第11話 朔日 其の一
「ふあぁ……」
口を大きく開け、忌々しいほどに澄んだ早朝の空気を一息に吸い込む。
いつもなら清々しく一日の始まりを彩ってくれる朝の光も、今の私には煩わしいだけの眩しさしか感じられない。
結局昨晩は一睡もできなかった。
理由は単純明快、目を閉じればすぐ様にこの朝日よりも鮮烈な、月光のような白髪が瞼の奥にちらつくからだった。大仰に聞こえるかもしれないが、あの時の衝撃が少なくとも私が一晩寝付けなくなるくらいのに十分すぎる威力をもっていたことは事実だ。
春眠暁を覚えずというが、超がつくほど繊細(笑)なメンタルをもった私には、あの後に惰眠をむさぼるなんてのはとてもじゃないが無理だ。
まあ、おかげで冒険者学校に入学する日に盛大な寝坊をすることもなかったのだから悪いことばかりというわけでもない。
……うん、そういう風にとらえておこう。眠っている間に花が全部散るよりはましだ。
と、まやかしにも等しい自己啓発をしながら身支度を済ませていると、部屋の戸がコンコンとノックされる。
「クロエちゃん、起きてますか?」
音の主はエリナさんのようだ。私のことを起こしに来てくれたのだろう。
しかし、やはり昨日の今日では呼び方の変化になれるはずもない。エリナさんが私のことを呼ぶたびに体に少しばかりの緊張が走るのを感じる。
こればかりはそのうちに慣れることを祈るしかないだろう。「ちゃん」呼びを快諾した手前戻して欲しいとは言えないし、事実このむずがゆさも心地よく感じている自分がいるのだから、現状やれることはない。
父さんから貰った髪飾りとコートを身に着け部屋を出る。
「おはようございます。よく眠れましたか?」
にこやかな笑顔で尋ねるエリナさん。誠に不本意ながら眠れなかったことを首を横に振って伝える。
「あら、そうなんですか?実は私もなんです。どこを見ても高級感があって、とてもじゃないですけど心が休まらなくて」
はにかみながら頬を掻くエリナさん。目にくまができている様子も特段着かれている様子もないから、私のことを気遣ってくれているのだろう。流石の私でもそれくらいは分かる。分かったところで私からは何もできないのが悲しい現状だが。
「じゃあ、朝食を食べに行きましょうか。先輩が先に行って席をとってくれているので急ぎましょう!」
エリナさんの元気な声に頷きを返して一緒に食堂に向かう。朝の食堂は夜とは随分と雰囲気が違って高そうな衣服に身を包んだ多くの人が食事をしていた。この世界では高級宿屋に泊まるようなお金持ちも早起きするらしい。
お金持ちは重役出勤がデフォルトだと思っていた私の目には意外に映った。いや、早起きで多くのことを成すからこそお金持ちになれるのかもしれない。確かに前世の両親も朝から忙しくしていた気がする。
「うーん、先輩はどこに……。あっ!見つけた!行きましょうクロエさん!」
エリナさんの声でどうでもいい考え事を頭の隅に追いやる。エリナさんの視線の先には片手を挙げて私たちを呼ぶニックさんの姿があった。
「おはようございます、二人共。それにしてもエリナ、朝からそう騒がしくするものじゃありませんよ。周りの方々にご迷惑でしょう?」
「うっ、すみません」
「私に謝ってどうするんですか」
はっとした顔になったエリナさんが、先ほどからちらちらとこちらを窺っていた周りの人たちにぺこりと頭を下げる。相手方も気を悪くした様子はなく、微笑んでいたので大丈夫だろう。
もしかしたら、こちらを見ていたのは朝っぱらからフードを被っていた私のことをいぶかんでいただけかもしれない。そうだとしたらエリナさんには悪いことをしたなぁ。
そうこうしている内に私たちの元に朝食が届いた。具の多いスープにサンドイッチと簡素ではあるが美味しそうだ。
昨日の夕食から思っていたことだが、高級宿屋の食堂だからと言って、部屋とは違い食事のメニューは一般的に感じられるのには何か理由があるんだろうか?実は普通に見えるこの食材たちが実は高価なものだったり?まあ、考えてもわからないことに頭をひねっていても仕方がない。ただ美味しくいただくことに集中しよう。
「今日は入学に際して簡単な式と寮の案内、それからオリエンテーションを行うようです。寮の案内以外は出席しなくても特に不都合はないと思いますがどうしましょうか?」
「……大丈夫」
食事中に今日の予定を簡単に説明してくれるニックさん。正直、怖いものは怖いが、ここで逃げても私のコミュニケーション能力が上がるわけでもないので断っておく。いつまでも前に進めない私ではないのだ!
