第3話 「洗礼」 其の一
「二人とも、そろそろ起きなさい」
リアム父さんの優しい声が、もう朝が訪れたことを告げる。
その声と、食卓から漂ってくる朝食のにおいに導かれるかのようにベッドから身を──起こそうとしたのだが、まるで体が持ち上がらない。
何事かと寝ぼけ眼で自分の身体を見下ろすと、セシル母さんの腕がタコの足のように絡みついていた。
この身を包む母の愛に幸せな気持ちになるが、これでは朝の支度ができない。苦笑交じりに父さんの方に視線で助けを求める。父さんは私の意を汲んでくれたようで母さんの身体を揺さぶる。
「うーん……後五分だけぇ……」
しかし、我々の健闘も虚しく、返ってくるのはそんな寝ぼけた答えのみ。
父さんは肩をすくめ諦めたかのように見えたが、ふと顎に手をやり悪い笑みを浮かべたかと思うと、母さんの耳元で真剣な声色をつくって囁いた。
「このままではせっかくのクロエの晴れ舞台に間に合わなくなってしまうぞ」
「──ッ!!」
そこからの母さんの動きはまるで雷のようだった。
怒涛の勢いで寝室を飛びだし、父さんが張ってくれた湯で顔を洗い、食卓のいつもの席に座ったかと思うと、寝室に向かって大声で呼びかけてくる。
「何やってんだい二人とも!そんなちんたらしてちゃあクロエの『洗礼』に遅れちまうよ!」
そんな母さんの手のひら返しに今度は二人して肩をすくめて苦笑いするのだった。
朝食も食べ終わり、いつもなら私は狩りに向かう母さんの支度を手伝うのだが、今日は母さんも自分の身支度をするため、父さんに手伝ってもらって自分の支度を済ませる。
父さんが居間のクローゼットを開けると、ちょっとした晴れ着用に用意してくれていたのだろうか、普段着では着ないような簡素なドレスが目に入った。父さんは、恭しい手つきでそれを取り、着替えさせてくれる。
物語の中のお姫様のような扱いに、少しの高揚感と、中身は成人済みなのに着替えさせてもらっているという気恥ずかしさを覚えて、顔色をころころと変えていると、ふと父さんがこちらを見つめていることに気づく。
「楽しみかい?」
「うん。だけどやっぱり少し緊張するかも」
言われずともわかる。昨晩のように私のことを心配してくれているのだろう。心の内を正直に打ち明けると、父さんは何も言わずに、いつも通りの優しい手で頭をなでてくれる。
やはり、父さんには私が何で緊張しているのかもお見通しのようだ。特別にかけられた言葉はないが、鼓動がいつものリズムを取り戻していくのが分かった。
「クロエ―!そろそろ出発するよー!」
そんな風にしていると、玄関から声を掛けられる。
「今行くよー!──行ってきます父さん」
「ああ、行っておいで」
背中を押され、急かす母さんの元に行く。
「あら、やっぱり似合うわね!仕立ててもらっておいて正解だったわ」
そう言う母さんも、いつもの狩りの服よりもフォーマルな装いでいつも以上に綺麗でカッコいい。見惚れるようにぼーっと突っ立っていると、母さんの視線は私の頭、帽子の少し下に移る。
「その髪留めも素敵ね!いつの間に用意してたのよ。全く、隅に置けないわね~このこの~」
といって抱き着いてくる。
はて、髪留めなんてもの用意した覚えも着けた覚えもないぞ、と手鏡で確認してみれば、そこには控え目にだがうっすらと輝く三日月を模した髪留めがあった。
振り返って父さんの方を見ると、悪戯が成功した子供のような笑顔で手を振っていた。
「やばっ、早く行かないと!じゃあリアム、ご馳走用意して待っててね!」
そう言って、母さんが呆然とする私の手を引く。
転ばないようにしながら手を振り返し、帰ってきたらお礼を言わなければと心に決める。
◇
薄らと雪の敷かれた街までの道を、母さんと一緒にちょっとしたピクニック気分で進んでいく。
母さんと父さんは仕事の第一線から身を引いて、街から少し離れた場所に家を建てて暮らしている。街までの道のりはのんびり歩いて一時間程度。何故わざわざ山間で暮らすのかと疑問に思ったこともあったが、自然の中の方が二人の生活に合っているらしい。
二人の「職業」《ジョブ》からは、いかにも王様のお使いで世界を救う勇者様御一行にいそうな雰囲気を感じられるが、実際は冒険者として仕事をしていたようで、「剣豪」や「賢者」といった仰々しい名前の「職業」も普通の戦闘職系から派生した先にあるものらしく、本人達曰く、少なくはない人数がその域まで到達しているようだ。
この話を聞くまでは自分がどんな「職業」が発現すれば、二人の顔に泥を塗らずに済むのかとびくびくしていたものだ。今では二人みたいに冒険者になるのに不自由しないものなら何でもいいかと気楽な気持ちでいる。
それに、冒険者になって色々な人と出会えば友達の一人や二人くらいこんな私にもできるでしょ!……できるはずだ。──できてください、神様お願いしますっ!
