第4話

 亜人のほとんどは南にある亜人国家で生活をしている。

 しかしリリーナは人間の両親から生まれた、先祖返りと呼ばれる存在だった。


 普通の人間とは見た目が異なるが、この村の人たちやスーリアに愛されて育ったため、こうしていつも前向きで元気な少女に育ち――。


「ねえククルー。もっとほっぺぷにぷにさせてよー」

「うぅー。そ、その耳! 触らせてくれるなら、ちょっとだけ……」

「いいよいいよー。ほれほれー」


 十歳のリリーナはククルよりも身体が大きいため、しゃがみ込み、彼女の手が届く位置に頭を差し出した。


 シリウスの背中から出てきたククルは、その耳を触って少し嬉しそうにする。


「みみ、もふもふ……」

「さあ次は私の番!」

「ぁぅ⁉」


 猫耳にご満悦だったククルは、罠にかかった小動物のようにリリーナに捕らえられた。

 そして全力で可愛がられる。


「わふーい!」

「や、やめてー!」


 ほっぺたぷにぷにの刑に合うククルを見て、仲いいなぁ、とシリウスは見守る。


 ちなみにククルは助けを求めているが、あえて見ない振りをした。

 本気で嫌がっているわけでないのは、わかっていたからだ。


 しばらくお子様たちがわいわいと遊んでいるのを眺めていると、ククルを抱きかかえたリリーナが思い出したように口を開く。


「そういえばシリウスさん。お婆ちゃんが薬を用意したから来いってさ」

「うん、それはもっと早く教えて欲しかったかな」

「ごっめんねー」


 悪びれない笑顔に、シリウスはつい苦笑してしまう。

 まあ悪気がないなら仕方ない、と思っていると村の入り口が妙に騒がしい。


「なんだろ?」

「あれっ――⁉」


 シリウスが不思議に思っていると、リリーナが顔を強ばらせた。


 やってきたのは、いかにも貴族風の男性。

 年齢は四十ほどで、馬に乗り、騎士たちに囲まれている。

 かなり肥満体のようで、遠目から見ても健康に悪そうな姿をしていた。


「……ぅぅ」


 元より人間不信のククルは、そんな姿を見て少し気分が悪そうだ。


 ワカ村の村長が慌てた様子で貴族に近づき、「グルコーザ様!」と平伏。

 それに続くように、この村の中でも有力者たちが集まってきた。


 馬上から満足に頷いた貴族が、嫌らしい笑みを浮かべなにかを言っている。


「あれは?」

「……グルコーザ男爵。この辺りを管理してる貴族だよ」


 男爵というのはエルバルド王国の貴族の中では最も低い爵位。

 とはいえ、平民と貴族ではそもそもの立場に隔絶した差があり、なにより複数の騎士を従えることも出来る。


 領地を持つことは許されないが、平民から税を取り立てて領主に献上する役目を与えられた、村人では絶対に逆らうことは許されない存在だった。


「村長ぉ……? 最近、どぉうにも税が滞ってるようだが?」

「そ、それは……ですが元々の分はきちんと――」

「なぁんだとぉ⁉ ならワシが、このグルコーザ様が不当に税を徴収していると、そう言うのかぁん⁉」


 グルコーザの鈍い声が、シリウスたちにまで聞こえてきた。

 同時に、彼を囲っている騎士たちが腰の剣に手を添える。


「ひっ――⁉ そ、そんなわけでは!」


 このエルバルド王国は騎士の国。


 その精強さと清廉たる騎士道の在り方は、大陸全土に響き渡っている。

 だがしかし、広い王国においてすべての貴族や騎士が清廉かと言われると、見ての通りであった。


「しかし、これ以上徴収されては、冬を越せなくなります! 体力の無い老人、そして子どもは……」

「ほほぅ……」


 その言葉を聞いた瞬間、グルコーザの目が嫌らしく光る。


「なぁら、ワシが買ってやろぉではないかぁ」

「……は?」

「食い扶持が減ればぁ、貴様らも少しは生きやすくなろぉて」


 なにを言っているのか理解出来なかった村長は、ただ呆然とする。

 村長の態度など知らないと、グルコーザは集まった村人たちを見渡した。


「っ――⁉」


