第16話 春陽 其の三

「……うぅ……ん」

「起きた」

「こっちが先にお目覚めとはね」


 ゆっくりと瞼を開ける。視界いっぱいに日光が入ってくる。眩しい。視点を動かすと、カペラとベラが近くで座っていて、傍でシロナが寝ている。今はどういう状況なのだろう?


「気分はどう?ちゃんと立てる?」


 カペラの問いかけに答えようとするも、ズキズキと酷く頭が痛む。上半身を起こすと、額から何かが垂れてきた。汗だろうかと思い手をやると、ぬめりとした嫌な感触と刺すような痛みが襲ってくる。指先が真っ赤に染まっていた。


「いっ!」

「触らないで、これを飲むといいよ。少ししたら治るし、明日には痕も残らない」


 ぬっと気配がして、ジンが現れる。一体どこにいたのか全然気づかなかった。タオルと緑色の液体が入った小瓶を差し出してくる。きっとポーションだろう。血のついていない方の手で受け取る。


「何も怪しいものは入ってないからぐいっといっちゃいなよ。ぐいっと」


 別に特段怪しんではいなかったのだが、こんな怪しいオーラ満載の人に敢えて「怪しくない」と言われると、どうしても怪しく感じてしまう。ジンを睨むと、どこ吹く風といった様子でニヤニヤと笑っていた。目だけしか見えていなかったが直感で分かる。からかうためにわざと怪しませるようなことを言ったに違いない。横目で姉妹の表情が見えたが、若干引いていた。

 まあ、まさか毒が入っているなんてことはないはずだ。腹をくくって一息に飲む。

 ──ゴクッゴクッ。

 うぇー、に、苦い……。薬独特の匂いと、粉末タイプの漢方薬にも似た苦み、おまけに沈殿していた成分が口の中に残って不快感が残る。あの時、飲みやすく調合したって父さんが言っていたのは本当だったんだ……。これならなるべく飲みたくはない。空っぽになった小瓶を握りしめながらそう思う。


「おー、全部飲めたんだ。なら安心だ」


 少し驚いた様子を見せるジン。全部飲むのは何か変なことだったのだろうか?


「ポーションを飲めるかどうかは、冒険者見習いの登竜門にもなってるんだ。大体の子は、最初は苦くて飲めないって言うし、慣れないと中々苦く感じるけど、負傷時に『苦いから飲めません』なんて言ってられないからね」


 ふーん、そういうものか。確かに私も前世の子供の頃は、風邪をひいたときは漢方薬をココアに混ぜたりして飲んでいたし、そのまま飲めるようになったのはそれなりの歳になってからだ。登竜門というのは大げさに聞こえなくもないが、実際大事なことなのだろう。

 そう言えば、と思い姉妹の方を見る。彼女たちは怪我をしていないようだが、すでに処置済みなのだろうか?参考までに横たわっているシロナを見ても外傷らしいものは見えない。


「いやー、ごめんね?あのバカが力加減ミスっちゃって。何でも、君が他よりも丈夫そうに見えたらしくて、『つい力が入ってしまった』とか言い訳してたけど、お灸は据えてやったし、わざとじゃないから許してやってよ」


 私だけが怪我をしている理由を、少しだけ申し訳なさそうに話すジン。それを聞いて思わず身震いしてしまった。怪我をするくらいならなんてことはない。今までの特訓でも怪我をすることはあったし、母さんの狩りを手伝うこともあったから、血やその他のグロテスクな物にもある程度耐性は出来てしまっている。

 しかし、それよりも加減を少し間違えたというだけで怪我をしたという事実と、それを軽い雰囲気で流したことに戦慄を覚えたのだ。アレクサンダーがもう少し力を出していたら、死ぬとまではいかなくとも、大怪我をしていたかもしれない。ジンはそれを踏まえながら、「やってしまったものは仕方がない」くらいの感覚で話している。彼らが本気になれば、私ごときはためらうこともなく殺せる。そう言外ににおわせているような気がした。指導長官と対峙した後と同じ、自分が何もできずに死ぬことへの恐怖を感じて止まなかった。冷汗が頬を伝う。

 ジンがすっと目を細め、今までとは違う真剣な雰囲気を纏う。


「君は頭がいいね。何を恐がるべきか分かってる。その感覚を忘れちゃだめだよ。それを忘れた奴から死んでいく」


 そうアドバイスして、別のグループと一人で戦っているアレクサンダーの元へと歩いていく。先ほどの真剣な表情とは打って変わって気怠そうな雰囲気を纏った後ろ姿に拍子抜けしてしまう。


