第2話
シリウスが目を覚ますと、木造の天井が見えた。
炭がパチパチと燃える音と、それに合わせた自然の匂いが鼻孔をくすぐる。
火の光が辺りを照らしており、外が夜だということはわかるが、自分の現状についてはなにもわからない。
「……ここ、は? ――っ⁉」
朦朧とする意識の中、身体を起こそうとすると凄まじい激痛が走った。
その痛みで自分の身に起きた事を思い出し、同時に助かったのだと理解する。
「ぁ……」
「ん?」
炎の音に紛れ、小さな少女の声。
後頭部で纏めたふわふわの銀髪に、くりっとした宝石のような青い瞳。
先ほどフェルヤンクルに襲われていた少女が、手に濡れた布を持ってすぐ傍にいた。
「あ、あの……」
「君は……無事だったんだね。良かった……」
怪我をした様子もない少女を見て、シリウスはホッとする。
口を開くだけでも激痛が走るが、その痛みも生きている証拠だと思えば悪くはない。
力を抜いて軽く目を閉じる。
するとすぐに意識がまた遠のいていき、シリウスはそのまま寝入ってしまった。
「……寝ちゃった?」
そんなシリウスに、少女が恐る恐ると近づいて行く。
額から汗を流していたので、手に持った濡れ布で拭いてみた。
寝ていても痛みはあるのか、顔をしかめていて苦しそうだ。
「……」
少女は村人に聞くまで、シリウスの名前を知らなかった。
会ったこともないし、誰かの知り合いというわけですらない。
本当に赤の他人。
だからこそ、必死に自分を助けようとしてくれた理由がわからなかった。
「死んじゃうところだったのに……」
濡れた布で顔を拭くと、彼が『大人』の男だということははっきりとわかる。
少なくとも少女にとって、『大人』というのは辛く当たるものであり、恐怖の対象だ。
魔物に襲われたときですら、助けに入ってくれたシリウスの方が怖かったくらいである。
だが、あのとき全力で守ろうとする意志を宿した背中の安心感。
抱きしめてくれた温かさ。
それらは少女の知らないもので、同時にずっと欲していたモノだった。
「痛いよね……」
少女は血で濡れた布を置くと、ゆっくり手をかざす。
柔らかく白い光が寝ているシリウスを包み込むと、寝苦しそうな顔は徐々に落ち着きを見せ、気持ちの良さそうな寝息が零れ始めた。
「これでもう大丈夫、かな?」
先ほどシリウスは気付かなかったが、彼の身体はほとんどの傷が癒えている。
痛みはまだ残るだろうが、内臓をえぐられ、肩を貫かれた姿と比べれば雲泥の差だ。
とはいえ、専門的な知識を持っているわけでない少女は、自分のしたことが正しいものなのか不安もあった。
「きっと大丈夫……だって、神様がくれた力だもん」
そして少女は立ち上がり、布を持って部屋から出て行く。
汗をかいたシリウスの身体を拭くために、再び水場へと向かっていった。
窓から差し込む太陽の光が目に入り、シリウスは再び目を覚ます。
「えっと、俺は……」
身体を起こして周囲を見渡す。
木造の床の中央に囲炉裏があり、天井は雪が積もらないように三角屋根。
エルバルド王国の村でよく見られる様式の家だ。
「あれ?」
ふと、シリウスは身体の異変に気付く。
昨夜、一瞬目を覚ましたときはあれほど感じた激痛が、今はまるでなかった。
服をめくると包帯が巻かれ、誰かが手当てをしてくれたらしい。
だが記憶が確かなら生死をさまようレベルの深手だったはずで、そう簡単に痛みがなくなるとは思えなかった。
「いったい誰が……?」
「あ……」
「ん?」
幼い声がする方を見ると、入り口に驚いた顔の少女が立っていた。
小さな手で持ったお盆の上にはお椀が置かれており、バランスを保つようにぷるぷると揺れている。
――あの子が自分の看病をしてくれたのだろうか?