そんな意気込む私の様子を見て微笑むニックさんとエリナさん。この二人の甘さはもしかしたら両親に匹敵するのかもしれない。優しくしてくれるのは嬉しいが、あの二人みたいにモンスターペアレント化するのは勘弁してほしい。
「では朝食も食べ終えたので、さっそく移動しましょうか。馬車を出しておくので荷物を準備して待っていてください」
言葉通り待っていると、十分もしないうちにニックさんが戻ってきた。
「忘れ物はありませんか?」
ニックさんに頷きを返すと、「では出発します」と一つ鞭を鳴らし、荷馬車が動き始める。荷馬車の荷物が少なくなっていたが、王都での仕事が物資の仕入れか何かだったんだろう。とすると、残っている分は冒険者学校に仕入れるのだろう。確かに紙束や羽ペンなどの割合が多いように見える。
「少し時間がかかるので仮眠をとっていていいですよ」
エリナさんの提案に甘えることにして目をつむる。この二人も仕事が終わったらアグロス支部に帰ってしまうのだろう。そしたら久しぶりの独り暮らしになる。前世で大学生だった頃はデビューに失敗して半年足らずでリタイアした私だが、今回は上手くいくだろうか。あれこれと考えているといらぬ不安が押し寄せてくる。
いかんいかん。ナーバスな気持ちを振り払うために瞑想する。魔力の流れや母さんに習った剣術のことを考えていると気持ちが落ち着いていくのを感じる。いつの間にか頭の中のマイナスな感情は消え去っていた。
◇
「そろそろ着きますよ」
エリナさんの声に目を開ける。移動を始めてからだいたい三十分くらいだろうか。荷馬車の窓からは王都に勝るとも劣らない立派な城壁が見えている。
あんなに立派な城壁が果たして学校に必要なのだろうか。私もこの世界に慣れてきたのだろう。スケールの大きさに圧巻されるより先に用途への疑問が生じた。
「到着です。お疲れさまでした」
ニックさんが御者台からこちらに向けて声を発する。王都に入った時のように検問があるのだろう。ここでもエリナさんと一緒に荷馬車を降りて検問所へと向かう。ここでも王都の検問と同様のことが起こったが、視線の数が増えただけで大したトラブルも起こらなかったのは幸いだった。
エリナさんの案内に従って学校へと向かう。道中、衛兵の詰所のような場所や厳重警備された大きな洞窟の近くを通りがかった。
「あれはダンジョンですよ」
ほう!あれがダンジョンなのか。父さんから教えてもらった話によると、世界中のダンジョンは繋がっていてモンスターが絶えず湧いてくるらしい。
学校の名前にあんなでかでかとした城壁はそぐわないと思っていたが、恐らくはこれが理由なのだろう。
しかし、ゲームのように禍々しい扉があるものだと勘違いしていたが、まさかあんな地味な洞穴だったとは。
「この冒険者学校はもともとモンスターの王都への侵攻を守るために作られた要所で、軍備を大きくするのに伴って優秀な冒険者を育てるという名目で冒険者を育成する施設が作られて今の冒険者学校ができたという歴史があります」
なるほどなぁ。とすれば、立派な鎧を装備した衛兵がそこら中にいるのは学生のサポートとダンジョンの警備を兼ねているということだろう。その証拠に、今もまたダンジョンに衛兵二人組と学生らしき子供の四人グループが洞窟へともぐっていったのが見えた。
私も在学中にダンジョンにもぐることになるのだろう。今からでも緊張と高揚が押し寄せてくる。やっと冒険らしくなってきたというものだ。
「見えてきましたよ。あれが冒険者学校です」
