第7話
グルコーザを撃退したその日の夜。
シリウスが手紙を書いていると、冬の季節を感じさせる涼しげな風が頬を撫でた。
誰かが扉を開けて家に入ってきたのだ。
そちらを見ると、予想通りの小さな影。
「こんばんは」
「やあククル。こんばんは」
ククルは今、スーリアさんの家でお世話になっていた。
村の中とはいえ、夜は魔物たちの動きが活発になる時間。
魔物が棲むヤムカカンの森は間引いているとはいえ、餌を求めて人里までやってくる可能性があるので、あまり外に出歩かない方がいい。
それは彼女も教えられていたはずだが、表情を見る限り大切な用事がありそうだ。
「外は寒かっただろう? こっちにおいで」
「うん」
囲炉裏に火が灯り、家の中は比較的暖かい。
ククルは暖の傍までやってくると、座ってまっすぐシリウスを見上げた。
そしてなにかを言いかけて、しかし緊張しているのか口籠もるようにして黙り込む。
「ちょっと待ってね」
シリウスは立ち上がると、戸棚から小さな袋を取り出す。
そこには彼が少し遠出をするときに持って行く、乾燥させた果実のお菓子が入っていた。
指先程度の大きさのそれをいくつか皿に移し、井戸から汲んだ水と合わせてククルの前に置く。
「はい、どうぞ」
「え?」
「せっかく来てくれたんだから、おもてなしさせてよ」
お菓子を出したことに他意は無い。
敢えて言うなら、なにか話しにくいことを話すときは手を動かしながらがいい、と友人に教えて貰った。
ククルはまるで小動物のように、恐る恐る手を伸ばして口に入れる。
「わっ……甘い」
ククルは感動したような顔をして、次の果実を口に入れた。
砂糖をまぶした干し果実は、実はかなりの高級品だ。
本来シリウスの稼ぎでは簡単には手に入れられないお菓子だが、以前美味しいと言ったらなぜか友人が送ってくれるようになった。
貰いっぱなしでは悪いなと思うのだが、「好きでやっているだけだから気にしないで欲しい」と言われては甘えるしかない。
――いつかまた、恩は返さないとなぁ。
そう思いながら、書きかけの手紙を見て苦笑する。
友人に対してまた借りを作ろうとしているのだから、自分というのはどこまでも人頼りな男だな、と少し情けなくなったのだ。
「……はぅ」
ククルはお菓子がよほど気に入ったのか、その手が止まらない。
しばらくして、すべてを食べ終えた彼女の頬は赤く染まり、どうやら自分の行為を恥ずかしがっているらしい。
子どもなのだから気にしなくても良いのに、と思うが、それは本人の問題なのだろう。
出した水を飲むと、ククルは小さな口を開いた。
「今日は、ありがとう」
「え?」
「リリーナ、助けてくれて……」
「そのことなんだけどさ。あのときククルが助けてくれたんだよね?」
あのとき、というのはグルコーザの騎士に取り押さえられていたときのことだ。
シリウス以外、誰もあの場でククルの存在を認識出来ていなかった。
それはリリーナにも確認したので間違いがない。
――だからもしかしたら、本当の幻だったんじゃないかって思ったけど。
だとすれば、あのとき溢れてきた力の説明が出来ない。
それにククルと出会ってから何度も、驚くような出来事はあった。
フェルヤンクルを撃退したこと、自分を村まで担いできたこと。
ククルがしたとは本人は言わないが、シリウスの怪我を治したのも彼女だろう。
「ありがとう」
「え?」
「あのとき君が助けてくれなかったら、俺は死んでたし、リリーナは貴族の奴隷になってたから」
「私がなんなのか、聞かないの?」
「聞かないよ」」
不安そうなククルに、シリウスは笑顔で返す。
ククルが何者なのか、気にならないと言えば嘘になる。
この近隣にはワカ村しかなく、村人でない彼女がヤムカカンの森にいた理由だって普通ではないはずだ。
だがそれでも、シリウスはそれを追求しない。
人にはそれぞれ、背負っている物があって、心に秘めておきたいことはあるものだ。
