第1話
城塞都市ガーランドでお人好し冒険者と呼ばれているシリウスは、森の中にいた。
どれだけ街の人々に愛されようと魔物まで仲良くしてくれるわけがなく、今まさにシリウスは狼のような魔物――ヤンクルに襲われていた。
「ふっ!」
ヤンクルを剣で切り裂く。
C級冒険者とはいえ、この程度の魔物であれば問題無く狩れる実力はあった。
「ふぅ、ふぅ……よし」
倒れて起き上がらないことを確認してから、息を整え、くすんだ灰色の毛皮を剥ぎ取りその場を離れた。
魔物の肉を食べることは禁じられているため、死骸は置いていく。
そのうち自然が還すか、他の動物たちの食料となるだろう。
「とりあえずこれで依頼は完了、かな」
依頼主はガーランドより西に一日ほど歩いた先にある小さな村で、隣接するヤムカカンの森の魔物を間引きして欲しい、というものだった。
これから冬にかけて魔物たちも食料を集めようと村を襲うため、先に減らしておく必要があるのだ。
正式に冬が来れば騎士が駐在し村を守るのだが、それまで彼らを守るのは冒険者たちの役目だった。
「さて、それじゃあ帰ろう――」
――誰か、助けて⁉
そう思った瞬間、森の奥から悲鳴が聞こえた。
「今の、子どもの声⁉」
ヤムカカンの森に限らず、魔物の生息地域は基本その中心部に近づけば近づくほど、強い魔物が現れる。
奥に住む魔物は周辺の動物を喰らうか、弱い魔物を狩るため人里まで出てくることもないので、無理に倒す必要はない。
そのためC級冒険者であるシリウスが受けた依頼は、森の入り口付近にいる魔物狩ることだった。
逆を言えば、奥にいる魔物の相手は、シリウスに出来るものではないということで――。
「だからって、無視は出来ないだろ!」
森の木々を掻い潜り、急いで声がした方へと向かう。
彼の剣幕に魔物や動物たちが逃げだし、さらに奥へ。
「いた!」
先ほどのヤンクルよりも一回り大きな図体をし、銀色の体毛を持つオオカミが三匹。
フェルヤンクルと呼ばれる、上位個体だ。
そんな魔物たちに視線を向けられているのは、まだ幼い少女。
フードを被っているせいで顔は見えないが、怯えていることだけはわかった。
なぜこんな森の奥に、などと思う暇はない。
「これでも喰らえ!」
シリウスは足下にあった拳大の石を拾い、全力でフェルヤンクルに向けて投げつけた。
運良く石は当たるが、ダメージが入った様子はない。
フェルヤンクルの体毛は鋼よりも硬く剣は通らないため、倒すには魔術を使うかグラッドのように大斧で粉砕するしかないのだ。
もっとも、最初からダメージを与えるつもりではなく、注意を引くことが目的だった。
「こっちだ!」
シリウスの技量で倒せない以上、後はあの幼女が逃げる時間を稼ぐしかない――。
「な、なんで⁉」
だがフェルヤンクルたちはシリウスに興味を示さず、幼女を睨み付けていた。
このままでは幼女が喰い殺されてしまうと思い、急いでそちらに向かう。
ほぼ同時に、フェルヤンクルのうち一匹が幼女に向かって飛び出した。
「くぅ――!」
間一髪、鋭い牙が幼女を噛み殺す前に、剣で防ぐ。
重く、さらに見れば凶悪な爪が迫ろうとしていた。
「こ、のぉ!」
片足をフェルヤンクルの喉に乗せ、全体重をかけて蹴り飛ばす。
なんとか距離を取ることが出来たと思うも、当然ながら相手のダメージはゼロ。
元々無傷の二匹と合わせて、絶体絶命だった。
「俺が時間を稼ぐから、君はあっちへまっすぐ走って!」
少女を背に、シリウスが叫ぶ。
もはや時間稼ぎ以外は出来ないだろうが、仕方が無かった。
「か、身体が……」
「っ――」
少女の声は震えていて、恐怖に固まっている。
それを責めるわけにはいかなかった。
十年間冒険者をしてきたシリウスですら、目の前にある死の恐怖には抗えないのだ。
こんな、まだ五歳かそこらの少女が怯えて動けなくなるのも仕方が無いことだろう。
抱えて逃げるにしても、森は魔物の領分。
すぐに追いかけられて殺されてしまうのは目に見えていた。
「……なら、俺が守るしかない!」
シリウスは飛びかかってきたフェルヤンクルの目を剣で狙う。
唯一の弱点であるそれを突かれた魔物は悲痛の叫びを上げ、暴れるように爪が振り下ろされた。
「ぃっ――⁉」
肩に突き刺さり激痛が走るが、それを気にしている暇はない。
急いで剣を引き抜き、まだ生きているフェルヤンクルの目をもう一度貫いた。
「これで、一匹!」
絶命したそれを、見ている暇はない。
