第14話

 馬車に揺られ、舗装された道をゆっくりと進む。

 揺れは少なく、貴族の馬車というのはこういうものか、とシリウスは感動しながら窓の外を眺めていた。


「ククル、私のことをお母さんと呼んでいいのだよ」

「……いや!」


 隣に座るククルは、シリウスの服を摘まんでアリアに抵抗の意志を見せる。

 どうやら彼女は可愛いものが好きなようで、ククルのことをかなり気に入っているらしい。


 それ自体は良いことなのだが、どうにも距離の詰め方が急すぎる気がした。


「なあシリウス。ククルがお母さんと呼んでくれないんだが、君からも言ってくれないだろうか?」

「ククルが嫌がっているなら、無理強いは出来ないでしょ」

「くっ――!」


 そもそも、なぜお母さん呼びに拘るのかがわからなかった。


 ――アリアの年齢ならお姉ちゃんと呼ばれる方が良いと思うんだけど……。


 その後も何度かチャレンジをしては断られ、アリアの瞳からうっすらと涙が零れた。

 とはいえ、さすがにしつこすぎるアリアの方に問題があるため擁護は出来ない。


  ――五歳児に泣かされる王国最強の騎士、という構図に関してはどうなんだろう?


「なあククル。一言、言ってくれるだけで良いんだぞ?」

「……アリアさんからは」

「うん……」

「下心が見える」

「くぅ――⁉」


 突然アリアが心臓を掴み、その場でうずくまる。

 まるで鋭い一撃を受けた騎士のようだ。

 もっとも、やられたことと言えばただ言葉の否定なだけだが。


 ククルは警戒心こそ強いが、慣れればそれなりに話は出来る。

 実際、ワカ村でも村を出る頃には村人たちのことは慣れたらしく、怖がる素振りは見せなかった。


 こうしてククルが厳しい態度を取るのは、今のところアリアに対してだけだ。

 さすがに傷ついているのはないか、と心配に思う。


「アリア、大丈夫?」

「あ、ああ……いやかなり傷は深い。だがククルが抱っこをさせてくれたら治るかも」

「絶対に、いや!」

「くぅっ――⁉」

「大丈夫そうだね」


 なんだかんだ、この二人は楽しそうだなと思った。


「あ……」


 不意に、ククルが窓の外を見て声を上げる。


「見えてきたね」


 巨大な壁に囲まれた、巨大な都市。

 騎士の国エルバルド王国において、難攻不落の名を欲しいままにしているその名は城塞都市ガーランド。

 シリウスとアリアが生まれ、そしてこれからククルと共に過ごす街だ。




 戦いがあると騎士と冒険者が集まり、それを相手にする商人が集まり、そして人が流れてくる。

 西にある魔物の支配する土地と隣接したガーランドは、危険と安心が混ざった不思議な魅力を持った巨大都市だ。


「うわぁ……」


 大通りには常に人の動き、商売人たちの声が忙しく飛び交っている。

 子どもたちは笑いながら走り回り、昼間から酒を飲む冒険者の下品な笑い声と、井戸端会議をしている女性たち。

 一部の喧嘩をしている者たちには、騎士が近寄り厳重注意。

 