などと私史上で一番情けないお祈りを心の中でしていると、遠目に目的地の外壁が見えてくる。
「クロエ、そろそろ着くよ」
「うん」
「それにしても、ウチに来たときはあんなにちっちゃかったクロエが今はもうこんなに大きくなっちまって」
「そんなに小さくなかったでしょ」
豆粒でも摘まむような仕草で私の赤ん坊時代を振り返っている母さんにツッコミを入れる。どうして身内とはこんなにスムーズに会話できるのだろうと、自分でも不思議に思うところがないではないが、
そんな会話をしている間にも外壁はどんどんと近づいてくる。
街への入り口には大きな門扉があり、番兵みたいな人達が傍らに控えている。
その人達を目にした途端、少しだけ脈が速くなるのを自覚する。
「クロエはどんな『職業』がいいんだい?」
「私は……」
「クロエ?」
呼吸が浅くなり、母さんの質問にもうまく答えられない。
それまでは何ともなかった足取りも徐々に覚束なくなる。
異世界に転生して少しはましになっただろうと楽観視していた私のコミュ障はどうやらちっとも治ってなかったらしい。
母さんたち以外の他人の顔を見ただけでこうだ。
もしかすると転生前よりも酷くなっているかもしれない。
これではコミュ障を通り越して「コミュ症」ではないか。
ハハッ、ちっとも笑えない。
終わることのない自嘲のループに入ろうとしていると、ぎゅっと暖かく大きな手が私の手を包む。
母さんの顔を見上げると、真剣で、それでもってどこまでも明るい笑顔を浮かべながらもう一度質問してくる。
「クロエは、どんな『職業』になりたいんだい?」
その笑顔と繋がれた手の温度で、私の緊張はじんわりと氷解していく。
──そうだ、せっかく転生したんだから、ぼっちなんか卒業して文字通りのセカンドライフを満喫するんだ!
そう決心し、大きく息を吸い込んで言葉に決意をのせて勢いよく吐き出す。
「お母さんたちみたいな冒険者になって、友達いっぱいつくりたい!」
少々子供っぽい発言な気もするが、今の私は六歳になりたてのぴちぴちガールなので気にすることはない。大事なのは身体ではなくハートなのだ。
「よく言った!それでこそ私たちの子さ!」
母さんはそう言うと私の頭をこれでもかと撫でまわしてくる。
気持ちは嬉しいが、これが原因で将来禿げるかもしれないほどに力が強かったので、撫でまわす手を掴み、握ったまま街への行進を再開する。
母さんは一瞬だけ驚いた顔をしたが、すぐに破顔して歩みを揃えてくれる。そのままずんずんと突き進むと、番兵もこちらに気づいたようで歩み寄ってくる。
やはりお約束の身分証明でも必要なのだろうかと思っていると、こちらを見るや否や顔を顰めてこう言い放つ。
「げっ、黒髪」
──かいしんのいちげき!!!
脳内で気持ちいいほどの効果音が流れる。なんなら勝利のファンファーレまで聞こえてきそうだ。
しかし、ここで倒れるわけにはッ!
決心も早々に力尽きそうになっていると、
めりっ
……「めりっ」?
一体何の音だとその音の聞こえた方を見ると、そこには怒髪天を衝く勢いで怒りのオーラを纏った母さんがいた。
「おい……テメエ今なんつった?」
「ん?セシルじゃないか。今日はどうしたんだ?それにいつもとは格好も──」
どうやら知り合いだったようだ。まあ、母さんも父さんも狩りの獲物や本を街で売って生計を立てているらしいから、当然知り合いもそれなりにいるのだろう。しかし、知り合いだからと言って母さんの恩赦が下されることはない。
「いいから答えろ。今、お前は、ウチの、かわいい子に、なんて言いやがった?」
「……ふぇっ!?お前らの子!?いやしかしそんな話は聞いたことはないぞっ!」
「そんなこたぁ、関係ねーんだよ。さっさと質問に答えろこの野郎!」
「ヒッ」
会話はそこまでのようで、母さんの一方的な口擊が始まった。
どれくらいの時間が経ったのだろうか。
「今日はこれくらいにしといてやる」
やっと母さんの怒りが冷めるころには、番兵の彼は涙目で震えながら地べたに座り込んでいた。
「──が、次にやりやがったら今度は」
前言撤回、まだ完全には冷めきっていなかったようだ。
母さんがポキポキと拳を鳴らすと、番兵はコクコクとうなずく。まるで従順な小型犬のようだ。
……冗談でも母さんを怒らせないようにしよう。
私は今日二度目の決心をしたのだった。
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