第40話
「義父上」
「いい、楽にしなさい」
――ロバルト・スカーレット侯爵。
すでに五十を超えているはずだが、赤髪と茶色の瞳は力強さがあり、若々しい。
それでいて王宮の魑魅魍魎を相手に戦ってきたであろう老練な雰囲気も感じられる。
シリウスもアリアと仲が良いため何度か会ったことはあるが、未だにこの空気感には慣れそうに無かった。
「さて、余り長々と時間は取れないのでな。本題に入らせて貰おう」
ロバルトはアリアの隣に座ると、まずシリウスを、そしてその後にククルを見る。
「まずシリウス、そしてククル。我が領地で起きた事件を被害無く防いでくれたこと、誠に感謝する」
「あ、いえ……俺はなにもしていないので」
「わ、私も……というか私のせいで――」
ククルがなにかを言おうとしたところで、ロバルトは再び手で制す。
それ以上はなにも言うな、ということだ。
「先に言っておこう。先日の一件の事情はすべてアリアから聞いて知っている」
「え?」
「その上で言うが、我が領地で起きたことはすべて領主である私の責任だ。貴様も、そしてシリウスにも非などない」
ロバルトは子どもと扱わず、まっすぐククルを見つめてそう言い切った。
「とはいえ、私も王国の領主だ。アリアですら苦戦する魔物を倒す魔術師など、たとえ子どもであっても放っておくわけにはいかん」
「あ……」
それを聞いて、シリウスは不味いと思う。
侯爵はククルのことを子どもと思っていない。それは同時に、持った力に対する責任もあると認識しているのだと理解したからだ。
「私は魔術というものに疎いが、騎士団にとって脅威になるものではないと認識していた。だがそれが覆るとなれば……」
「待ってください侯爵。ククルは……」
「上に報告をしないわけにはいかんのだ」
「……」
シン、と応接間に沈黙が流れる。
ロバルトの言うことにはなにも間違いがない。
シリウスだって、もしこれが他人事であれば当然だと思うだろう。
――だけど、それはこの子の望みじゃない。
「発言をよろしいでしょうか?」
「いいだろう」
「では……」
シリウスは隣で縮こまっているククルを抱き寄せると、まっすぐ侯爵を見据える。
「この子は、俺の娘です」
「ほう……? だが報告ではその子には記憶がなく、気付けばヤムカカンの森にいたと聞いているが?」
「そうです。そしてつい先日、俺が引き取ると約束しました」
まだ戸籍を登録しているわけではないが、それでもそう決めた。
そして、子どもの未来を守るのは親の役目だと、そう思った。
「侯爵、もし上に報告したらこの子はどうなりますか?」
「そうだな。まずはその力の限界を知るところから始まるだろうが、アリアの言葉を疑う者はいないだろう。そうなればどこかの貴族が必ず手にしようとする。もちろん、我が家もだ」
侯爵は自らの髭をさすりながら、ククルを見る。
「この子の力があれば、王国だって転覆出来てしまうかもしれんからな」
「それは、この子を戦争の道具にするということですよね?」
「ああ。それほどの力があるからこそ、間違いなく国王も欲しがる。我が国の地盤を絶対の物にするために……いや、大陸に覇を唱えるために」
「っ――⁉」
ロバルトの言葉にアリアが反応する。
なにかを言いかけて、しかし下唇を噛んで我慢するように言葉を止めた。
「なに、悪いことばかりではないさ。その分アリアのように国からは貴族の地位、要職、それ以外にも叶えられるすべてを与えられるのだから」
「……」
「もちろん、それは貴様にもだシリウス。これほどの宝を見事に見つけ、そして守った恩赦は間違いなく莫大な物となる。C級冒険者では一生かけても不可能なほどの金貨、そして地位も与えられるのは間違いない」
それはまるで、底なしの誘惑だ。
シリウスはこの十年、真面目に頑張ってきた。
だからこそ今があるとはいえ、幼いときに両親を亡くして以来、我武者羅に生きてきた彼にとってこれほど魅力的な提案はないだろう。
だが――。
「だとしても、絶対にこの子は渡せません」