 ワカ村のような閑静な村とは異なった賑やかな雰囲気に圧倒されて、ククルが目を回している。


「ここは相変わらずだね」

「ああ。私は堅苦しい騎士が集まった他の街より、この自由な雰囲気が好きだ」

「うん、俺も」


 この地を治めているのはアリアの義父であり、他の街と違って冒険者にも過ごしやすい雰囲気がある。


 シリウスは十歳のときに冒険者となるためこの街に流れてきたが、いろんな人に助けて貰った。

 だから大きくなったら、自分が助けて貰った恩を返すのだと決めたのだ。


「それでは私は屋敷に戻る」

「アリア、今回は本当にありがとう」

「なに、貴族がした愚行は同じ貴族が裁かねばならないからな。それにシリウスが助けを求めるなら、私はいつだって駆けつけるさ」


 その立ち振る舞いは騎士の中の騎士として、王国でも語られる麗しき令嬢。

 自分はただ、幼いときに彼女の面倒を少し見ていただけだというのに、今でもこうして絶対の信頼を抱いてくれている。


「ククル、そろそろ一回だけ――」

「いや!」

「そうかぁ……」


 がっくしと、肩を落としたアリアは、そのまま帰ろうとする。

 あれだけ助けて貰ったのに、最後の別れがこれではどうにも可愛そうに思えてきた。


「ねえククル。一回くらい呼んであげたら?」

「えぇ……」

「アリアにはたくさん助けて貰ったしさ」

「……シリウスさんは、アリアさんと結婚したいの?」

「っ――⁉」


 その言葉に、二人のやりとりを聞いていたアリアが驚いた様子を見せる。

 そしてそわそわと、緊張した面持ちでシリウスを見つめた。


 当の本人であるシリウスは、なぜククルがそんなことを言うのかわからない。

 とはいえ、答えは一つだ。


「あのね、アリアは大貴族の娘なんだ。俺みたいな一介の冒険者じゃ結婚なんて出来ないんだよ」

「ぅぅ――⁉」


 ――いやしかし、シリウスならいずれ凄い業績を残して……そのときこそ……。

 

 などと小さな声で呟いているが、シリウスには聞こえない。

 しかし、しゃがみ込んだせいでククルとの距離が詰まった結果、彼女にはそれが聞こえてきた。


「アリアは大事な友人だから、いい人と結婚してくれたらいいなって思うけどね」

「ぐふっ――⁉」

「そ、そっかぁ……」


 どこまで本心で語られるその言葉に、アリアはとどめを刺された。

 まるで脈なしのように振る舞うシリウス。


 さすがに少し可愛そうだと思ったククルは、半泣き状態のアリアに近づいて行き――。


「お母さん、元気だして」

「っ――⁉ あ、ああ! もう大丈夫だククル! これであと百年は戦える!」

「じゃあ次は百年後でいい?」

「出来れば頻繁に言ってくれると嬉しいぞ!」


 そんな掛け合いをして、ちょっと仲良くなったかな、とシリウスは嬉しくなった。


「シリウスさんのこと、これからも守ってくれるならたまには言ってあげても良いよ」

「ははは、ならまた言って貰えそうだ。シリウスは強くないのに、すぐ事件に首を突っ込んでトラブルに巻き込まれるからな」

「うん。なんか、そうっぽいよね」


 二人はなにかが通じ合ったような雰囲気で、シリウスを見る。

 理由が自分のことだと理解していない彼は、突然ジト目で見てくる二人に首をかしげた。


 ククルは自分が爆弾のようなものだという自覚はある。


 ――ちゃんと離れないと、駄目だよね……。


 自分がこれから独り立ち出来るよう、シリウスが動こうとしていることには気付いてた。

 そしてそうなれるように、頑張ろうとも思っている。


 しかし同時に、この小さな身体と世界の常識すら知らない今、誰よりも信頼出来るシリウスから離れる不安もあった。


 ――でも、私が傍にいたらきっと迷惑かけちゃうもんね……。


 そんなククルの不安な顔がわかったのだろう。

 アリアがその小さな頭の手を置き、優しく撫でた。


「心配そうな顔をするなククル。シリウスは私が知る限り、もっとも強い男だ。だからきっと、全部上手くいく」

「ん……ありがとうアリアさん」

「お母さんと呼んでもいいだぞ?」

「それはもう、いや!」


 アリアの手を振り払い、シリウスの足にくっつく。

 これ以上はもう、近づく気はありませんというアピールだ。


 しかし甘えた少女の姿はとても愛らしく、大人二人は笑ってしまう。

 そして二人は正面から見つめ合った。


「それじゃあシリウス。また……」

「うん。アリアが困ったことがあったら絶対に助けるから、なんでも言ってね」

「ああ、そのときは存分に頼らせて貰おう」


 そうしてアリアが自分の屋敷へと戻っていくのを見送ったあと、シリウスは足にくっついているククルを見た。


「それじゃあ、俺たちも行こうか」

「うん……」

「……」


 新しい人生が始まることにククルは不安だった。

 それが伝わってきたシリウスは、彼女の手を握る。


「迷子にならないように、ね」

「うん」

「心配しなくても大丈夫だよ。この街の人たちは、みんなと良い人ばかりだからさ」


 不安だったククルだが、その優しげな笑顔を見上げて、つい思ってしまう。


 ――この人、無自覚な女たらしだ。


 これはアリア以外にも、お母さん呼びを強要してくる女がいるかもしれない。

 

 ククル本人もまだ自覚はしていないが、すでにシリウスのことを父のように思っており、周囲もそれを敏感に察知してくるだろう。


 そうしてアリアのように、将を射んと欲すればまず馬を射よ、と言わんばかりに自分に迫ってくる者も現れるに違いない。

 子どもという立場は近くにいる分にはいいが、守るということに関しては非常に弱いものだ。


 これは気合いを入れなければと、ククルは握った手を少しだけ強く、絶対に離れないよう力を入れた。

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