第10話 門出
「行ってらっしゃい、困ったときはいつでも帰ってくるんだよ」
「クロエ~~!寂しいよ~、行かないでよ~!」
最後の
優しく微笑む父さんとは対照的に顔をしわくちゃにしながら泣きじゃくる母さん。
もう太陽も中天に差し掛かる頃だというのに今朝からずっとこんな感じだ。最初はもらい泣きしていた私と父さんも、今では呆れの方が勝ってしまっている。
「セシル……。昨夜は笑って送り出してやるって大見得切っていたじゃないか」
「だって……」
そのあともうじうじと何かを言っていた母さんだったが、父さんがなだめてくれたおかげで、グスンと鼻を一啜りした後にっこりと笑顔に──まだ目尻は湿っていたが──なって向き直った。
「行ってらっしゃい、クロエ!楽しんでくるんだよ!」
母さんの満面の笑みに私も自然と笑顔になる。
「うん、行ってきます」
「皆さん、お別れは済みましたでしょうか?」
ふと後ろの方から声を掛けられる。
振り返ると一台の荷馬車があり、横にニックさんとエリナさんが立っていた。王都までの引率をしてくれるらしい。
話によると、私のために普通の乗合馬車ではなくギルドの所有する馬車で付き添うことを申し出てくれたらしい。いやはや、見た目通りのできる仕事人ムーブに感激を禁じ得ない。
まあ全部が全部私のためだけということではないのだろうが、それでもありがたいことに変わりはない。
荷物を抱えて荷馬車へと向かおうとすると、母さんがずんずんとニックさんの方へと歩み寄り、胸倉をつかみかかる。
「せっかくお別れの良い雰囲気になってたのになに水差してんだ?オイ」
怖すぎる。今どきの田舎のヤンキーでも多分こんないちゃもんのつけ方はしないだろう。
隣にいたはずのエリナさんは何かを察したようで母さんの初動と同時に御者台に乗り込んでいた。
最後の最後でかまされる親ばかっぷりに頭を抱えそうになっていると、父さんも歩み寄っていく。どうやらニックさんのフォローをしてくれるらしい。ニコニコしながらニックさんの肩にポンと手を置いて一言。
「うちの娘に何かあったらただじゃおかないよ?」
……訂正する。この人たちは親ばかではなくただのバカだ。
ごく微量の魔力を操作し、水魔法「
「……出してください」
御者台に向かって声を出すと鞭の音と同時にガタゴトと荷馬車が揺れ始める。
後方から二人のぎゃあぎゃあと騒ぐ音が聞こえるが、窓から後ろ手に手を振るだけに留める。
「よろしかったのですか?」
ニックさんが困ったような顔で尋ねてきたのでコクリと頷く。
私たちの家族には湿っぽい別れは似合わないのだろう。これくらいが丁度良い。
私の反応に「そうですか」と答えてニックさんは優しく微笑む。
「カッコいいコートですね。それはご両親が?」
ニックさんの質問にこれまた無言で頷く。一週間前に討伐した「赤毛熊」の毛皮を父さんが仕立ててくれたものだ。
全体的に赤黒く、明るすぎず暗すぎない落ち着いた色でフード付きのとても私好みのデザインで、ファッションに疎い私でも感動したくらいだ。
それでもって「赤毛熊」の耐久性も持ち合わせているというのだから、冒険者稼業にうってつけといえるだろう。まあ、まだ冒険者ではないのだが。
「素敵なご両親ですね」
「……うん」
ニックさんの声に今度は胸を張って答える。
それからはニックさんも雑談を止めて、ガタゴトという荷馬車の揺れる音だけが空間を支配する。
多分コミュ障な私を気遣ってくれたのだろう。まったく、どこまでできる男なんだこの人は。
その気遣いに心中で感謝しながら、荷馬車の窓から風景を眺める。
冒険者学校でどうやったら友達が作れるだろうかと頭の中でシミュレーションをしているうちに瞼が落ちていき、そのまま眠りに落ちた。
◇
「着きましたよクロエさん」
エリナさんの声で目を覚ます。途中で御者を交代したのだろうか。
窓の外を見やると日は既に落ちていた。どうやら半日近く移動していたらしい。
少し遠くに大きな石造りの外壁が見える。あれが王都なのだろう。
「……ありがとう……ございます」
荷馬車を降りて、伸びをしている二人に引率のお礼を言うと、二人共一瞬だけ意外そうな顔をした後「どういたしまして」と返してくれた。
はて?私がお礼をするのがそんなに意外なことだろうか?私はいつも感謝の気持ちを忘れない、礼儀正しい良い子なのである。……ただ思いの内を口に出せないだけで。
「では今日の宿屋に向かいましょうか」
エリナさんの先導に従い自分のわずかな荷物だけもって、王都の検問所へと向かう。荷馬車用と人用の検問所は別々なようで、荷馬車の方は相応の時間がかかるから分かれて後で合流しようというニックさんの提案だ。
まったく、彼はどれだけできる(以下略)。
「ギルド証を用意してください」
エリナさんの言葉に従ってカードを取り出す。
この時間に王都に入る人はそう多くないのか、列も短くすぐに私たちの番になった。
「身分を証明するものを見せろ」
厳つい鎧をまとった番兵がこれまた厳格な声で検問を始める。
二人でギルド証を見せ、手荷物を確認された後、声を掛けられる。
「そこのお前、フードをとって顔を見せろ」
その声にびくりとし、どうやってごまかそうかと一瞬思案するが、検問では仕方がない。
何より、いきなりトラブルを起こしてエリナさんたちに迷惑をかけるわけには絶対いかない。
おとなしくフードをおろすと周囲から小さなざわめきが起きる。
……この感覚にはまだ慣れないな。
「通ってよし」
番兵は一瞬怪訝な顔を浮かべたが、職務にまじめな人なのだろう、無駄な時間は使わずにすぐに解放してくれた。こういう対応は素直にありがたい。
