第36話
――やってしまった……。
ヤムカカンの背に飛び乗ったシリウスは、ほぼ同時に飛び出したため遠ざかって行くワカ村を見送りつつ、額から汗をだらだらと流していた。
「し、シリウスさん⁉ どうして付いて来ちゃったの⁉」
「……」
本当はちゃんと、ワカ村で待つつもりだった。
これまでのことを考えればククルには特別な力が宿っていて、ただの冒険者でしかないシリウスが居たところで邪魔になるのは目に見えている。
――だけど……。
「仕方ないじゃ無いか。だってククルが怖がってたから」
「え?」
ヤムカカンに飛び乗る直前、ククルが恐怖に身体を震わせていたことに気付いてしまったのだ。
たとえどれほど力を持っていると言っても、あの森の木々よりも遙かに大きい怪物と戦おうとしているのだから当然だろう。
そんな弱々しくも前を向くククルの姿を見て、シリウスは黙って見送るという選択肢がとれなかった。
「大丈夫だよ」
ヤムカカンは自分が乗ったことすら気付いていないのか、どんどんと大蛇へと迫っていく。
シリウスは大きく揺れる背中をゆっくりと進み、そしてククルの前に辿り着くとその手を握った。
「俺も一緒にいるから、だから怖がらなくても大丈夫」
「ぁ……」
「だから安心して」
「……うん」
気付けば、彼女の震えは止まっていた。
「なにがあっても俺が助けるから、ククルは皆を助けてくれる?」
「……本当に」
「ん?」
「なにがあっても、助けてくれる? 私のこと、守ってくれる?」
見上げた彼女は、どこか迷子の子どものような怯えた瞳をしていた。
――ああ、この子は本当に……。
ククルの前世であった出来事は教えて貰った。
だがそれでも、彼女はまだ自分のことを信じ切れていなかったのだろう。
きっとこれが彼女を縛っている心の闇なのだろうとわかったシリウスは、彼女の頭を優しく撫でる。
「うん。ククルが望むなら、いくらでも助けるし、守るよ」
その言葉が上辺だけのものでないことに、ククルも気付いたのだろう。
ゆっくりと、瞳に生気が戻り、そしてまっすぐシリウスを見つめた。
「シリウスさんは、初めて会ったときも同じことを言ってくれたね」
ククルがまだこの世界にやってきたばかりで、なにも出来ずただ恐怖に震えていたとき。
結局闇が続くだけで絶望しかないのだと怯えていた彼女を救ったのは、勇者でも成人でもない、ただのお人好しの冒険者だった。
「……本当に、お人好しが過ぎるよ」
「ははは、よく言われるけどさ……結局、俺は色んな人に助けて貰ってここまでやってこれたから、それを真似してるだけだよ」
そうシリウスが微笑むと、彼女は照れながら子どもがなにかをおねだりするように指を下に指す。
「そこに座って」
言われた通りにすると、ククルは背を向けてシリウスの足に嵌まるように座る。
子どもらしい温かな体温が伝わってきた。
「ククル?」
「私のこと、ぎゅっと抱きしめて……それで、離さないで」
彼女が自分に身を任せるように体重をかけてくるので、シリウスは言われるがまま、彼女の後ろに座るとククルをぎゅっと抱きしめる。
「子どもの頃、お父さんにこうして抱きしめて貰って、一緒にテレビを見てたの」
「うん」
テレビというのがなんなのか、シリウスは知らない。
ただそれでも、きっと彼女の前世であった大切な思い出なのだろうというのだけはわかった。
「テレビの中の女の子は、とっても強くて、どんな怪物も魔法で倒しちゃうんだ」
「そうなんだね」
ククルの身体が徐々に熱くなる。
同時にキラキラと、彼女の周囲から黄金の粒子が浮かび上がり、二人を包み込んだ。
『グルァァァァァァ!』
そしてそれに呼応するようにヤムカカンが速度を上げ、咆哮を上げる。
