第8話 鍛錬 其の二
「痛たたた……」
休憩のために仮眠をとってから小一時間程立っただろうか。体の節々の訴える痛みに呻きながら目を覚ます。
起き上がるのも辛い。ふくらはぎの筋肉なんかは今にもつりそうでぴくぴくとけいれんを繰り返している。
しかし、こんな状態でも勉強の時間は待ってはくれない。
気合を入れて立ち上がり、居間へと向かう。
「起きたかクロエ。体は……大丈夫じゃなさそうだな。全く、やりすぎるなとあれ程言ったのに」
居間では父さんが何かを準備しながら待っていた。やはり今日からトレーニングを始めるにしては母さんの指導はやりすぎだったというのが父さんの言葉から窺える。
「まあ、小言はこれくらいにして……これを飲みなさい。少しは痛みが和らぐだろう。明日にも響かなくなる」
父さんがコップ一杯の黄緑色の液体をくれる。ほのかな柑橘系の匂いが鼻腔をくすぐる。
ジュースか何かだろうか。そういえば柑橘類にはクエン酸があーだこーだで筋肉痛に効くっていう話を聞いたことがあったな。あいにく運動は体育の授業でしかしなかったから詳しくは知らないが。
「特別に調合したポーションだよ。飲みやすいようにしたから大丈夫さ。それを飲んで勉強を始めよう」
ほう、これがかの有名なポーションか!
感動も露わに一息でポーションを飲み干す。味はレモン風味が強いスポーツドリンクみたいで美味しい。
飲みやすいようにしたってことは、本物はやっぱりゲームのテキストとかにあるように滅茶苦茶に苦かったりするのだろうか。
なんて想像していると、父さんを待たせていたことを思い出す。
流し台にコップを置いて急いで席に着くと、一冊の教科書みたいな本が目の前に置いてあった。表紙には「クロエ特別授業」とでかでかと書いてある。
さっきは母さんに小言を言っていたが父さんもそれなりにはしゃいでいるようだ。
そんな様子をおくびにも出さずに父さんは「特別授業」を開講する。
「まずは常識からだ。もう知ってると思うけど暦から教えていこう」
そうして教科書を開くように指示される。一ページ目にはカレンダーのような挿絵があった。
「一年は四二〇日、一週を七日としてひと月五週の計十二月で構成されている。この王国──オラクル王国には四季があり、一月から三月までを春、四月から六月を夏、七月から九月を秋、十月から十二月を冬と定めている。そして今は十月の中旬だ、ここまではいいかい?」
父さんの確認に頷きを返す。
この世界の常識を最初に知ったときは前世との類似点と微妙な差異に頭が爆発しそうになったものだが、今となってはそれに頭を悩ませる必要もなくなった。
ちなみに九歳になったら冒険者として独り立ちできるようになるというのも、この差異が可能にしている。と言ってもまだ早すぎるような気もしないでもないが、そこは「ステータス」がカバーしてくれるのだろう。
「それなら次のページを開きなさい。王国の文化について教えよう」
言われたとおりにページをめくる。
今度は世界地図が描かれていた。父さんは意外と絵がうまいのかもしれない。
「この王国では子供は、昨日のクロエのように六歳になった年に『洗礼』を受けることが義務付けられている。周辺諸国も概ねそのような決め事がなされているが、これを最初に義務付けたのはオラクル王国だ。それには『魔界』という存在が大きく関わっている」
おっと、これまた壮大なストーリーが展開されそうな雰囲気だ。
わくわくしながら父さんの話に再度耳を傾ける。
「この世界には我々人間が生活する『人間界』と妖精族の住む『妖精界』、そして魔族の蔓延る『魔界』がそれぞれ別次元に存在する。そしてそれらは『ゲート』という別次元をつなぐ『
ふむふむ、元の世界の神話体系にもそうゆうのがあったはずだ。違う点があるとするならばそれらが実際に存在するというところだろうか。
「そして『人間界』と『魔界』は歴史の中で幾度となく戦争を繰り返している。そして、その二つの次元をつなぐ『ゲート』がここ、オラクル王国の僻地に存在するんだ」
突然の衝撃の真実!
っていうことは現在も戦時中なんじゃないの!?こんなにのんびりした生活を送れていたのはここが戦火とは離れたところだったからとか?
