第14話 春陽 其の一

 ……チュチュン、チュン。


「うぅ……ん」


 小鳥のさえずりで目を覚ます。窓からは朝日が差し込み、殺風景な部屋の中を照らし出している。今は元の世界で言う六時くらいだろうか。王都には時計があるのだが、こちらの世界に来てからずっと山奥で生活していたところ、時計のない生活にもすっかり慣れてしまった。

 講義が始まるまで結構な時間があるが、学校生活初日から遅刻はしたくない。顔を洗い、寝癖を整えて、下着等の洗濯を済ませる。洗濯物を干すために窓を開けると、春の暖かい風が部屋に流れ込む。父さん母さんと一緒に過ごしていた時のような濃い緑の匂いはしない。それが新鮮で、寂しさとも期待とも違う、なんとも言えない感覚に心をくすぐられる。

 朝の空気を大きく吸い込み、吐き出す。カーテンの向こう側からは、すぅすぅと気持ちよさそうな寝息が聞こえる。まだまだ起こすような時間じゃないのでそっとしておこう。決してコミュニケーションをとるのが怖気づいたわけじゃない。起こすときになんと声をかければいいのかなんて考えたりはしていない。これはれっきとした配慮だ。そう言うことにしておく。

 さて、朝の支度は終わってしまったがどうしようか。朝食をとりに行こうにもまだ早い気もする。いつもならランニングをするのだが、如何せん以前のような山でもないため勝手が分からない。校舎の回りを走ってはいけないなんていう規則はないだろうが、ただでさえ目立ってしまう容姿なのだ。非常識だと白い目で見られるのは勘弁願いたい。

 仕方ない、運動場に向かおう。式典の説明ではいつでも利用していいと言われていたし、早朝から利用している人はそう多くないだろう。人がいても隅っこで素振りするくらいなら目立つこともないはずだ。

 支給された制服を一着とって着替え、赤毛熊レッドベアのコートを羽織って、レイピアを持って部屋を出る。余談だが、この制服は一年生と二年生以降で意匠が若干異なり、一目で識別できるようになっている。なんでも、毎年許可を出されていないのにダンジョンに立ち入ろうとする生徒がいるようで、それを阻止するために衛兵にも分かりやすいデザインにしているそうだ。そんな命知らずがいるとはにわかには信じがたいが、以前ダンジョンの横を通りがかった時、明らかに警備の質が違ったので事実なのだろう。無謀なことをする輩もいたものだ。

 そんなことを考えている内に運動場にたどり着いたようだ。人っ子一人いない空間を見てほっと息を吐く。集中してトレーニングできそうだ。軽く準備運動をしてランニングを開始する。息が上がらない程度に、しかし遅すぎないペースで運動場の外周を走る。走りながら体内の魔力操作も並行して行う。これができないと、止まったまま魔法を打つことになる。『人間よりも魔力探知に優れたモンスター相手にハチの巣にされたいならそのままでも構わないよ』とは父さんの言葉だ。これを聞いた時の衝撃は忘れられない。火魔法の制御のために手のひらに火の玉を出して汗までかいていたのに、背筋が凍った。それ以来欠かさずに意識している。

 二十分ほど走った後、素振りへと移る。額の汗をぬぐい、息を整えて集中する。もちろん魔力操作も忘れない。ひたすらに同じ型を振り続ける。

 ──ブン──ブン。

 遥か遠くに母さんの剣筋が光って見える。その光を目指して振り続ける。

 ──ブン──ブン。

 まだまだ母さんの足元も見えない。それどころか、遠ざかっているようにも感じる。それでも振り続ける。ひたすらに、ただひたすらに。

 ──ブン──ブン。


 ◇


「……ふぅ」


 どれくらい振っていたか分からない。太陽を見る限り一時間くらいだろうか。部屋に戻って汗を流せば、朝食にちょうどいいだろう。


「──おい」


 ──!?突然背後から声を掛けられ、直感的に命の危機を感じた私は、条件反射で振り返りレイピアを構える。そこには式典で怒号をあげていた指導長官が立っていた。近くで見ると意外と若いように見える。二十代前半くらいだろうか。体躯は大きく、防具についた数々の細かい傷が経験を物語っていた。強大な覇気にあてられて身動きが取れない。レイピアの切っ先がプルプルと震える。