「ぅん……。あれ、皆さんどうしたんですか?」


 シロナが起きたようだ。目をこすりながら私たちを順番に見てそんなことを言う。どうやら本当に怪我も何もないようで、ほっとした。姉妹もシロナのことが心配だったのか安心した様子を見せている。


「ようやくお目覚めね、寝坊助さん」


 カペラの物言いに、シロナは一瞬だけ不思議そうな顔をした後、はっとして慌てだす。


「模擬戦はどうなったのですか!?私たちの作戦は?いいえ、それよりも皆さんお怪我はありませんか!?カペラさんの反動は大丈夫なんですか!?……えっ!クロエさん頭から血が!?」


 わたわたと早口で捲し立てて状況を確認しようとするシロナに、カペラが代表で説明する。


「落ち着きなさい。コイツの怪我なら大丈夫よ。もうあらかたの処置は終わっているわ。それと、模擬戦は……アタシ達の負けよ、完膚なきまでにね」


 カペラの説明に合わせてタオルで血をぬぐい、大丈夫だということを伝える。状況を飲みこんだシロナはほっと胸を撫で下ろした後に、少し悔しそうな顔をする。


「そう……ですか……」

「アタシたちの番は終わったから、今回は休憩してて良いそうよ。だから一緒に見学しましょ。次があるかもしれないんだから、それに備えないと」


 カペラの提案にベラが頷く。この姉妹の強かさには驚かざるを得ない。私とシロナも合意して、戦闘が見やすい所に移動する。

 ──ッギィーン!ッボカーン!


「うわぁ、えげつないわね。どうやったらあんな芸当ができんのよ」


 カペラの呻きに三人同時に頷く。まるで意味が分からない。私達はいったい何を見せられているのだ。何をどう鍛えたら、二人以上の剣を同時に捌いたり魔法を剣で受け流したりできるというのだ。アレクサンダーと実際に戦っていなければ、幻覚か何かだと疑ってしまうような光景だ。


「……また倒れた」


 それに加えて、神出鬼没に表れては一撃で後衛を昏倒させるジン。音も気配も発さず、背後に現れる様は、死神か幽霊の類に見えてくる。

 きっちり五分で子供達を全員ノックアウトしては、次のグループを呼び出してまた戦闘を始める。大量生産する工場のレーン作業にも等しい手際だ。

 子供達の中には私達より体格が大きい子や、カペラに負けず劣らずの魔法を使う子もいたが、それがどうしたと言わんばかりに蹂躙していく。最後のグループの子たちが倒れる頃には、男女問わず死屍累々の様相を呈していた。

 アレクサンダー達は、一時間近く戦っていたというのにちっとも疲れた様子がない。十分ほどの休憩の時間が終わると、注目を集めるようにパンと手を鳴らし、とんでもないことを言い放つ。


「これから、授業が終わるまで全員ランニングだ。私達は一分経ったら遅いペースで走り出すが、追いつかれた者は昼食抜きだから手を抜くんじゃないぞ」


 生徒達からどよめきが起きる。無理もない。授業が終わるまであと二十分はあるのだ。それまで、あれ程の実力差がある相手から逃げ切るなんてことは不可能に等しい。


「こ、こうなったら……」


 カペラが覚悟を決めた表情で何かを言う。


「ちなみに魔法を発動したら問答無用でペナルティがあるからくれぐれも馬鹿な真似はしないように」


 カペラが今度こそ絶望したような表情で崩れ落ちる。コイツ、そんなことを考えていたのか……。


「それでは今から一分数える。押し合ったりはしないように。よーい……」


 全員に緊張が走る。ゴクリと、誰かが生唾を飲む音が聞こえた。


「ドン!」


 我先にと駆け出す生徒達。先頭集団のごたごたに巻き込まれないように一つ後ろを走る。ベラも同じことを考えていたようで、隣についていた。いつあの狩人たちが動き出すのかと気持ちが焦る。両親と暮らしていた頃に狩っていた獣もこんな気持ちだったのだろうか。

 そんなことを考えていると、後方から「ギャー!」や「うわー!」という叫びが聞こえてくる。どうやら彼らが動き出したみたいだ。つかまりたくない一心で死ぬ気でペースを上げた。


 ◇


「これで今回の授業は終わりだ。お疲れ様」

「おつかれー」


 ようやく地獄が幕を閉じた。結果は誰一人として逃げられず、誰かのお腹の音が無残に響く。ちなみに最後に捕まったのはベラだった。途中まで隣にいたはずなのだが、いつの間にか背中が見えなくなっていたことには驚いた。