と憶測を脳内で飛び交わしていると、父さんから補足の説明がなされる。
「今から五十六年前に『魔界』の王、『魔王』が『勇者』達によって討伐されてから戦争はまだ始まっていない。恐らく次の『魔王』が生まれるまでは『魔界』は侵攻してこないだろう。『洗礼』の義務付けは、侵攻に備えるための国力が必要だったからという歴史的背景があるんだよ」
ふと、一つの疑問が浮かぶ。その疑問を解消するべく手を挙げると、父さんは「何だい?」と話を中断して質問を促してくれる。
「その……『魔界』が侵攻してくるって言ってたけど、なんで『魔界』は戦争を仕掛けてくるの?理由が分かってたら戦争も止められそうなのに……」
質問を聞いた父さんは一瞬目を丸くするが、すぐに気を取り直して答えてくれる。
「クロエ、君は本当に賢い良い子だね。僕は嬉しいよ。ただ、残念ながら『魔界』が侵攻してくる理由は未だにわかってないんだ。それだけに『人間界』は後手に回って備えることしかできていない」
そうなのか。それなら戦争になってしまうのも仕方ない……のだろうか?
根本的な疑問は解消されなかったがわからないものはわからないのだからしょうがない。
気を取り直して、授業を聞く態勢に戻る。
「次は『勇者』について話そうか。『勇者』は神によって選定されて『洗礼』の際に『ステータス』の『称号』の欄に『勇者』と記されるんだ。そして『勇者』に選ばれた者は生まれながらにして絶大な力を持つと言われている。僕は見たことがないから親世代の言い伝えでしか知らないんだけどね。それと『勇者』はオラクル王国で生まれるのが確認されているんだ。これも『洗礼』の義務付けの理由の一つだね」
「人間界」と「魔界」をつなぐゲートがある国で「勇者」が生まれるとな?
これまたご都合主義というか、恣意的というか、大いなる存在の意思を感じるが、まあファンタジー世界というのはえてしてそういう物なんだろう。どうせ私には関係ない話だ。
そう思っていると、父さんが少し暗い顔つきになってゆっくりと口を開く。
「……そしてこれはクロエにも関わってくることなんだけれど……」
嫌な予感。
「『勇者』と『魔王』は必ず対で生まれるんだけど、その予兆として存在すると言われているのがクロエ、君の……」
父さんの真剣な目が私の頭を捉えた。
「君の……黒髪なんだ」
だと思ってましたー!!
頭の中で今世紀一番の絶叫をあげると同時に、今までの違和感も解消される。
捨て子になるほど縁起の悪いとされる黒髪だけれど、それほど差別の標的にされるというわけでもなかったのは『魔王』誕生の知らせであると同時に『勇者』の誕生の予兆でもあるからなのだろう。
要は、私は『人間界』の腫物だったというわけだ。涙が出るぜチクショーめ!
しかし、こんなことでめげる私ではない。腫物に扱われるのには慣れてるんだ。誇ることでもないがおかげでダメージは最小に抑えられた。
「クロエ、大丈夫かい?」
心配そうな顔でこちらを窺う父さんに精一杯の笑顔を返す。
「ダイジョウブ……」
ちょっとぎこちなかったが、こちらの意を汲んでくれたのだろう。父さんは気を取り直して授業に戻った。
「よし、じゃあ今度は気分を入れ替えて魔法の勉強に移ろう」
そういって、席を立つ父さん。
待ってましたとばかりに勢い良く立ち上がる。
悲しい現実を知った後とはいえ、魔法だよ魔法!テンションが上がらないはずはないのだ。
父さんと庭に向かう。
この世界の魔法はどんなものなのだろうか。わくわくする気持ちが抑えられない!
◇
……などと思っていた時期が私にもありました。
「どうだい?魔力を感じられたかい?」
隣で一緒に座禅を組む父さんの声にふるふると首を横に振る。
お尻からくる冬の冷たさしか感じない。
何故こんなことになっているのかというと、話は三十分前に遡る。
◇
「じゃあまずは精神統一して魔力を感じ取るところからだね」
「……へ?」
魔法は?メ〇は?ケ〇ルは?「あなたのはレビオサー」ってやるんじゃないの?
目の前で座禅を組み始める父さんの姿に呆然とする。
私の呆然とする姿を他所に父さんは朗々と授業を再開する。
「魔法の基礎は魔力を感じることだ。体内や大気に流れる魔力を感じ取ってその流れに方向性を与えてやるんだ。そうして初めて魔法は形を成す。魔法スキルはその魔法を行使するための糸口でしかない。もちろん魔力をうまく感じられるようになるほどに「スキルLV」も上がってより多くの魔法が使えるようになるし、使える魔法の練度も上がっていく。クロエは『スキル』が多く発現したけれど、それはあくまで最初からある手札が多いだけで、手札も育てなきゃ強くはなれないんだ」
父さんの言葉に納得する。そういえば「剣術LV2」をもっているのに母さんと素振りした時は最後まで上手く振れなかった。結局は何事も努力しないと意味はないということだろう。
スキルが多いだけで「俺TUEEE!」とはならないのだ。
観念して隣で座禅を組む。
「体の中に流れるモノを感じ取るんだ。集中していれば必ず感じ取れるはずだよ」
◇
そうして現在に至るが私は一向に魔力なるものを感じ取れていない。
父さんに助けを求めるべく視線を送るが、私の必死なアプローチも空しく届かない。
仕方ないと精神を再度集中させる。
◇
三十分後。まだ感じ取れない。そろそろ寒さが辛くなってきた。日も傾き始めた頃だろう。寒さに負けずに集中しなければ。
◇
さらに三十分後。……まだ感じ取れていない。手や足の先から熱が逃げていくのを感じる。そろそろ勝負を決めないと体に支障をきたしそうだ。必死に集中する。
◇
一時間後。……寒い。体はどんどんと冷たくなって冬の空気とお味くらい冷たくなっているように感じる。もはや体と空気の境界が分からなくなってきている。
◇
?時間後。……私は、何をしてるんだっけ?どこかから名前を呼ばれている気がする。私の名前は……黒田由紀恵、あれ?今はクロエだったっけ?もうどっちでもいいや。さむい、とにかくあったまりたい。声の方に行けばこの寒さも和らぐだろうか?