「……理由を聞こうか」
「この子が望んだ未来ではないからです」
ここでもしシリウスが頷けば、きっとククルはその意思に従うだろう。
彼女にとってシリウスは特別な人で、そんな彼が幸せになれる選択があれば自分を犠牲にしてでもそちらを選びたいと思う。
――でも、やっぱり違うよね。
とはいえ、元よりそんな誘惑に屈するようなら、今ここで彼と共にはいないのだ。
それを嬉しく思う反面、このとんでもないくらいのお人好しにこれ以上迷惑はかけられない。
だからククルは、ここで終わりだと、言葉を発しようとした。
だが、それはシリウスによって止められる。
「ククルは俺の子どもとして、これから一緒に平民として過ごします」
「……それはつまり、私に国を裏切れと、そう言うのか?」
「はい」
「お父さん⁉」
普通なら死罪になってもおかしくないような言葉。
それを迷い無く言い切ったシリウスに、ククルは驚いて思わず顔を見上げる。
その表情は、どこまでも覚悟を決めた親の顔だった。
「……っ」
アリアは身体を震わせて俯く。
そしてロバルトはというと――。
「く、くくく……くくくく!」
まるで笑いを堪えるような声を上げる。
そしてしばらく、くぐもったような声が応接間に響き続けた。
「はーはっはっは! いやいや、アリアのときも思ったが、とんでもないな貴様は!」
「ふ、ふふふ。だから言っただろう義父上! こいつはこういう男なんだ!」
そして二人はもう我慢をする必要なんて無いのだと、大きく笑い始めた。
「ああ、本当に馬鹿だな。だが、嫌いじゃ無い!」
「え?」
「え?」
シリウスとククルは二人揃って呆気にとられたような顔をする。
それはまさに親子のようにそっくりで、余計に目の前の貴族二人を笑わせる結果となった。
「ああつまり、だ」
そうしてアリアの口からネタばらしがされる。
事前に彼女の口から今回の顛末についてはすべて話していて、シリウスがククルと親子として生活すること。
そしてそのサポートを、侯爵家がするということ。
「……」
「そんな目で見るなシリウス。これは必要なことだったんだ」
「その通りだ。今回の件は正直かなり綱渡りでもある。それゆえに、どうしても貴様の覚悟を知っておきたかったのだ」
アリアと侯爵は決して血の繋がりはないはずなのに、まるで本当の親子のように言葉を紡ぐ。
そしてシリウスもまた、二人がわざわざこんな寸劇のようなことをした理由に気付いた。
「あの、つまりどういうこと、ですか?」
「ククル、簡単な話だ。お前はシリウスの娘になって、好きな未来を歩めば良い」
「……」
なんともあっけらかんに言われてしまい、どうしても理解が追いつかないククル。
つい先ほどまで、別れを覚悟していたというのにこれでは、頭も付いてこないのだろう。
「なんなら、私のことをお母さんと呼んでも良いんだぞ?」
「アリアよ。さすがにそれは簡単には認められんぞ」
「……頑固親父め」
ぼそっと呟く姿は騎士の中の騎士とは思えないほど子どもっぽい仕草。
二人は先ほどまで引き締まっていた空気など無かったかのようだ。
だがそれをシリウスたちに見られている事に気付いて、侯爵は咳払いをして仕切り直す。
「ごほん……つまり、その子は王国にとってあまりにも劇薬すぎるということだ。報告できないならせめて、信頼出来る人間に任せるのが一番だということで、貴様を試させて貰った」
「……いいんですか?」
「私に反論すれば死罪の可能性があった。それでも守りたいと思ったのだろう?」
そう言われて、シリウスは確かにそうだと思った。
ククルと出会って、一緒に過ごして、慕われる内にシリウスもまた自分の娘のように思ったのだから。
「そうですね」
「ならば決まりだな。貴様たちは我がスカーレット家の名で守ってやる。その代わり、間違っても道を踏み外すなよ?」
「はい!」
にやりと笑うロバルト侯爵に、シリウスは力強い返事をした。
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