第5話 お手つだえ
湖での特訓後、ついぞ地面に枝で論文を書きだしたサキさんを置き、僕とテーバさんは町を歩いていた。
「いやー疲れたなぁ」
テーバさんの隣を歩きながら僕はきょろきょろと辺りを見渡した。並ぶ家々、店先の商品、通り過ぎる人々、この世界のことをもっと理解するために注意深く観察する。だが実のところパッと見ただけでは今まで居た世界とそこまで大差はない、ないのだが
「テーバさん、あれは?」「おぉ、アレは竜魚の肝だな」
「あれは?」「アレはマグマビートルの粘液」
「あれは?」「アレは、腐ったリンゴだ」
拡大率を上げてよくよく見てみると僕の世界には無かったものがまるで当たり前のような顔をして座っていた。その中でも特に気になったのが
「ん、おいおい何だよボウズ」
隣にいたテーバさんが肘でツンツンしてくる。
「オメェも男だな。やっぱり気になるか、この淫魔喫茶が」
「えっ、あっ、いや」
そこには大きな文字で『エロ、来たれ』と書かれていた。ここまで堂々書かれるとお客側も胸を張って入店したくなる、きっと。
「気持ちは分かる。だがお前にはまだ早い」
テーバさんはしみじみとしてその卑猥褻色の建築物を仰いだ。
「懐かしい、俺も生前はよく通ったなぁ」
「生前?」
「俺がまだ人間で馬鹿やってた頃だよ」
そう言うとテーバさんはスケルトン、ひいては亜人族の存在について教えてくれた。といっても元は人間だったのが原理不明の超常現象でひょっこり生き返ったり翼が生えたりして一見人外のようになったのが亜人らしい。そして亜人にはそれぞれに固有の特徴があったりする。
「スケルトンの自分の墓ブッ壊されたら消滅するってのもその一つさ」
「へぇ、じゃあこの喫茶の方々も?」
「そりゃあ淫魔だって亜人だからな、もちろんあるぜ」
「えっ、どんなカンジの」
テーバさんはそっと自分の口に立てた人差し指を添えた。
「それはお前が大人になったときに、自分の目で見な」
「はっ、はい!」
「よしよし」テーバさんはそう言うと指を離してうんうんと頷いた。
そんな風に僕とテーバさんが男としての師弟関係を確かめていると、「おーい」後ろから声を掛けられた。
「君!こんなところで何してるんだね」
僕がパッと後ろを振り向くとそこには昨日、馬に乗せて町まで運んでくれた鼻の高い男が巨大な箱に箱を重ねてぐらぐらしながら立っていた。
「も、シングルさん?でしたかね」
「おぉ、チラシを読んでくれたか」
シングルさんは笑顔でそう言った後、一旦その荷物を置いて笑顔のまま僕の隣にそびえたっていた卑猥喫茶を眺めた。そしてその顔をギュッと縮めると「いかんぞ少年」と首を横に振った。
「大人になったらギルドに来いとは言ったが、俺の言った大人になるとは年齢的なことであって経験的なことではないぞ」
「う、いや、あの」
もの凄く勘違いされている気もするがあまりにキビキビ注意されるので返す言葉が無い。僕はがっくりと肩を落として靴のつま先を見つめた。するとシングルさんはふぅと息をついて置いていた箱の一つを僕に手渡してきた。
「もしよかったら荷物運び手伝ってくれないか?」
「う、え」
「ここに入ろうとするくらいならどうせ暇だろう」
そう言うと彼はチョイチョイと顎で淫魔喫茶を示し、ふふふと笑った。
「さ、行こう」
「あっ、待ってください」
こういうとき真っ先に「知り合いか?」とでも聞いてきそうなテーバさんがやたらと静かなので彼の方を見てみる。するとテーバさんは黙って、妙な顔でシングルさんを見つめていた。シングルさんもその視線に気付いたのか「失礼、どこかでお会いしましたか?」と声を掛ける。
「あ、いや。悪ぃ、何でもねぇよ」
テーバさんはどこか気の抜けた様子で首を横に振った。
「すいません、テーバさん。僕荷物運び手伝ってもいいですか?」
僕がそう聞くと彼はフッと少し笑いながら「何で俺に聞くんだよ、行きたきゃ行け」と手を振って「先帰ってるわ」と言い残し立ち去って行った。
