第37話
ユルルングルの討伐に成功した後すぐ、ククルはまるで力尽きたように眠ってしまった。
それに合わせるように、ヤムカカンもまた元の小さなサイズに戻って寝てしまったため、シリウスは一人と一匹を抱えてワカ村に戻る。
村人たちからは歓迎され、それを受け入れながらも疲れているからと休ませて貰うことにしたのだが――。
――明日、話したいことがある。
そうアリアに呼び出されたシリウスは翌朝、ワカ村の壁に登ってヤムカカンの森を見ている彼女の横に立つ。
「呼び出してすまなかったな」
「いや、大丈夫だよ」
朝早い村人たちですら起きていない静寂の中。
少し冷たい風を感じながら、しばらくの間二人は黙って激しい戦いの跡地を見る。
そうしてしばらく黙っていたアリアが、口を開いた。
「ククルのことだが、我が侯爵家で面倒を見たいと思っている」
「そっか」
スカーレット侯爵家は国内でもトップクラスの名門貴族。
孤児だったアリアを受け入れ、今もこうして元気にやっているという前例もあって、安心して任せられる。
――そのはず、なんだけど……。
何故か一瞬、胸が痛んだ。
「あれだけの力を放置することは出来ん。それと同時に、心ない貴族に任せるのも危険だ」
「でも大丈夫なの? アリアの件で、孤児に力を持たせすぎることに疑問視されてるって前に言ってたよね?」
「義父上の手腕なら大丈夫さ。それに、そんな外野の声などに左右されるような人じゃないさ」
シリウスは過去にあったことのあるスカーレット侯爵を思い出す。
どこまで貴族である彼は、為政者として間違いなく優秀で立派な人だった。
きっと彼の下であればククルはその力を発揮することが出来るはず。
そのための道は作れる人なのだから。
「……シリウス。そんな顔をするな」
「え?」
「大丈夫だ。私がお前に会いに行けたように、ククルだって会う時間は作れる」
――ああ、そうか。
その言葉に、シリウスは自分が今どんな顔をしているのか理解した。
顔は引きつり、喉が震え、今にも泣きそうな顔で、なんとも情けない顔。
どうやら自分は、いつの間にか彼女をそれだけ大切に思っていたらしい。
――だとしたら、余計にここで引き留めたら駄目だ。
ククルの将来のことを考えれば、スカーレット侯爵家に面倒を見て貰えるのが一番だ。
彼女の魔術の力はそれこそ戦争の道具にされかねないが、侯爵家ほどの権力があればそれも抑えられる。
それにきっと、アリアも味方になってくれるだろう。
やりたいことだってやらせて貰えるし、未来への選択肢はとても幅広く選べるはず。
「日雇いの冒険者。それも十年やってC級なんて中途半端な男の下にいるよりも、ずっとククルのためになる話だ――」
「そんなことない!」
「え?」
不意に、背後からククルの声が聞こえて振り返る。
見れば、彼女は息を切らして、真剣な表情でこちらを見ている。
「……シリウスさんは、とっても凄い人だもん!」
「ククル……今の話を聞いてたの?」
「私は!」
小さな身体を全身に使って、出せる限りの大声で叫ぶ。
「シリウスさんのおかげで今があるの! この世界に来て、色んな事を知って! 色んな人と出会って!」
一歩、また一歩と近づきながら、まるで誰かに怒っているような、そんな声。
「不安だった! 一人でやっていけるなんてとても思えなかった! だけど、だけどシリウスさんが手を繋いで街を歩いてくれて、怖さなんかどっか行っちゃった! 楽しかった! それで、だから――っ!」
突如、上空から強風が吹き、ククルの身体が揺らぐ。
そして彼女はその風に押されるように、壁から落下し始めた
「ぁ……」
「ククル⁉」
壁の高さを考えれば落ちれば致命傷は間違いない。
だがシリウスには迷いなんて無く、飛び出した。
そして空中でククルを捕まえると、そのまま彼女が怪我をしないようにしっかりと抱きしめる。
「ほら……やっぱりシリウスさんは約束通り、こうして助けてくれる。だから私は――」
地面に落下し、鈍い音が早朝のワカ村に響く。
「くっ……あれ?」
背中から落下したシリウスには痛みも無く、不思議に思う。
しかしそれも気付けば薄い魔力で全身を覆われている身体と気付いて、またククルに助けられたのだとわかった。
立ち上がろうとして、ふと彼女が身体を密着させて離そうしないため身動きが取れない。
そんな中、シリウスには伝わる彼女の体温と心臓の音。
「……シリウスさん。私、まだ貴方と一緒にいたい」
「ククル……でも、君のことを考えたら――」
「貴族なんてどうでもいい。贅沢な暮らしだってしなくていい。ただ私は、こんな温かい気持ちを手放したくない」
「……」
シリウスはククルを抱えたまま立ち上がり、そしてそっと彼女を降ろした。
そしてまっすぐ彼女の青い瞳を見る
「俺はどこにでもいるただの冒険者だよ」
「知ってる。ちょっと優しくて、誰からも好かれてて、色んな人に助けて貰える人」
「お金だってたくさん持ってるわけじゃないから、贅沢な暮らしだって出来ないんだ」
「それはさっき言った。贅沢な暮らしなんて必要ない。それよりもずっとずっと大切な、貴方に教えて貰ったこの気持ちを手放したくないの」
まるでぶれることのないククルの目は、きっとなにを言ってももう変わらないだろう。
シリウスは一度空を見上げてみる。
太陽が昇り始め、雲一つ無い真っ青な空が浮かんでいた。
「じゃあ、俺のところに来る?」
「うん!」
なんとも締まりの無い言葉だとシリウスは思ったが、それでもククルは満面な笑みを浮かべて頷いた。
「話は纏まったか?」
「あ、アリア」
壁から飛び降りてきた彼女は、どこか優しげに笑っている。
もしかしたら彼女は、こうなる未来が見えていたのかもしれない。
「アリアさん。私、シリウスさんのところにいきます」
「ククルがそう決めたのなら、それでいいさ。あとの面倒事は全部、私がなんとかするから心配するな」
そうして彼女は近づいてくると、ククルに視線を合わせるようにしゃがんで頭を撫でる。
「君のおかげで我が領の大切な村が救われたんだ。大丈夫、シリウスも、ククルも、私が必ず守ってみせよう」
――なにせ私は、最強の騎士だからな。
そう茶目っ気に話すと、アリアは立ち上がり、そして機嫌良くその場から去って行く。
一体彼女がこれからどういう手段を取るつもりなのかわからないが、それでもきっと大丈夫なのだろうという確信がシリウスにあった。
そうして残された二人はお互い見合い、少し照れたように笑う。
「それじゃあ、俺たちも戻ろうか」
「うん」
――お父さん。
不意に出た言葉、というわけではないらしく、ククルは少し悪戯げだ。
その言葉の責任の重さを一瞬考えるが、それ以上に彼女がそれだけ自分のことを信頼してくれていることが嬉しく思った。
だから彼女の小さな手を握り、この子が大きくなるまで必ず守り抜こうと心に決めるのであった。
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