 教官二人が運動場を後にする。ふとアレクサンダーが振り返って衝撃の一言を放った。


「それと、昼食抜きというのは冗談だ。皆よく頑張った。しっかり食べて午後の授業に備えなさい」


 その言葉を聞いた私達は一瞬ポカンとして、皆殺気を放つのだった。


 ◇


「次に戦うときは絶対にアタシの魔法でぶっ飛ばしてやるんだから!」

「ん」


 食堂にて戦意を漲らせる姉妹。しかし、ガツガツと食べながら言われてはその気迫も台無しだ。当然のように私達と同じ席で食事しているのは疑問だが、賑やかになったのは素直に嬉しいため、不問とする。


「アンタ達も次までに何か考えておきなさいよ!」


 そう言って私とシロナの方にスプーンを向けてくるカペラ。意見には大いに賛成だが、口に物を入れながら話すのはやめてほしい。少しは妹を見習ってほしいものだ。ベラはあんなにいっぱい頬張っているのに、音も立てないしどこにもこぼしていない。もはや行儀が良いのか悪いのかも分からない。


「ですが、剣も魔法も届かないのはいったいどうすれば……」

「そこなのよねぇ……。木剣の硬さも疑問だし、アタシの『雷槍ライトニングスピア』をどうやって防いだのかも分からないし」


 実はそのからくりには、見学中に戦闘を客観的に見たことで予想がついていたのだが、確信ではないため言い出しにくい。


「クロエさん?何か思いついたのですか?」


 シロナに心中を見透かされたようで驚く。


「なによ、何かわかったんなら行ってみなさいよ」

「えっと……」


 カペラに急かされるまま、ゆっくりと推測を述べる。魔法はスキルLV2になるとそれぞれの属性の性質を付与する術を習得できる。例えば、土魔法の「金剛化ヴァジュラ」は、自分の身体を土や金属のように硬化させ、光魔法の「白夜ホワイトアウト」は空間に光を屈折、反射する性質を付与して、地形や距離感を蜃気楼のように認識できなくさせるといった風に。それらは体内の魔力か空間の魔力かといった違いはあるが、魔力を操作することによって可能な技だというのは同じだ。そして、体内の魔力はLV1のショット系のように体外に放出可能。つまり──。


「木剣に『金剛化』を付与したってことね」

「……多分」


 そう、木剣に「金剛化」を付与することにより、金属にも負けない丈夫さを与え、カペラの「雷槍」も纏った土属性の魔力で相殺したというのがアレクサンダーの使ったトリックに違いない。それも膨大な魔力と卓越した技術が必要なトリックだ。


「……がんばりましょ」


 カペラの声に三人同時に頷く。目標が遥か先にあることを知り、何とか立ち上がって次の授業に向かった。


 ◇


「では授業を始める。今回はモンスターの歴史についてざっと話をしていこう」


 午前中と同じ教室でモンスター学の授業が始まる。モンスター学の先生はバーチというお爺さんで、身長が低く、まばらな白髪と立派な白い髭がいかにも学者といった雰囲気を漂わせていた。


「モンスターが確認されたのは今から約千年前、今はダンジョンと呼ばれている大穴から見たこともない獣が姿を現したと伝えられており、その当時は妖魔と呼ばれて恐れられていた」


 朗々とした語り口でまるでおとぎ話のようにモンスターと人類の歴史を語るバーチ。途中からは酪農の家畜としてやペットとして飼育されている、比較的友好な種のモンスターの話など興味深い話が続いた。


「これで授業は終わりだ。寮の各部屋に資料を手配するから予習しておくように。次からは授業の初めに小テストもやるからな」


 それでモンスター学の授業は終わり、少しの休憩時間の後、若い女性が教壇に立ち、歴史学の授業が始まった。その女性の姿を見た時、私は唖然としてしまう。


「皆さん、私はエリナと申します。普段は冒険者ギルドに勤めていますが、この度臨時講師として皆さんに歴史学を教えることになりました。不慣れな点もありますが、よろしくお願いします」