たとえ親友でも、家族でも、言えないことがあってもいいと、シリウスはそう思っていた。
「やっぱり……貴方なんだ」
「え?」
見上げてくるククルの表情は、とても真剣なものだ。
「シリウスさん。もし貴方がとても……とっても大きな力を持ったら、どうしますか?」
真剣な表情で問いかけてくるククルに、シリウスもまた真剣に考える。
――とても大きな力、か。
「どうしよう?」
「え?」
「いや、イメージがわかないっていうのもそうなんだけどね。そんな大きな力を持っても、結局やることは変わらないんじゃないかなぁって思ってさ」
シリウスは十年間、冒険者をやっていた。
お世辞にも才能があるわけではなかったので、今でも努力と経験さえ詰めば誰でもなれるC級の冒険者止まりだが、本人的には丁度いいなとも思っている。
「あ、でも今より強くなったらもっと報酬の良い依頼も受けられるし、そしたら美味しいものを食べたり、ちゃんとした持ち家買えるから……贅沢しちゃうかな」
「贅沢って……その程度?」
「え、だって貴族みたいな生活をしたいとは思わないし」
両親が他界してから十年以上。
冒険者としての生き方が身に染みていたシリウスにとって、特別裕福な生活は想像の埒外だった。
「シリウスさんは、英雄とかになりたいと思わないの?」
「英雄、英雄かぁ……特に思わないかなぁ」
「大金持ちには? モテモテのハーレムとか」
「ハーレムって……」
変な言葉を知ってるな、と思いつつ否定。
「そんなのよりも、周りの人たちと笑いながら酒を飲んだり、依頼をこなして周りの人たちが喜ぶ方が性に合っているかな」
「……やっぱり、お人好しだね」
シリウスの答えに、ククルは嬉しそうに微笑んだ。
どういう意図の質問だったのかよくわからなかったが、ククルが安心してくれたようで良かったと思う。
そしてすぐ、彼女は真剣な表情となる。
「そんな貴方だから……私は……」
「ん?」
「なんでもない。ただこのままだと、この村は大変なことになっちゃう」
「うん」
急な話の切り替えだが、なにを言っているのかはわかった。
シリウスもまた、今まさにこの状況をどうにかしなければと思っている者の一人だったから。
完全にメンツを潰された形になったグルコーザ。
次は本気で村に圧力をかけてくるだろう。
「正規の手順を踏まれたら、今度こそ……」
「シリウスさん。多分それはないよ」
「え?」
「ワカ村はちゃんと税を支払ってるから。あの男爵も自分が村の税を横領していることは自覚してるだろうし、これ以上の権力を行使はしてこないと思う」
ククルの見た目は五歳程度。
しかしこうして話をしてみると、もっと年上の少女と話をしている錯覚に陥った。
「多分、武力で脅してくる程度じゃないかな」
「村とは関係ない冒険者だって言ったし、俺が投降すれば……」
「きっとあの貴族の人からしたら、関係ないから」
「そっか」
「……村の人たちも貴族には逆らえないし、もっと理不尽な要求をしてくるかも」
今回、男爵がやってきたのはあくまで税を取り立てるためだ。
だからこそ兵力などわずかなものだったが、次は違う。
武力行使が始まれば、この村ではどうやっても太刀打ち出来ない。
――それでもシリウスさんは、私の力について聞かないんだね。
「だってそれ、ククルは望んでないんでしょ?」
小さく呟いたククルに、迷いなくそう返事をする。
どこまでもまっすぐで、嘘のない瞳。
だからこそ、ククルはその言葉に対して嘘偽りなく頷いた。
「だったら大丈夫だよ。俺も伊達に長く冒険者はやってないから」
いつも助けて貰ってばかりの友人に、また追加で頼みごとをするのは気が引けていたが仕方が無い。
シリウスは覚悟を決めたように手紙の続きを書き始める。
この件が終われば、なにかまた恩返しをしようと、そう思いながら――。
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