 生理的嫌悪を抱いてしまうその視線は気味が悪いもので、誰もが顔を伏せてしまう。

 そして、グルコーザの目が少し離れた場所で見ていたシリウス――その横にいるリリーナで止まった。


「んん? まさかあれは、獣人かぁ?」

「っ――! あ、あの! あの子はまだ子どもで!」

「ばぁかか貴様はぁ。冬を越せない子どもを買うと言っただろぉがぁ。それに、ぐふふ……いいなぁ、珍しぃ」


 説得をしようとする村長が、騎士たちに圧力をかけられる。

 その間に、グルコーザが騎士に先導されながらシリウスたちの方へと向かってきた。


「ひっ――⁉」

 

 一介の冒険者でしかないシリウスがなにを言っても、貴族であるグルコーザが止まらいだろう。


 それでも、怯えたリリーナを庇うように、シリウスは前に出た。


「お前はそいつの兄かぁ?」

「いえ、城塞都市ガーランドの冒険者です」

「ほぉん……」


 冒険者、と聞いてグルコーザの目線はさらに馬鹿にするようになる。


 騎士の国において、冒険者は騎士になり損ねた者たちの集まり。

 グルコーザの取り巻きである騎士たちからも、嘲笑が見える。


 その姿は、他国から賞賛されるような清廉な姿とはかけ離れていた。


「まぁいぃ。用があるのはそいつだぁ」


 グルコーザは舌舐めずりをしながら、怯えているリリーナを見る。


「獣人は珍しいからなぁ。足りない税の分、たぁっぷり楽しませてもらおうかぁ」

「税は、足りているのでは?」

「ワシが足りてないと言えば、足りてないのだよぉ」


 もはや、横領していることを隠そうともしない。

 それだけ貴族と平民の差は大きく、逆らえないのがわかっての行動。


 ――これは、仕方ない……。


 この国に生まれた以上、そういうものだとシリウスも理解はしている。

 ここでグルコーザに逆らっても、何もならないのだ。


「いつまでワシの前に立つつもりだ? どけぇい」

「……」


 シリウスが諦めたようにその場から退こうとしたとき、不意に服を捕まれる。

 見れば、リリーナが涙を浮かべながら助けを求めるように見上げていた。


「リリーナ?」

「えっ、ぁ――⁉」


 無意識だったのだろう。

 リリーナは自分のしていることに気付いて、慌てて手を離す。

 そして引き攣った笑みを浮かべながら、首を横に振った。


「な、なんでも、ない……私、大丈夫だから……」


 明らかに恐怖に身体が強ばり、強がっている様子。


 貴族に平民は逆らえない。

 それだけの権力を持っているのだ。


 だがそれでもこの国がきちんと機能しているのは、多くの貴族が騎士道の誇りを持って民のために動いているから。


「……」


 シリウスは紅い髪の友人を思い出す。

 どこまでも清廉で、騎士を体現した少女。

 

 誰もがみな、彼女のような貴族であればきっと問題無い。

 だが、目の前のグルコーザのように、権力を悪用する貴族もまた存在は――。


「大丈夫だよ」

「ぇ……?」


 泣いているリリーナの涙を拭い、グルコーザと向かい合う。


「グルコーザ様。俺は、ガーランドの冒険者です」

「んんん? それはさっきも聞ぃたぞぉ?」

「だから、今からやることはワカ村の村人たちとはなんの関係もありません!」

「きゃ――⁉」


 そう言った瞬間、シリウスはリリーナを抱えて走り出す。

 まさかいきなり逃げ出すとは思っていなかったのが、その場の全員が呆気にとられて動きを止めた。


「……な、なぁ⁉ お、追いかけろぉ!」

「は、はい! おい行くぞ!」


 慌てたグルコーザの号令に、騎士たちが慌てた様子で走り出した。

 馬を走らせることは出来ないのか、ゆっくりと歩く馬に乗ったグルコーザも追いかける。


「……どうして、貴方は」


 そして一人残されたククルは、また他の誰かのために行動するシリウスの背を見て、そう呟いた。


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