なぜなら今倒したそれよりも、こちらを見ている二匹は一回り大きい。
おそらく先ほどのは幼体だったのだろうと、そんな予想とともに顔を引き攣らせる。
――これは、無理だ……。
同時に飛びかかってくる二匹。
シリウスは先と同じように目を狙うが、顔を少しずらされて防がれてしまう。
「ぅ――!」
人の二倍ほどの大きさのフェルヤンクルが体重をかければ耐えられるはずもなく、一気に押し潰されそうになる。
なんとか少女を抱きしめながら身体を捻って躱すが、すれ違いざまに当たった身体に吹き飛ばされた。
すぐに立ち上がると、フェルヤンクルたちは楽しそうに嗤う。
絶対的優位者として、狩りを楽しんでいるのだ。
「ごめんね」
「……え?」
突然の謝罪に、少女が戸惑った声を上げる。
それに応えるより早く、剣を投げ捨て少女を持ち上げて駆けだした。
この場に止まり、フェルヤンクルを倒すか。
それとも、逃げ切れないと分かっていながらも、全力で逃げるか。
どちらにしても結果は同じで、長く生きられる方はどちらか、という選択肢でしかない。
ほんのわずかな希望を持って逃げ出したシリウスだが……。
「くっそ……」
すぐに追いつかれて回り込まれる。
この魔物たちなら、背後から鋭い爪を刺すことも、牙で喉を喰らう事も出来たはず。
それをしないのは、ただただ獲物を嬲っているだけなのだ。
「……立てるかい?」
「え? あの……」
シリウスは少女を降ろすと、視線を合わせてまっすぐその瞳を見つめる。
「大丈夫」
「え?」
「俺が守るから」
もちろんそんなのは、ただの強がりだ。
元々の実力だって足りていないし、剣も失ったシリウスに、フェルヤンクルを倒す手段はなにもない。
それでも少女を安心させるように笑い、腰のナイフを取り出して立ち上がった。
「今から俺が、あいつらに向かって飛びかかる。君はその間に逃げるんだ」
「そんな……そしたら貴方が――」
少女を背で庇うようにして、シリウスは騎士のごとく覚悟の言葉を紡ぐ。
――強く、誇り高く、優しき心を持って弱者を助け、民の模範となれ。
「え?」
「この国の騎士たちの在り方だよ。残念ながら俺は、実力不足で試験に落ちたんだけどね」
そうして一歩、前に出た。
「まあでも、最後は冒険者らしく粗暴に行こうかな」
フェルヤンクルたちを睨みながら、大きく息を吸う。
そして――。
「かかってこいやぁ!」
ナイフを振り上げながら、鋼の剣すら通じない魔物に向かって飛びかかった。
普通ならば、ここでどこにでもいる普通の冒険者であるシリウスは、死んで終わるだろう。
だがもしこの世界に正しき心を是とする神がいるのであれば、彼ほどの『善人』をただ見殺しにするなどあり得ない。
「だめ……」
フェルヤンクルの牙がシリウスの腹を割く。
致命傷ではなかったのか、彼はその腕ごと瞳に突き刺した。
魔物の悲鳴、同時にシリウスから零れる苦悶の涙。
止まらず、少女の方へと飛びかかろうとするもう一匹の足にしがみつく。
「だめ……」
鬱陶しい、と振り払われた。
倒れるシリウスを、フェルヤンクルが醜悪な笑みを浮かべて見下ろす。
すでに両肩は貫かれ、脇腹もえぐられた満身創痍。
このまま治療をせずに放置していたら死んでしまうような大怪我を負ってなお、彼は再び立ち上がりフェルヤンクルの足に食らい付く。
「うおおおおおおお!」
泥臭く、とても騎士の国の人間とは言えない姿。
だがそれでも、少女を守ろうと命を燃やす姿は人の心を震わせた。
そして、魔物の腕がシリウスを潰そうとした、その瞬間――。
「だめぇぇぇぇぇぇ!」
極光が解き放たれる。
まるで、天の裁きのように彼女から放たれた金色の光は、フェルヤンクルを纏めて飲み込み、そのまま森の奥まで貫いた。
「……」
「わ、わたし……その、た、たすけ――!」
五歳くらいの銀髪の少女が、涙で目を腫らしながら必死に声をかけてくる。
きっと十年もしたら、国一番の美女と呼ばれるようになるだろう。
それが半分意識が飛んでいたシリウスが最後に見た光景。
すでに視界が失われ、ただただ暖かい気持ちになっていく。
それはどこか現実的ではなく、あまりにも神秘的な光景。
もしかしたらこれは死の間際に天使が与えてくれた幻想なのかもしれないと、本気でそう思いながら意識を失うのであった。
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