「てめえの師は誰だ?」


 地獄の底から響いてくるような、底冷えのする野太い声で問いかけられる。何か一つでも間違った答えを返せば命はないと、そう言われているような気さえする。まるで閻魔大王だ。


「りょ、両親……です……」


 喉が震えて声が詰まりながらもなんとか返答する。


「そいつらの名前は?」

「……セシルと、リアム……」

「あの惚気カップルか。アグロスなんて辺境に隠居したかと思ったらガキをつくってやがったとは」

「……」


 どうやら母さんたちのことを知っていたようだ。拾われた身なのを言うべきだろうか。


「てめえの名前は?」

「……クロエ」


 どうやら閻魔大王からの審問はこれで終わったらしい。彼は無言で、震えるレイピアの切っ先を見ている。そして何を思ったか、素手で鷲掴みしてこちらに一歩踏み出してくる。


「──!?」


 驚いて剣ごと身を引こうとするが、力が強く逃れられない。それどころか手のひらの薄皮一枚斬れた感触も伝わってこない。赤毛熊の毛皮と同じくらいかそれ以上に硬い。

 バケモンかよっ!?

 思わず声に出しかけた。

 彼はそのまま剣を掴んでいた手を思いっきり引く。それだけでレイピアは私の手から離れてしまい、力比べに負けた私はその場に尻もちをつく。


「覚悟もできてねえのに剣を向けんじゃねえ、死ぬぞ?」


 そう言って彼はレイピアを振り上げる。

 あ、これダメなやつだ。せっかく二度目の人生を手に入れたのにこれでゲームオーバーとは。転生しようが人生がクソゲーなのは変わらないってか。全く、やんなっちゃうわ。でもまあ、今回は友達もできたし幾らかハッピーだったな。

 迫ってくる刃を前に目を閉じる。首元を一陣の風が通り過ぎた。

 ヒュンッ……ぽすっ……カラン……。

 気の抜けた音が聞こえたと思ったら、辺りは完全な静寂に包まれる。あまりの静けさにこらえきれず、恐る恐る片目を開ける。


「……?」


 目の前には何もなかった。無造作に置かれたレイピアと、わずかに土ぼこりが舞っているだけだ。指導長官はどこへ行ったのか。


「授業料だ。貰ってくぜ」


 またまた後ろから声が聞こえた。ぎょっとして振り返ると、ひらひらと手を振りながら運動場を離れようとする彼の姿があった。その手には赤色のフードが握られている。


「……?──!?」


 は!?あれ、私のコートの!

 首元を手で確認するとそこにあったはずのコートのフードが綺麗さっぱり裁断されていた。元から何もなかったようなきれいな断面、私の首には切り傷一つついていない。私じゃ渾身の突きでしかダメージを与えられなかった赤毛熊の毛皮に、年代物のレイピアで。

 大事なものを失った喪失感と命がまだあることへの安心感で、私はしばらくそこを動けなかった。


 ◇


 父さんと母さんがくれたものなのに、一体何なんだあの人は!

 遅れてやってきた怒りを感じながら、一人朝食を食べに向かう。結局、あのまま呆然としている内に食堂が開く時間になってしまっていたために、部屋には戻らず直行することになった。食堂について、メニューの日替わりサンドイッチを頼み、隅の空いている四人席に座る。そのまま怒りに任せてがぶりと頬張り、よく噛んで飲みこむ。それでも溜飲は下がらない。


「おはようございます。何か嫌なことでもありましたか?」


 顰め面でお肉たっぷりのサンドイッチを食べていると、シロナから声をかけられる。修道服ではないが、それでも彼女の周りには清浄な空気が流れているように感じる。そんな彼女のプレートにはまたしても例のハンバーガーが乗っていた。これで三食連続ハンバーガーになるはずだが、飽きたりしないのだろうか。


「あら?そのコート、どうされたのですか?」


 対面に座った彼女は私のコートの惨状に気が付いたようで、不思議そうな顔で尋ねる。彼女の質問に答えるべく、ゆっくりと声を紡いだ。


「し、指導長官……」

「ああ、あの凄まじい声の持ち主の。あの方がどうかしましたか?」

「あ、あの人に……き……」

「き?」

「……斬られた」

「……へ?」


 私の言葉を聞いた彼女はポカンと口を大きく開けてフリーズした。その直後。


「ええええぇぇ~~!?」


 広い食堂の隅々にまで彼女の絶叫が響き渡る。突然の絶叫に、肩がビクンと大きく跳ねあがった。絶叫をあげた当の本人は、鼻息を荒くして私の両肩をと掴むと、怒涛の質問を浴びせてくる。