勢いを増した巨体はそのまま巨大な大蛇ユルルングルに飛びかかり、鋭い爪でその胴体を押さえつける。
「カー君! 頑張って!」
ククルの鼓舞により、暴れるユルルングルを押さえつけながら鋭い爪で何度も切り裂く。
しかし大蛇もやられっぱなしではない。
軟体を活かして徐々にヤムカカンの拘束から抜け出すと、そのまま足を絡め取ろうと動き出す。
だがその瞬間――。
「私のことを忘れてくれるなよ!」
紅い閃光が走り、ユルルングルの身体を切り裂いた。
直前までこの大蛇をたった一人で押さえつけていた王国最強の騎士の一撃。
それは天まで届き、空を開く。
「まだまだまだぁ!」
緋色の騎士はまるで悪鬼のごとく、ユルルングルの身体を駆け上がりながら切り続ける。
大蛇が苦悶の悲鳴を上げ、ヤムカカンの拘束が緩まった。
「カー君、頑張って!」
『グルァァァァァァ!』」
その声と共に黄金の粒子がヤムカカンを多い、ユルルングルを力強く振り払った。
全身を切り刻みながら走る騎士と、自らを抑える大虎。
これまで最強だと思っていた自分の圧倒的不利な状況で、ユルルングルはこの世に生を受けて初めて恐怖を覚えた。
故に、その感情を知った生き物は、一つの行動を取る。
それは、逃走。
「っ――⁉ 逃げる気か!」
最後の力を振り絞るように大きく暴れたユルルングルの身体から、アリアが飛び去る。
そしてヤムカカンの頭上に飛び移ると、逃げるようとする大蛇を睨み付けた。
このまま逃がす訳にはいかないと、再び飛びかかろうとして――。
「っ――⁉ はぁ、はぁ、はぁ!」
膝を突き、呼吸を荒くする。
人の身でありながら、たった一人であれだけの怪物を前に抑え続けたのは尋常ではない働きだろう。
だが如何に最強の騎士であっても、限界というものは存在する。
「アリア⁉」
彼女の状態に気付いたシリウスが立ち上がろうとするが――。
「大丈夫だ‼」
アリアはこれまで聞いたことのないほど強い力で叫ぶと、シリウスを手で制した。
そして優しげに微笑み、立ち上がる。
「私は大丈夫……だから、お前は最後まで支えてやれ」
「え?」
その言葉の意味を一瞬、理解出来ず呆けた声を上げ、そして彼女の視線が自分の抱きかかえているククルだと気付く。
「っ――⁉」
気付けば、彼女は汗だくになっていた。
宝石のような青い色は苦しそうに歪ませ、呼吸は荒く、しかしどこか力強さがあり――。
「完成した」
「え?」
いったいなにが、と思っていると空が神々しく光る。
それはまるで、神が降臨のを模した絵画のような光景。
それを成したのが、この腕の中にすっぽると収まる小さな少女だということはわかった。
「シリウスさん、絶対に、絶対に離さないでね!」
彼女の魂の籠もった叫び。
それに応えるように、シリウスはククルを抱きしめた。
そして、天が落ちる。
ヤムカカンに押さえ付けられていたユルルングルは、自らの命を守るために全力で逃げ出した。
しかしどこまでも落ちてくる天の光に触れると、徐々にその身体を光の粒子に変えていく。
それはまるで、神が下した天罰のように、ただユルルングルは天に還っていくように。
「これは……」
「……」
その光景を見たアリアが、まるで美しい美術品を見るような瞳で小さく呟く。
シリウスも同様だ。
あまりに美しすぎる物を見たら人は言葉を失うと言われているが、今がまさにその状態だった。
そうしてしばらく、その場にいる全員が無言で光を見ていると、不意に腕の中のククルが立ち上がる。
「さあ、帰ろ」
それは遊びを終えた子どもが、自分の家に帰ろうと言うように、ごくごく自然に出された言葉だった。
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