え方は?」

「何よ、急に。いつも四人で決めてるじゃない」

「お願い」


 カペラは、妹の突然のお願いに戸惑いながらも持論を展開する。


「わ、わかったわよ。そうね、まずは相手と自分達の力量差、それとお互いの手札。これが基本ね。それらを軸に基本の陣形とパターンを作って、あとは実践の中で状況に応じて指示を出せば、どんな馬鹿な考えでも作戦になるわ。これでいい?」


 その答えを聞いている間、ソフィアはキラキラとした目で食い入るようにカペラを見つめていた。ベラは「ありがとう」とだけ言うと、ソフィアに向き直る。


「あとは自分で考えて」

「──ああ!感謝する!」


 そう言ってきびきびとした足取りで食堂の出口へと向かうソフィア。


「……どういうこと?」


 カペラだけが、その背中をポカンと見つめていた。


 ◇


「へー、難儀なことね」


 時間は昼。戦闘技能の授業を終え、誰かさんの遅刻のせいでバタバタして説明できなかった今朝の出来事を話しながら、タオルを片手に食堂に向かっていた。雨の中でのトレーニングは思った以上に体力を使うもので、私達四人のお腹はめいめいに悲鳴をあげている。


「あ」


 横を歩くシロナが、何かに気づいたように声をあげた。


「どうしたのよ?」

「いえ、あちらにソフィア様が見えましたので」


 振り返ったカペラにそう答えるシロナ。四人の視線がそちらを向く。視線の先には、三人の男女と一緒に歩くソフィアがいた。周りの生徒は、見たことがない。少なくとも前に見た取り巻き集団の中にはいなかったように思える。

 上手くやれたのだろう。話し込んでいる彼女達の顔からは悪い感情は窺えない。


「なーんだ。大丈夫そうじゃない」


 拍子抜けしたように言うカペラ。シロナも口に出したりはしないが嬉しそうだ。彼女だけはソフィアと以前からの知り合いだったから、話を聞いて色々と思うところがあったのだろう。

 入学した日のあの件があってから、気まずそうではあったが何回かやり取りしていた様子もあったし、仲は相当良いはずだ。そりゃ心配にもなるというものだ。

 その内、皆でご飯食べられたらいいなぁ……。

 そんなことを思いながら四人で食堂へと入っていった。


 その後の授業もいつも通り過ごし、時刻はあっという間に夜になっていた。シロナと授業の予習、復習を済ませ、良い時間だから寮に戻ろうかと話していた時だ。


「おー、君らいいとこに」

「ジン先生?」


 放課後はめったに出会わない先生と出会った。私達に何か用事でもあるのかこちらに駆け寄ってくる。


「突然で悪いね。ハンス君を見なかったかい?」

「ハンス様?いえ、見かけておりませんが……」


 ハンス……って誰だったか?記憶の引き出しを片端から開けてみるも、残念なことに思い当たる節がない。

 まいったなと思っていると、シロナから助け舟を出される。


「初日の放課後にカペラさんに言い負かされたあの方ですよ」


 あー、あの子か。ハンスって名前だったのか。しかも、シロナが「様」ってつける辺り、あの子も貴族なんだろうな。

 無事顔は思い出せたが、歴史学の授業が終わってから見かけていないので正直に答える。


「……見てないです」

「そうか、ありがとう。気を付けて寮に戻りなよ。


 そう言うと、足早に去っていくジン。


「何かあったのでしょうか……?」


 なんとなく不安になるやり取りだったが、私達は何も知らない。結局そのもやもやは部屋に戻っても解消されず、一日を終えるのだった。

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