そう思ったとき、フェルヤンクルに襲われた記憶が蘇る。
「君は、あのときの……?」
「っ――⁉」
少女はシリウスの前にお盆を置くと、慌てた様子で逃げ出してしまう。
「え……?」
一人残されたシリウスは、ただ呆然と入り口を見ることしかできなかった。
そんな少女と入れ違いになるように、一人の老婆が入ってくる。
「なんだいアンタ。まるで精霊にでも出会ったような顔だねぇ」
「あの、貴方は?」
「ワカ村で薬師をしておる、スーリアだよ」
かなり高齢らしく、顔にはしわが広がり、髪の毛は完全に色が抜けている。
それでいて力強い瞳は、並の冒険者では逃げ出してしまうような迫力があった。
「シリウスです」
「村長が森の間引きのために呼んでる冒険者だろう? たまに顔は見てたから覚えてるさ」
たしかにシリウスは、同じような依頼で何度かワカ村へと来たことがあった。
全員と顔見知りというわけではないのでスーリアのことは知らなかったが、彼女は知っていたらしい。
スーリアは渋い顔をしながらシリウスの傍へ座り込むと、手に持っていた薬草を煎じ始める。
「ほれ、服をお脱ぎ」
「あ、はい」
言うとおり上半身の服を脱ぐと、スーリアは薬草を煎じた手を止めないまま上から下までじっと見る。
薬師、というからには彼女が手当てをしてくれたのだろう。
あれほどの大怪我を治せる薬師は聞いたことはないが、よほど腕が良いのか、それともとんでもない秘薬を使って貰ったか……。
どちらにしても彼女は命の恩人だ、とシリウスは頭を下げる。
「貴方がいなければ俺はきっと死んでいました。助けて頂きありがとうございます」
「……はぁ。顔を上げ」
スーリアは大きくため息を吐いてそう言う。
その態度を不思議に思ったシリウスが顔を上げると、彼女は少し呆れた様子だ。
「なにか勘違いしてるだが、アタシはなにもしちゃいないよ」
「え?」
「アンタがここに運ばれてきたときにはもう、大体の傷は癒えていたからね」
「いや……そんなはずは」
意識が朦朧としていたとはいえ、シリウスは一部始終を覚えている。
鋭い爪で肩を貫かれ、脇腹も噛み千切られた。
生きているのが不思議なほどの重傷だったし、仮に治っても冒険者は引退しなければならないと思ったくらいだ。
「……俺がここに運ばれてから、どれくらい経ちました?」
「二日さ」
「……あり得ない」
もしかしたら何ヶ月も寝たきりだったのかと思ったが、それも違うらしい。
だとすればもう、奇跡と呼ばれるなにかが起きたとしか思えなかった。
「ま、信じられない気持ちはわかるけどね」
スーリアは煎じた薬草を手渡してくるので、それを飲む。
――苦い。
だが良薬は口に苦しという言葉もあるので、きっと効果は高いだろうと思い込んだ。
「まあでも、こっちは血まみれの子どもが大人を背負いながら森から出てきたんだ。あれを見た後だとねぇ」
「……つまり、あの子が俺を森から?」
「あんまりにも異常な光景だったから、新手の魔物でも現れたんじゃないかって村の連中も騒いだもんさ」
あの少女は、おそらく五歳前後。
たしかにそんな子どもが鍛えた成人男性を背負うなど、魔物と間違われても仕方がないと思った。
「あんたの足は引きずられてボロボロだったけど、それは許してやんな」
「今は傷一つないから、許すもなにもないですよ」
とりあえず、九死に一生を得たのは間違いない。
ならばシリウスがするべきことは謎の力を追求することではなく、助けてくれた少女にお礼を言うことだろう。
「アンタ、中々いい男じゃないか」
「それで、あの子は――」
ふと、入り口の方から視線を感じた。
そちらを見ると、天使を彷彿させるような愛らしい少女が身体を隠してこちらを見ている。
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