 そう、その女性はあのエリナさんだった。思わぬ出来事に頭が追い付かない。


「それでは授業をはじゅめます」


 ──噛んだ。間違いなくエリナさんだと確信する。エリナさんの顔は今にも火を噴きだしそうなほど真っ赤になっている。頑張れ、エリナさん。


「……こほん。気を取り直しまして、今回から数回にかけて人類史の中でも、このオラクル王国についてお話していきます」


 そこからはエリナさんも噛むことなくすらすらと話していく。途中途中で雑学なんかもあったりして聞いていて楽しい授業だ。


「──次にオラクル王国の国教でもある、ルアーノ教についてその成り立ちからお話しましょう」


 エリナさんが「ルアーノ教」といったところで、先ほどまで楽しそうに授業を聞いていたシロナの手がピクリと動き、震え始める。


「……大丈夫?」


 心配になって尋ねると、シロナは何かを我慢した様子で答える。


「……大丈夫です」

「でも……」

「大丈夫ですから。ほら、よそ見をしていると怒られちゃいますよ?」


 困ったように笑う彼女に何も言い返せなくなり、そのまま授業を聞く。何か修道女時代に嫌な思い出でもあるのだろうか。気にはなったが、相手の過去を詮索する気にはなれなかった。

 そのまま授業はつつがなく終わり、今日の授業はすべて完了した。部活動等もないのでこれから自由時間になるのだが、授業中のこともあって私とシロナの間には少し気まずい空気が流れていた。


「君達、戦闘技能の時すごかったよね!」


 突然、私達の近くの席に座っていた男子に話しかけられる。それを皮切りに、私達の周りに軽く人の輪が出来上がった。


「あの魔法凄かったぜ!よくあの短時間で魔力を練れたな」

「あのカッコいい身のこなし、あたし惚れちゃうかと思った!」

「俺も貴女に癒されたい……」

「黒髪なんて気味悪いと思ってたけど、君スゴイな」


 中には変態やデリカシーのない言葉もあったが、皆一様に私達のことを褒めていた。それに対し、姉妹は自慢げに魔法や体術の解説をし、シロナは耳を赤くして恥ずかしそうにしており、かく言う私はこれまでに経験したことのない状況に目を回してパニックになっていた。


「ふん、貴様らなどソフィア様の足元にも及ぶまい」


 そんな中、ぴしゃりと誰かが言い放った。その声は周りの生徒達にも聞こえたようで、一斉に声の方向に視線が集まる。ソフィアってあの子だよな、うっ嫌な記憶が……。

 声の主は小柄な男子生徒で、全員の視線が集まったことに少し怯んでいた様子だったが、取り繕うようににやりと笑って皆に聞こえる声で誰も聞いていない自慢話を始める。


「ソフィア様は、栄誉あるスカーレット家のご息女でありながら武芸にも優れ、勇者様の側近候補にも選ばれた素晴らしいお方だ。先の戦闘技能の授業では、ただ一人一本を取ることができたお方でもある。貴様らへの評価が崩れるのも時間の問題だろう」


 ほー!あの二人から一本取れたとは!

 素直に感心していると、輪から抜け出したカペラが、つかつかとその男子生徒の元へと歩いていく。何をするつもりなのだろう?


「で、誰なの?」

「は?だからソフィア様だと──」

「だーかーらー!アンタは誰だって聞いてんのよ!」


 そう言ってさらに詰め寄るカペラ。


「そのソフィアって子がすごいのは良くわかったわ。あの化け物二人から一本取るなんて並みの所業じゃないわよ。それで?アンタは?何処の誰で何を成し遂げたの?」


 明らかに狼狽えて口をパクパクさせる男子生徒。そこにトドメの一撃を放つ。


「何もしてないのに金魚のフンごときが偉そうにしてんじゃないわよ!せっかく人が良い気分になってたっていうのに。アンタ痺れたいの?」


 そう言って、バチッと魔力を手から放出して見せる。


「ひいっ!」


 何も言い返せないまま悲鳴をあげて教室から走り去っていく男子生徒。教室からわあっと歓声が巻き起こる。

 その時からカペラはクラスのヒーロー的な存在になった。


 ◇


 それからは何もトラブルはなく、寮の自室に戻った私は湯浴みしていた。日課のステータス確認をしてみたが、何も変化はない。

 ……そろそろあがろう。

 そう考えて、湯船から立ち上がると同時に、脱衣室からベラが入ってきた。もちろん裸で。


「~~~っ?!」

「あ、入ってたんだ」


 そう言って何事もなかったように風呂場に入ってくる彼女。私は半ばパニックになりながら、急いで風呂場を出て超速で体をふき、着替えてそのままの勢いでベッドに潜り込む。

 初めて親以外の裸を見てしまった。別に女の子同士なのだから、なんてことはない。ベラの反応の方が普通のはずだ。しかし、何故だか逃げてしまった。自分の反応に自分自身が戸惑っている。まだ顔が熱い。恥ずかしさを抑え込むようにして毛布にくるまる。

 その夜は上手く眠れなかった。

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