第19話

 ククルは喉が枯れてもお構いなしに、何度もお父さんと呼び続ける。

 その悲痛な声に、彼女の持つ過去のトラウマがよほど深いものなのだと、シリウスは感じた。


「ほら、大丈夫。俺はここにいるよ」


 そんな彼女をシリウスは抱き寄せて、ただ優しく背中を撫でてあげた。


「ぅ……ぅ、ぅ……おとう、さん……」


 しばらくし嗚咽とともに声が小さくなり、少し落ち着きを取り戻してきたのだとわかる。


「大丈夫?」

「……うん」


 その声と共に一度身体から離してあげると、彼女の宝玉のような瞳は充血し、目の周りは腫らしていた。

 もう一度抱きしめてから、ククルとともにベッドの横に座り、小さな頭を優しく撫でてあげる。


「怖い夢でも見たかな?」

「……昔の夢」

「そっか」


 シリウスは深くは聞かず、ただ彼女の言葉に対して相づちを打つだけ。


「学校、いやだった」

「うん」

「お母さんが連れてくる人、怖かった」

「知らない大人がいきなり近寄ったら、怖いよね」


 ぽつぽつと語るククルの言葉の内容は、半分以上シリウスに理解出来ないものだ。

 それでも疑問は挟まず、ただ聞き続ける。

 ククルが今求めていることは、内容を理解して貰うことではなく、自分が傍にいることなのだとわかっていたから。


「それで……」


 ククルの声がだんだんと小さくなる。

 頭もゆらゆらと揺れて、だいぶ眠気がきているらしい。


「っ――」


 慌てて顔を上げて、眠りませんよとアピールをするが、すぐにまた頭は船を漕いだ。

 多分、ここで寝たらまた怖い夢を見るとでも思っているのだろう。


「ククル、俺も眠くなってきちゃったよ」

「え……」

「だから、今日は手を握って一緒に寝よう」


 シリウスがそう言うと、彼女は自分の小さな手を見る。

 この宿のベッドは元々二人が寝られる程度には大きめに作られていて、狭さはない。

 横になり、ククルを迎え入れるように隙間を空けた。


「……また怖い夢見るかも」

「俺が傍にいるから大丈夫」

「……本当に?」

「うん。ククルが寝て、朝起きるまでずっと一緒にいるよ」


 そこまで言って、ようやくククルはホッとした顔をした。

 シリウスが空けた場所にすっぽりと収まる、彼女は逃がさないと言わんばかりに腕に抱きついた。

 安心したからか、泣き疲れていたからか、ククルはあっという間に寝息を立てる。


「お休み」




 ふと、シリウスが目を覚ます。


 窓の外は暗く、まだ深夜の時間帯だとわかる。

 腕には変わらず穏やかな寝息を立てるククルがいて、子ども特有の温かさが伝わってきた。


「お父さん、か」


 ククルのぷにぷにとした頬を突いてみると、ほんの少しだけ顔を歪めていて可愛い感じに身じろぎ。

 それでも絶対に離さない、という強い意志は感じた。


 これだけ信頼されているのは嬉しいことだ。

 同時に、責任も少し感じている。

 

 強い力を持っていることを下手に利用されないよう、アリアが近くにいた方がいいと思ったからここまで連れてきた。

 しかし人を恐れている彼女は、ワカ村のような閉鎖的な空間にいた方が良かったのかもしれないと今更ながらに思う。

 

 彼女が保護を求めてきた自分は、特別な力など持っていないのだから……。


「せめて、この世界のことを教えてあげよう」


 元々十五歳の知識があり、たとえ強大な魔力を持っていても、身体はとても小さい。

 この子がこの世界に馴染み、そして出来るだけ多くの選択出来るようになるまでは、自分が近くにいようと思う。


「……親代わり、と言えるほどのことじゃないけど」


 幼い頃に魔物に両親を殺されて、天涯孤独となったシリウスは、その温もりをもう覚えていない。

 両親との思い出は曖昧で、ただどちらも優しかったことだけは覚えていた。


 そう思いながらシリウスは再び目をつむる。

 次起きたら、ククルにこの街を案内してあげようと、そう思いながら――。




 翌日、太陽とともに目を覚ますとククルが先に起きていた。

 というか、目の前にいた。


「……ククル。どうしたの?」


 身体の上に乗り、どアップにいる彼女が自分の頬をぺちぺちと叩く様は、構って欲しいという意思表示か。

 ただどうやら本当に起きるのは予想外だったらしく、目を覚ますと同時にびっくりした顔をして固まっていた。


「うん。とりあえず降りてもらってもいいかな?」


 いそいそと、ククルが降りたので身体を起こすと、太陽は昇ったらしく部屋は明るい。


「お、おと……」

「ん?」

「おはよう!」


 なにかを言いたげなククルを見ていると、彼女は顔を真っ赤にしてから大きな声を出す。


「うん、おはよう」


 ただの朝の挨拶。

 何度も同じようなやりとりをしているようにも見えるが、ククルにとってそれはまだ気合いを入れなければならないものだったのだろう。

 シリウスは微笑みながら、挨拶を返す。


「それじゃあ、顔を洗いに行こうか」

「う、うん!」


 まだまだ慣れない様子だが、自分たちの距離感はこんな感じでいいのかもしれない。

 そう思いながら、ククルと一緒に動き出した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る