第7話 鍛錬 其の一

「おほん!さて、今日からクロエ君には私が直々に剣術を教授していくわけだが、何か質問はあるかね?」

「……」


 どこから持ってきたのか付け髭とモノクルを身に着けた母さんは、大仰な口調で授業を開始した。

 こんな時はどうしたらいいのだろうか。母さんのおふざけに合わせて「はい、セシル先生!」とでも返すべきなのだろうか。

 相手が家族とはいえ人付き合いの経験が乏しいため、適切な返答が思いつかない。

 どうするか考えているうちに、遠くで見守っていた父さんから助け舟が出される。


「はぁ……セシル?」

「わぁーったよ、いつも通り話すから」


 父さんの無言の圧力に耐えかねたのか、母さんはぺいっと付け髭とモノクルを外す。


「じゃあまずはクロエの相棒を探しに行こうか」


 母さんに手招きされ、庭に備えられた倉庫に案内される。

 ここは常日頃から危ないから勝手に中に入らないようにと言いつけられていた場所だ。

 自分から危険に近づくような趣味は持ち合わせていなかったため、気にも留めていなかったが、中には何があるのだろうか。


「よいしょっと」


 ガラガラと開けられた戸の先に見えたのは、ギラギラと鋭い輝きを放つ武器の数々だ。

 剣と言われてよくイメージする西洋剣やアジアンな雰囲気を醸し出すシャムシールやククリナイフみたいな曲刀に厳ついハルバード。

 中には私の身長と同じくらいの長さの剣身をもった大剣なんかもある。

 前世では触れるどころか物語で見聞きするのが精々の本物の武器達が、まるで主人を迎える使用人のように整然と並んでいる。

 その光景に圧倒されている私をよそにずかずかと突き進む母さん。


「あれとこれとー、あとあれもださなきゃかなぁ。あーこいつは無しだな」


 ひょいひょいっと幾つかの武器を恐れることもなく手に持ち物色する母さん。

 冒険者がこれらの武器が身近な危険な職業なのだと改めて実感し、一層真剣な気持ちに切り替える。

 しばらくして選別が終わったのか、母さんの手には直剣とレイピアが一本ずつ握られている。


「っとこんなもんかな。じゃあクロエ、庭に戻ろ──どうしたんだい?そんな険しい顔して」


 どうやら緊張が顔にも出ていたらしい。

 不思議そうな顔をした母さんはあぁと納得するとしゃがんで視線を合わせる。


「大丈夫、こいつらは扱い方を間違えなければクロエの身も心も傷つけたりしないよ。そしてこのアタシが教えるんだからそんなことは起こらないのさ!それに危ないのを恐がるのは冒険者に必要なことだよ」


 嗚呼、母さんがまぶしく見える。

 体の震えをどうにか抑え込み、口を開く。


「……うん、母さん。ご教授お願いします」

「よしきたっ!母さんにどんと任せなさい!」


 ウキウキで庭へと踊り出る母さんの後を追いかける。


「クロエは『魔法剣士』だから重いヤツとか扱いが難しいのは合わない。そのうち力がついたら変わるかもしれないけど、とりあえずはこいつらでいいだろ」


 そういって直剣の方を手渡して握り方を教えてくれる。

 いざ持ってみると、やはり重い。慣れるには時間がかかりそうだ。


「じゃあ振ってみようか。こうやって胸の前で構えるようにして斜めに振り下ろす。やってみな」


 母さんの動きを見様見真似で再現する。ふらふらしてはいるが何度か繰り返すと幾らかましになった。


「よし、それじゃあこっちも試してみよう」


 今度はレイピアの方を手渡される。同じように握り方を教えてもらい数回素振りする。

 さっきの素振りで少し慣れたのかそれともこっちの方が軽いのかわからないが今度はふらふらすることもなかった。


「うん、こっちの方が合ってそうだな」


 母さんの言葉に頷く。

 どうやらこれで私の相棒が決まったようだ。


「ほかの構えも教えていくから、ちゃんと見るんだよ」


 そういって上段、下段の構えと剣の振り方を見せてくれる。これも同じように見様見真似で繰り返していく。



 ◇



「よし、そろそろ終わろうか」


 どれくらいの時間が経っただろうか。私の顔も髪も汗でぐっしょりと濡れたころに母さんから止めの声が入った。

 一緒に素振りしていた母さんは私とは対照的に汗一つかいていない涼しげな顔だ。

 やっぱり凄いや。私なんてもうスプーンさえも持てそうにないのに。

 荒い呼吸を整えながら座り込んでいると、母さんがニコニコと笑顔で寄ってくる。


「じゃあ次は体力作りだ。はりきっていくぞー!」


 ……へ?


「ほらさっさと立って!置いてっちゃうよ!」


 呆けている私の手を引いて立たせ、水を一杯渡してきた母さんはそう言った。

 思考がまとまらないまま取り敢えず水を飲み干す。

 それを見届けると母さんは何も言わずに走り出した。もちろん笑顔のままだ。


「……」


 そのままピューと走り去る背中を見て、抗議をするのは諦める。


「ええい、ままよ!」


 気合を入れてその背中を追いかける。

 ──それが地獄の始まりだった。



 ◇



「はぁ……はぁ……」

「やっと来たねクロエ!次は腕立て伏せにスクワットだ!」



 ◇



「よく頑張ったクロエ!」


 や、やっと終わった!


「仕上げに素振りを百回!疲れてても剣を振らなきゃいけない時もある!」


 …………。



 ◇



「よし!今日はこれで終わり、お疲れ様!」


 母さんの声が遠くに聞こえる。

 しばらくは立ち上がれそうにない。寝転ぶと薄く積もった雪の冷たさが火照った肌に心地良い。

 見上げると太陽は中天にかかり燦々と輝いている。おかげでそこまで寒くはない。

 気を抜くとそのまま意識を手放してしまいそうだ。


「そんなに汗かいて寝転んでたら風邪ひくよ。ほら早く湯を浴びにいくよ」


 母さんに助けを求めて家の中まで運んでもらう。

 汗を流して居間に入ると美味しそうな料理の匂いが鼻腔をくすぐる。

 ──グゥゥ。

 人間の身体とは不思議なもので、さっきまでは疲れで寝ることしかできないと訴えていたのに、匂いを嗅ぐだけで眠気が飛んで栄養を寄越せと叫び始める。

 食卓に着くと、有無も言わずに食べ始めた。こんなに必死で何かを食べるのは初めてで、どんなご馳走よりもおいしいと感じた。

 よそってもらった分をあっという間に平らげると父さんが何も言わずにおかわりをくれる。

 感謝の言葉も忘れて黙々と食べる。

 おかわりも食べ終えると、今度こそとてつもない眠気が襲ってきた。

 しかしこれから父さんと勉強しなければならないのだ。

 眠ってなんかいられない、耐えろ私!

 朦朧とする意識の中で眠気に抗っていると、父さんから声を掛けられる。


「ひと眠りしてきなさい、疲れただろう。」

「……え?でも」

「そんな様子では何も頭に入らないさ。少ししたら起きて勉強しよう。時間はあるからゆっくりお休み」


 父さんのありがたい提案に、睡魔に抗うのを止める。


「ありがとう。お休み…な…さい……」


 ギリギリでお礼を言って、私は意識を手放した。



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