「大丈夫ですか?」
心配してくれるエリナさんに、心配いらないとジェスチャーを送り、フードを被り直して王都に入る。
王都の街並みはやはり賑わっていて、「洗礼」を受けた時の街──後で調べたらアグロスという街らしい──とは比べ物にならないほどだ。
時期的にも王都にやってくる人が多いのだろう。大通りは人混みで賑わっている。
「宿屋はこちらです。はぐれないように手を繋いでいきましょう」
エリナさんの言葉に従い、おずおずと手を繋ぐ。
そのままするすると人混みを縫うようにして、目的地へと移動する。
「ここです!」
エリナさんの声に顔を上げると、大きな建物があった。正面には噴水のある小さな広場があり、外観も豪華に見える。
エリナさんのテンションが上がり気味なのはそのせいだろう。
そのまま手を引かれて宿屋の中に入る。一階は食堂になっているようで食事をしている人がちらほらといる。
おいしそうな匂いにつられてきゅるるるとお腹が鳴った。
「ふふ、お部屋に荷物を預けてからご飯にしましょうか」
恥ずかしさで耳が熱くなるのを感じながらも、お腹がすいているのは事実なので同意する。
受付に向かうと、きれいな店員さんがいた。
「ギルド・アグロス支部の名義で三部屋を予約していたものですが」
「確認いたしますので少々お待ちを」
そういって奥へと入っていく店員さん。しばらくしないうちに確認が取れたのか一枚の羊皮紙を持ってくる。
「お待たせいたしました。予約では三名となっておりますがお支払いは別にいたしますか?」
「いえ、まとめて払います」
「かしこまりました。では三部屋を一泊で銀貨六十枚頂戴いたします」
ぎ、銀貨六十枚!?一泊一部屋で二十枚もするってこと!?
驚愕を露にしてうろたえる私とは裏腹に、しれっと小袋を手渡すエリナさん。
いや、よく見てみるとその手は細かく震えていた。恐らくエリナさんも内心ではびっくりしていたのだろう。
因みにこの世界では、金貨、銀貨、銅貨、銭貨が一般的で、それぞれ、金貨が銀貨百枚分というように百枚で区切られている。
他にも白金貨というのもあるらしいが、国交などに使われるいわゆる手形のようなもので我々庶民には関係のない代物だ。
そして我々庶民は銅貨一枚で一食を食べられる。
つまり、一泊で二千食分ということだ。こんなの驚かない方がおかしい。
支払いを済ませ、部屋に向かう最中もまだエリナさんの手は震えていた。
「大丈夫です。資金はギルドから出されますから役得です」
私の心配そうな目線に気が付いたのか、エリナさんは気丈に振る舞う。
「それに、クロエちゃんのご両親からも引率のご依頼ということでお金をもらってますから心配する必要もありません。むしろクロエちゃんのおかげかもしれませんね」
そこまで言ってから、エリナさんははっとしたような顔をした。
「ごめんなさい!急にちゃん付けなんかしちゃって!」
謝罪するエリナさんに首を横に振る。突然のことで驚いたが悪い気はしない。
それよりも、母さんたちがそんな大金で私のお守りを依頼していたということに驚いた。
「ありがとうございます。……これからもそう呼んでも?」
おずおずと尋ねてくるエリナさんに一も二もなく頷く。
エリナさんは花が咲くようにぱぁっと笑顔になる。今まで事務的だった分、よりかわいく見えた。
その後一階の食堂で一緒に食事をとった。家族以外の人と食事をとるのは初めてだったが、意外と楽しかった。これなら学校生活も今度こそ上手くいくかもしれない。
「明日は早朝から学校に向かいますから、しっかり休んでください」
エリナさんの言葉に頷く。
部屋に戻った私は明日の準備をパパっと済ませ、今日の感動とこれからの期待とちょっとの不安を胸に床に就いた。
◇
……眠れない。
昼に荷馬車の中でずっと寝ていたからだろうか。湯浴みしたり、瞑想したりしてもちっとも眠れない。
期待からか不安からかはわからないが緊張しているのもあるのだろう。
仕方ない、眠くなるまで広場で素振りでもしよう。
素振り用に持ってきた木剣を携えて噴水広場へと出る。
宿屋に来るまでは賑わっていた大通りもこの時間は閑散としていた。治安が良くて助かった。
集中力を高め、素振りをする。イメージするのは母さんの型。
約三ヶ月。経ったそれだけの期間とはいえ、母さんの動きが美しいほど洗練されたものだというのは理解するには十分な時間だった。
あの綺麗な型を脳裏に思い浮かべひたすら木剣を振る。
一時間ほど経っただろうか。
そろそろ眠気がやってきたから部屋に戻ろう。
そう思って滲んでいた汗をぬぐい、宿屋へと足を進めようとした。
「綺麗」
どこからか澄んだ声が聞こえてきた。驚きで一瞬身体が固まる。
私が言えたことじゃないがこんな時間に出歩いている人がいるとは。素振りを見られていたら恥ずかしいな。
辺りを見回すと、噴水の横に私と同じくらいの少女が立っていた。その姿を見た瞬間、息が止まった。
その女の子は白を基調としたワンピースでいかにもお嬢様といった出で立ちだったが、目を奪われたのはそこじゃない。
きらきらと月光を反射する、眩しいほど真っ白で流れるような髪。
……綺麗だ。
その一言が脳内に浮かぶと同時にその少女と目が合う。
時が止まったかのような沈黙が流れ、しばらくしてはっと我に返る。
視線を無理やりに切って、気まずい空間から逃げるようにして部屋に戻った。
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