第41話

 ――子どもの頃は、生きるだけで必死だった。


 温かい家、柔らかいベッド、美味しい食事。

 十歳のときに両親と死別してしまい、それらすべてを失って天涯孤独となり。

 次の日に食べるパンすらどうすればいいのかわからず、ただ一人残されて、目の前は真っ暗で。

 歩けば落ちてしまうほどか細い道しか見えず。


 その瞬間のことをよく覚えているし、今でも夢に見る。

 世界に置いて行かれたような錯覚さえ覚え、絶望したことをシリウスは一生忘れないだろう。


 ――素直に教会に頭を下げて孤児になっていれば、子どもらしい子ども時代を送ることが出来たのかもしれない。


 今更だけど、とシリウスは苦笑する。

 両親が死んだことをすぐに認められず、孤児として教会の世話になることを拒否した。


 子どもながらに背伸びしているのがよほど目に付いたのだろう。もしくは危なっかしかったのか。

 世界は彼が思うほど残酷ではなく、多くの人がシリウスを支えてくれた。

 

 真っ暗でか細いと思っていた道は、シリウスが思うよりもずっと安定した道だと教えて貰い、歩み進める。


 そうして十年経った今、道を振り返るとそこには迷子のように泣いている小さな女の子がいた。


 ――おいで。


 少しだけ道を戻り、シリウスはその手を握ってあげる。

 少女は涙を流しながらも、その手を取って――。




 ロバルト・スカーレット侯爵にククルのことを認めて貰ったシリウスは、正式に彼女の父親となった。

 これまでは曖昧にしていた二人の関係は、たった一枚の紙に書き記すことで誰もが認めることとなる。


 それから一ヶ月。

 二人は平和な日々を過ごして――。


「あわ、あわわわわ!」

「ククルちゃん慌てちゃ駄目よ! ほらそこでデレデレした下心丸出しの親父たちに笑顔を振りまいて! 一言」

「も、もう一個買って欲しいなぁ」

「直前のやりとりを知ったら天使というより悪魔だが、それでも買っちゃうぜ」


 ククルはこの日、マーサの営む雑貨屋から再び指名以来を受けてレジを任されていた。


 すでに城塞都市ガーランドでは、銀髪の天使が舞い降りた店には祝福が得られる、なんて噂話が飛び交っていることもあり、彼女が入った店は大行列が起きる。


 そのせいもあり、毎回死ぬほど忙しくなっていて目を回していて笑顔をもぎこちなくなっていくのだが、ククルのファンとなった追っかけ客たちはそれもアリと言わんばかりにやってきた。


 そうして夕方、店が落ち着きを見せた頃、大きな袋を担いだシリウスがやってくる。


「あ、お父さん! もう魔獣退治は終わったの⁉」

「うん。ただこの後ギルドに報告しに行かなきゃいけないんだけど、ククルも一緒に行く?」


 ばっとククルはマーサを見る。

 一応まだ営業時間中だが、この辺りのさじ加減は依頼主である彼女に一任されていた。


 ――今日はたくさん働いたよね! お父さんと一緒に帰りたい帰りたい帰りたい! 


 そんな念をマーサに飛ばすと、彼女は笑顔で近づいてくる。


 自分の想いが伝わったのだと思ったククルが笑顔を見せると、マーサは首根っこを掴んで持ち上げた


「え?」

「まだまだ、仕事帰りの男たちの相手をしてもらわないとね!」

「そ、そんなぁー!」


 そのままククルをレジカウンターまで持っていく。


「あはは……。じゃあ俺は近くの店をぶらぶらして、適当に待ってるね」

「お、おとうさーん!」

「アンタはこっちだよ。あ、シリウス。その大きな荷物はうちに置いといて良いからね!」

  

 まるで今生の別れのような叫びをするククルに苦笑しつつ、シリウスはお言葉に甘えて袋を置いて、近くの店で時間を潰すことになった。


 ――そういえば、武器の手入れもしないとな。


 そろそろ冬も近づいてきて、多くの魔物が冬眠期間に入るためガーランドの外に出向く依頼も少なくなってくる。

 今日集めた分でグレイボアの毛皮も納め終わり、しばらくは魔物狩りをする必要はないので、手入れがままならない状態だった剣を預けてしまおうと鍛冶屋へ訪れる。


「ランゴッドおじさん、います?」


 入り口付近には多くの武器が並ぶが、カウンターには誰もいなかった。


 この店はシリウスが冒険者になってからこれまでずっと自分の剣を見てくれていたため、馴染みが深い。

 親戚の店に来たような雰囲気でシリウスが奥に入ると、赤い火を焼べて鉄を叩く壮年の男性がいた。


「おー、シリウスか。どうしたぁ?」

「もうすぐ冬だから、一度武器を預けようと思ったんだけど」

「おう、もうそんな時期か。じゃあ武器はそこに置いて、いつも通り金はギルドに預けておいてくれや!」


 それだけ言うと、ランゴッドは再び鍛冶に戻る。

 シリウスもそんな彼に慣れた様子で武器を置いていった。

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