視線を上げると大きなレンガ造りの建物が見えた。遠目からでも人だかりができているのが分かる。その人だかりは私が歩を進めるごとに近づいてくる。
……ゴクリ。緊張からか唾を飲む音がやけに大きく感じた。
大丈夫、普通にしていれば何も問題ない。私はただの一人の入学生。周りの子達と何も変わらない。大丈夫、ダイジョウブ……。
フードが取れないようにと抑えつける手が震えているのを自覚する。
「ここからは私も別件があるので一人になりますが、クロエちゃんなら大丈夫です」
そっと背中に手が添えられる。エリナさんの手だろう。ありがたいことこの上ない。エリナさんから分けてもらった勇気を胸に一歩を踏み出す。手の震えを力づくで抑えつけ一歩一歩とへと進む。そして、人だかりの中に入る。
何も言われない、何をされることもない。誰も私の黒髪にも気づいていない。誰も私に見向きもしない。完全に周囲と同化できたと感じてほっと息を吐く。
何だこんなものか。はは、大したことないじゃないか。こんな簡単なことにずっと頭を悩ませていたのが馬鹿みたいに感じた。結局は私が変に意識しなければ良い話だったんだ。
緊張の糸が切れ、足取りがふらふらとしたものになる。
ドンと背中に軽い衝撃が走る。
「気をつけなさい。こんな人混みでフラフラしていると危ない」
どうやら誰かにぶつかってしまったようだ。叱責する声に謝罪するべく振り返る。私を叱った子は声も見た目も中性的な子で、高そうな衣服に身を包んでいた。数人の取り巻きの子供に囲まれていることからも偉い生まれの子なのだろう。もしかしたら貴族だったりするのかも。
それにしても、ぶつかった当の本人は気にしていない様子なのに、取り巻きの子達の視線がキツイ。
「……ごめん……なさい」
入学早々にトラブルを起こすのはごめんなので、何とか謝罪の言葉を絞り出す。
「ああ、気をつけなさ──」
「どこの田舎者かはわからないが、平民が貴族に謝罪するときは顔を見せるのが最低限の礼儀というものだろう。そうでしょう?ソフィア様」
ソフィア様と呼ばれた子の声を遮って、取り巻きの一人の男の子が声をあげる。私の見立ては間違っていなかったようでこの子は貴族の子のようだ。それも、結構なお家柄の様子だ。
「いや、グレン。私はそんなこと──」
「いえソフィア様、それでは下々への示しがつきません。おい!そこのお前。さっさと顔を見せて謝罪しろ」
グレンと呼ばれた取り巻きの一人の声に触発されるように、ほかの取り巻きの子達も「その通りだ!」だとか「早く謝罪しろ!」だとか次々に声を上げる。
騒がしくなってきたことで周りに野次馬も増えてきた。
どうしよう。何も考えられない。言われたとおりに謝ろうとしても体が、喉が言うことを聞いてくれない。ただ冷汗が背中を伝っていく。
「ええい!まどろっこしい!」
パニックを起こして何もできない私にしびれを切らしたのか、グレンが私のフードを強引におろす。
あ、おわった。
誰かが呻いた声を呼び水に、周りの視線が気味の悪いものを見る目に変わっていく。波紋は大きくなり野次馬の視線が私に突き刺さる。冷汗を通り越して、尋常じゃない量の脂汗が出る。
極度のパニック状態に陥り意識を手放しかけたその時、
「いったい何をなさっているのですか。王侯貴族ともあろうものが弱い者いじめとはみっともない」
凛と、鈴がなるような声がした。どこかで聞いたような声だ。どこで聞いたんだったけ?
半ば無意識のうちに声の方を振り向くと昨晩の白髪の子が立っていた。
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