第18話
城塞都市ガーランドは冒険者や商人が多く集まるため、宿泊場もかなり多い。
トップクラスの冒険者であれば家を持つが、多くはそうではないものだ。
そのため、冒険者たちにとって宿選びというのはとても重要だった。
東西南北で特色のある街の中、西側は飲み屋や夜の店が多い反面、治安が悪く、あまり客層も良くはなかった。
冒険者的に好まれる地域なのだが、強さに自信が無いシリウスは得意じゃない場所だ。
そのため、ガーランドの中で最も治安の良い南側に拠点を置いていた。
夕暮れ時、そろそろ夜が来ようとする時間に、一軒の宿が明かりを灯っている。
周囲には人の姿はなく、しかし中からはギルドのように中から騒がしい声が響き、とても楽しそうだ。
「あそこが俺の泊まってる宿だよ」
「うん……」
疲れた様子だったククルを抱きかかえ、シリウスは自分の住んでいる宿を指さす。
少し眠そうな返事だが、しっかり起きているようだ。
マリエール、と看板が立てられたそこは、この街では珍しくもない宿場と飲み場が一体化している宿だ。
ただし店主の方針でウリは存在せず、飲んで寝て騒ぐための場所だった。
「ただいま、マリ姉」
「んー? あらぁ、シリウスちゃん! お帰りなさいー!」
どてどてと、木製の地面を踏み潰すように近寄ってくるのは、シリウスよりも頭二つは大きな人だった。
鍛え上げられた筋肉は膨れ上がり、その上からエプロンを着た紫色の髪をした男性。
彼の名はマリー。このマリエールの店主であり、ここの住民は彼のことをマリーちゃん、またはマリ姉と呼ぶ。
「大きな怪我をしたって聞いたけど、大丈夫なのかしら?」
「うん、色々とあったけど、もう大丈夫だよ」
「そう……それで、その子は……?」
当然ながら、シリウスが腕に抱えた少女、ククルのことが気になる様子。
彼女のことを説明しようと思って降ろそうとするが、彼女はまるで動かない。
これまでであれば自発的に降りようとしてくれたのに……と思ってみると、ククルは目を丸くして固まっていた。
「ククル、どうしたの?」
「……」
シリウスの言葉にも反応無く、ただじーっとマリ姉を凝視するだけ。
「あら可愛い子」
「……きゅう」
そうして、目を回しながら眠ってしまう。
「疲れてたのかな?」
「そこでそう言えるのはシリウスちゃんの良いところよねぇ」
「え? なんで?」
「何でもよぉ。ほら、部屋はちゃんと掃除してあるから、その子を寝かしてきてあげなさい。そしたら一杯やりましょ」
なぜか機嫌が良くなったマリーに疑問を覚えつつ、ククルを自分の部屋で休ませたシリウスは、再び階下の酒場に向かう。
カウンターの奥ではマリーが酒の準備をしており、冒険者たちはまばらに座って飲んでいた。
ガヤガヤと喧騒があるが、この雰囲気は結構好きで心地よささえ感じてしまう。
「それで、大変だったみたいね」
「あれ、誰かから聞いたの?」
「うふふ、秘密よぉ。乙女はね、秘密が多ければ多いほど魅力的になるんだから」
そうしてしばらくお互いの近況を話し合い、そういえばとシリウスは懐からお金を取り出した。
「これからククルも一緒に住むから、その分を支払うよ」
正直言って、C級冒険者であるシリウスにとって二人分の宿代は中々厳しいものだ。
とはいえ、十年住んでいるこの宿を今更変えたいとは思わず、しばらくは貯金を崩す生活になりそうだ、と思っていると――。
「いいのいいの。どうせ部屋の数は変わらないんだから、一人分で十分よ」
「え。でも……」
「あの子、訳アリでしょ?」
「……」
訳アリ、といえばそうだろう。
だがしかし、それを認めたいとはシリウスは思わなかった。
彼にとってククルは、当たり前に笑い、泣き、喜ぶ普通の女の子だったから。
「そこでなにも言わないシリウスちゃんは、本当にいい男ね。ただまあ、一瞬だけしか見えなかったけど、あの子の瞳には凄く深い闇が見えたわ」
「わかるの?」
「ふふふ、男も女も知り尽くしたマリーちゃんを舐めないでもらっちゃ困るわねぇ」
男で生まれ、しかし心は女であるマリーはウィンクを一つ。
普通ならいろいろな目で見られただろうが、彼はまるで後悔のない堂々とした姿でこれまで生きてきた。
「マリ姉……」
「あんな天使みたいに可愛い女の子に、闇なんて抱えさせちゃ駄目駄目」
だから、とシリウスが取り出そうとしたお金をそっと押し返す。
「シリウスちゃんは、ただひたむきにあの子と向き合ってあげなさい。そのために障害になる物は、私たちが味方になってあげるから」
「……ありがとう。やっぱりマリ姉は格好良いや」
「うふふー。そこは可愛いって言って欲しいわねぇ……」
マリーは自分で入れたエールを一気に飲み干すと、ガンっと勢いよくジョッキを置いてドスの聞いた声を出す。
「男ならよぉ! 女一人守ってみせな!」
突然の豹変に、一部の客たちが驚いた顔をする。
しかしシリウスやこの店の常連たちは、これがマリーの一番気合いを入れた応援だということを知っていた。
「もちろん」
シリウスも渡されたエールを一気に煽る。
それを見たマリーは、普段通りの笑顔に戻った。
「ま、慣れないことで大変でしょうけど、頑張りなさい」
そうして新しいグラスを用意され、再び乾杯しようとした瞬間――。
――イヤァァァァァァァ⁉
上階から少女の甲高い悲鳴が聞こえてきた。
「ククル⁉」
シリウスが慌てて部屋に入ると、布団を被りながら泣いている少女。
「ぁ……お父さん⁉ おとうさんおとうさんおとうさん!」
シリウスの存在に気付いた瞬間、彼女は急いで抱きついてくる。
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