第5話 「洗礼」 其の三
新たに駆けつけた職員さんは二十代半ばに見える青年で、間の抜けた顔で棒立ちしている。
何とか母さんの抱擁から逃れ、状況を説明してもらうためにお姉さんを揺さぶる。
数秒の後、はっとした顔で辺りを見渡していたので、青年職員さんの方を示すと、お姉さんは胸倉を掴む勢いで歩み寄り、早口で捲し立てた。
「せ、先輩っ!あの子っ!ス、スキルがぁっ!」
「落ち着きなさいエリナ、お客さんの前だよ」
そう諭しながらテーブルの上の水の入ったグラスを取り、お姉さんに手渡す。
大きく深呼吸した後に一口飲むと、落ち着いたようでこちらに頭を下げる。
「取り乱してしまってごめんなさい!」
さっきまでとは打って変わって仕事モードに切り替わったお姉さん改めエリナさんは一言詫びた後に、先輩と呼ばれた職員さんに向き直り、私の「洗礼」の結果を交えながら状況を説明する。
心なしか、まだ顔が赤く興奮している様子だったが、報告はつつがなくなされたようだ。
正気に戻った母さんとともに椅子に座って待っていると、エリナさんは何かを頼まれたようで部屋を出て、先輩職員さんだけがこちらに座りなおす。
「先ほどは職員が大変失礼いたしました。私は、当ギルド副支部長のニックと申します」
簡単な自己紹介を済ませると、ニックさんが話を切り出す。
「今回、そちらのクロエさんが『洗礼』で十個のスキルが発現したということに間違いはないでしょうか?」
「ああ、すごいだろう?うちの子は」
「確認しても?」
ニックさんがこちらに目を向け尋ねてきたので、首を縦に振る。
ニックさんは目礼して、羊皮紙に目を通すと、一瞬だけ驚愕したように目を見開き、やがて諸々の資料も確認し終わったのか、ふうと一息ついた後静かに口を開く。
「お待たせいたしました。端的に申し上げますと、クロエさんの『洗礼』の結果はとても珍しいケースです」
「と言うと?」
「お母様はご存じかとは思いますが、『スキル』はそれに見合った経験や修練を積むことで新たに発現したりLVが上がっていきます」
「ああ、アタシも子供の頃に耳にタコができるくらい聞いたさ」
「そしてそれは『洗礼』を受ける前も例外ではありません」
「──っ!そいつは本当かい?そんな話は聞いたことないけど」
「ええ、正真正銘本当のことです。今でこそ普及した技術とされていますが、この『ステータス』という概念もここ数百年で生まれたものと伝えられています。それまでは、『洗礼』という通過儀礼もなければ『ステータス』も存在せず、困難を乗り越えた強者、或いは知恵者のみに超常の力が宿り英雄とされていました」
ほう、これはまた面白い話だ。「ステータス」やら「スキル」やら、ゲームのような概念はこの世界の人達にとってもファンタジー的な不思議な力であって全てが解明されているわけではないらしい。
心の中で興味深く思っていると、ニックさんの研究者的な語り口にじれったくなったのかせっかちな母さんが遮るように口を開く。
「熱弁してるところ悪いんだけどさ、それがさっきの話に何の関係があるんだい?」
「……失礼、少々脱線してしまいました。要は『ステータス』についてはまだまだ研究されている最中であるということです。先述の、『洗礼』を受ける前の経験が最初のステータスの発現に影響があるというのも、最近の研究──主に出生から『洗礼』までの経緯の統計調査をしたことで発見、証明されたものです」
「そんな重要そうなことが何で知られてないんだい?いかにも王国のお偉様方が食い付いて噂でも広まりそうなもんだけど」
「単純な話です。そのような研究結果が出たところで幼いころから過酷な経験を進んでさせるわけにはいきません。せいぜいが有力氏族の家系に生まれた子に英才教育を受けさせるのが限度です。いかに国力増大のためとはいえ、子供を資源のように使い潰すなんてことはあってはなりませんから」
瞳に熱い思いを灯しながらニックさんが言い切る。話し方からも沈着冷静な頭脳派の人かと思っていた分、意外な印象を受けた。
そして、少し威圧するような目で私と母さんを見つめながら言う。
「そこで、クロエさんの『洗礼』の結果から、お母様──セシルさんを疑ってみたのですが……」
母さんはキッと彼を睨む。もちろん私もただ母さんたちと平和に暮らしていただけなので「そんなことない!」と大声で否定したいのだが、依然としてコミュ力は皆無なわけで、オロオロしながら母さんのドレスの手をぎゅっと握るので精一杯だった。
「……書類からも貴女方の様子からも、そのようなことは窺えませんでした。それに、セシルさんやリアムさんには当ギルドの職員達も常日頃お世話になっていると聞き及んでいます。そんなお二方のお子さんだというのなら、クロエさんの結果もその才覚によるものと断定してもよいでしょう。お二人共おめでとうございます」
フッと、優しいまなざしに変わりそう告げる。
「フンッ!紛らわしい態度するんじゃないよ全く」
「すみません、私も便宜上疑わずにいるわけにはいかなく」
「役者にでもなった方が稼げるんじゃないかい?」
ホッとした私とは違って、母さんはご立腹なようだったが、ニックさんはそんな母さんのお小言にもどこ吹く風といったようにニコニコと笑っている。
この二人も存外に気が合うのかもしれない。
母さんの口擊が終わる頃、エリナさんが一枚の名刺のようなカードを持って戻ってきた。
「こちらがクロエさんのギルド証です。身分証明に必要なので無くさないように気を付けてくださいね」
おずおずと受け取ると、エリナさんから追加の説明をされる。
「ギルド証は商人協会や冒険者協会に登録するときにも必要になります。それから、商人協会には今すぐ登録することができますが、冒険者協会には安全のため九歳からの登録となりますのでお気を付けください」
へー今すぐは冒険者になれないのか。でもまあ、今すぐモンスターと戦えって言われたら困るなんてもんじゃないし当然か。
そんなこんなで無事「洗礼」を終え、二人して帰路につくのだった。
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