「一体何でそんなことをされたのですか!?どこもお怪我はありませんか!?他にも何か乱暴されたりは!?」


 鬼気迫る表情のシロナを、さっきまでの怒りも忘れてどうにか落ち着けようとあわあわしていると、不意に誰かの手が彼女の肩をポンポンと叩いた。


「うるさい」

「わわっ!ごめんなさい!」


 シロナが振り返った先には、私と同部屋のあの子が立っていた。相変わらず無表情で何を考えているかはよく分からない。


「おはよう」

「お、おは……よう……」


 何事もなかったかのように私に挨拶をしてくる彼女。何とか挨拶を返すとそのまますたすたと歩き去ってしまった。なんともマイペースな子だ。しばらく二人して呆然としていたが、周囲にちょっとした人だかりができていたことに気づき、ぺこぺこと頭を下げる。


「それで一体何があったのですか?」


 落ち着いたところで再度質問してくるシロナ。ゆっくりと今朝の出来事を順序だてて話す。運動場でトレーニングしていたこと。誰の気配も感じなかったのに急に声をかけられたこと。お説教をされたあとにフードを斬り落とされたこと。すごく怖かったこと等々。家族以外の人とこんなに会話するのは初めてのことで、所々詰まって聞きにくいはずなのに、シロナは真剣な顔で聞いてくれる。全部話し終えると、彼女はほっとしたような顔をした。


「じゃあ、どこもお怪我はないのですね。良かったです」


 私のことを心配してくれていたのかと思うと嬉しくなる。それにしても、あの人は一体何であんなことをしたのか。冷静になって考えてもいまいちピンとこない。剣を向けたのがそんなに失礼なことだったのだろうか?それにしては殺気のような、険しい気配が感じられなかった。一度、母さんに「これも訓練だから許してね」と言われて、少しの殺気を向けられたことがあったが、あんな生易しいものじゃなかった。何しろ、気絶しかけたのだ。私も頑張って成長しようとしてはいるが、あの短い期間で格段に強くなれるはずもない。指導長官の覇気は恐ろしいものだったが、殺気や悪意とはまた別のものだとみて間違いないはずだ。だから、彼の地雷をうっかり踏んでしまったなんてことは考えにくいのだが、うーむ……。

 もやもやをどうにか晴らそうと考えこんでいると、シロナが嬉しそうな笑顔をしていることに気づく。


「でも、意外と元気そうですね。てっきりもっと落ち込んでいるものかと思っていましたが。周囲の目もあまり気にしていらっしゃらないようですし」


 そこまで言われてはっとする。フードを奪われた今、私の黒髪を隠しているものは何もない。運動場から食堂に到着するまでの道にもちらほらと人がいて、視線を感じてはいたが対して気にはならなかった。今もこの時も、先ほどもちょっとした人だかりができていたように決して食堂にいる人は少なくない。投げかけられる視線も当然ながら多くなっていた。それなのに、今までのようにびくびくしていない自分を自覚し、驚きを隠せない。


「案外、理不尽に思えてクロエさんのためだったりするのかもしれませんね」


 そう言って微笑みかけてくるシロナ。しかし、今度はまた別の疑問が浮かんでくる。本当にそんな理由だろうか?そうだとして向こうのメリットは何だ。少なくとも、うちの両親と知り合いだからとかいう単純なものではないのは確かだ。どこまで考えても疑問は晴れない。他人の内面を推し量るには、まだまだ対人経験が少なすぎる。


「まあ、どれだけ考え込んでも仕方ありませんよ。ほら、もうすぐ授業が始まっちゃいますから行きましょう」


 立ち上がるシロナに倣って授業に向かおうとする。対面の彼女の顔を見ると、会話は終わったというのにまだニコニコとこちらを見ている。何か私の顔についてるのだろうか?


「やっぱり綺麗です」


 突然そんなことを言って、いっそうにこやかに笑う彼女。恥ずかしげもなくそう言う彼女に、頭がぼっと熱を発する音が聞こえた。それから教室に向かうまで、今までとは違う思惑で髪を隠すことになったのだった。

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