そう思って手を伸ばす。……熱を感じたような気がする。
近づきたいけど立ち上がれない。ずるずると這いずると、また熱を感じたような気がした。心なしか声も大きくなった気がする。
ずるずる……ずるずる……。どんどん熱が大きくなっていく。この熱はどこから来るのだろうか。
ずるずる……ずるずる……。また一段と熱が強くなった。どうやら体の中からあふれてくるようだ。
ずるずる……。溢れんばかりの熱だ。さっきまで寒くて仕方なかったというのに、今は身を焼かんばかりの熱を感じる。
「……ロエ」
ふと声が近くで聞こえたような気がする。その声に向かってまた手を伸ばす。するとさっきまでの膨大な熱が大きな奔流になって身体の外に溢れ出した!
「クロエっ!」
目を開けると父さんの顔が近くにあった。抱きかかえられているようだ。
寒さはもう感じない。日はもう完全に落ち切っているのに。
おかしいと思い自分の身体を見下ろすと、なんと体が燃えているではないか!
何だこれは!?知らぬ間に人間を辞めてしまったとでもいうのか!?
いやそんなことよりも私を抱きかかえている父さんも一緒に燃えているではないか!早く離れないと!
そう思って突き放そうとしても父さんは放してくれない。むしろ抱く力を強めるではないか。
「クロエ!僕は大丈夫だ!集中して炎を鎮めることだけを考えるんだ!」
父さんの珍しく焦った声にはっとする。
落ち着いて父さんを見ると不思議と火傷したりはしていない。
父さんの言葉に従って炎を消すことに意識を集中する。
しばらくするとスゥーと炎は小さくなっていき、私の身体の中におさまった。
事態が収束したようでほっと溜息を漏らす。
「落ち着いたかい?」
父さんの声に頷く。
それを見た父さんも安心したようで、私を抱く力もやっと弱まった。
「僕がついていながら、申し訳ない……」
深く謝罪する父さん。父さんの所為ではないというのはなんとなくわかるが、かける言葉が見つからない。
「父さん、さっきのは?」
「あぁ、とりあえず中に入ってそれから説明しよう」
そう言って家に向かう父さん。その背中についていく。
◇
「さっきのは魔力暴走だ」
居間に戻って開口一番に父さんは言う。
魔力暴走とはなんぞや?困惑する私の様子を見て、父さんは静かに話し始める。
「魔力暴走は体内の魔力が多い者に稀にみられる現象だ。体からあふれる魔力を抑えられなくなって無意識に外に放出してしまう。ひどい時だと魔力が枯渇しきって、死に至るケースもある」
父さんの説明に血の気が引く。せっかく生まれ変わったというのに、また独りぼっちで死ぬとこだった!
「魔力を感知して抑えることを覚えれば、症状を抑えることができるんだ。クロエが無事で、本当に……良かったよ」
私の所為で父さんをひどく心配させたことに罪悪感を感じる。
そうして気まずい沈黙が流れる。
しばらくすると、勢いよく玄関の扉が開け放たれる。
「たっだいま~!今日はでかい鹿がとれたんだ!さっそくメシに──ありゃ?アンタ達、なんかあったの?」
いつも通りの母さんの様子に、父さんと顔を合わせて同時にくすりと笑った。
◇
「はぁ」
布団に潜り込んで、今日の出来事を思い返す。
今日も大変だったが、充実した一日だった。危うく死にそうになったのは反省しなきゃだけど。
今日学んだことを整理しながら「ステータス」を確認すると、「スキル」欄の一番下に「魔力操作LV1」が増えていた。
おぉ!これが怪我の功名ってやつか!
喜ぶと同時に、死にかけたというのに「LV1」であることに現実の厳しさを感じる。
これからも地道に努力しなければと思いを新たにする。
今日もよく眠れそうだ。
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