「ふむ、やはりどこかで会っていたのか?」
「何だかぼーっとしてました」
「いや、茫然としてるのもそうなんだが。どこか見覚えがあるんだ」
シングルさんは帰るテーバさんの背中を見ながら「うーん」と頭を悩ませていた。
こうして偶然にもギルドのお手伝いをするハメになったのだが、何も悪い事ばかりではない。一応にも従業員扱いということでギルドに着いたら報酬をくれるというのだ。
「まぁ楽しみしていてくれたまえ」
そう言ってシングルさんは快活に笑った。これは良い情報である、次に悪い情報。
『何だこの重さは!?』
僕は最初に手渡されたケーキ箱くらいの荷物ともう一つ、さらに一回り小さな箱を持っていたのだが、そっちの箱がまぁ重い。正直見た目だけで油断していた。
「気を付けてね、貴重品だから」
「うぇ!?」
「はっは!冗談さ」
シングルさんは洗濯カゴサイズの箱を持ってえいえいと一歩先を歩いている。初めは重い方を持ってくれてると思っていたがこの小さな箱があまりに予想外で『重さも洗濯カゴくらいしかないんじゃないか?』と疑ってしまう。
「あの、ホントに何が入ってるんですか」
「さて、何だろうね」
随分雑にはぐらかされた。『この大きさでこの重さ、特殊な鉱石とかかな』そうも思ったがここは異世界なので一歩踏みこんで考えてみて、考えても無駄だと分かった。僕はまだこの世界のことを知らないし、もしこの世界特有の物質とかならいくら頭を捻ったって何も浮かびはしないだろう。
「そういえば君、昨日あそこで何してたんだ?」
「えっ」
歩き始めて数分経った頃、前を歩いていたシングルさんが顔だけをチラッと後ろに向けてそう言った。
「あんなところ、この街の人間ならまず立ち寄らない」
「え、や、あれはですね」
思わず口ごもってしまう。確かにあの場所とこの街では歩きにしてかなり遠く、住人からすれば不自然だろうし、実際僕もシングルさんに拾われなければ足で半日以上はかかっていた。
何とかごまかさねば。僕が次の一手を喉元でくすぶらせているとシングルさんは首を傾げて「薬草でも取っていたのかい?」と聞いてきた。
「はっ、はい」
思わぬ助け舟に何も考えずひょいと乗り込む。しかし
「おかしいなぁ。あの辺りには薬草なんて生えてないハズだが」
船には穴が開き、船頭が自らオールを僕に突き立てた。「え゜ッ」と素っ頓狂な声を出して僕は目を泳がせる。するとシングルさんはその動揺を吹き飛ばすようにして明るく笑い声を上げた。
「あっはっは!すまない、少しカマを掛けてみた。正直なところ私は君が家出でもしてたんじゃないかと疑っているんだ」
「え、家出?」
彼は「そう、家出」と言い、話を続ける。
「家が嫌になって、それで出来るだけ遠くに逃げようとしてあそこまで行ったが、途中で諦めて街に戻ることにした。そしてその途中で私に拾われた。だが実際街を出たときは戻る気など更々無かったため、いざ戻ってきたときにどう気持ちを整理すればいいか分からず、挙動不審になってしまった。どうだい?私の推理は。良い線行ってると思うのだが」
僕は他に上手い言い訳も見つからなかったので「ほ、ほぼ合ってます」と答えた。
するとシングルさんは「ふふん」と鼻を鳴らして
「私は推理小説が好きでね。よく読んでいるのさ」と言った。
「彼は君のお兄さんかい?」
「え」
「ほら、さっき君の隣に居た」
多分テーバさんのことだろう。身長からして、確かにちょうど僕の兄くらいに見える。
「いや、違います」
「じゃあ親戚かね」
「いや、その。何て言えばいいか分からないんですけど。昨日道で会った人です」
シングルさんがピタリと足を止めた。
「昨日道で会った?」
「はい、昨日色々あって。今は家に泊めて貰ってます」
あれ、自分で言って思ったがこれは
「あ!ち、違うんです」
僕はされたかも分からない誤解を解こうと咄嗟に言葉をはじき出した。そしてそのままの流れで
「別にっ、そんな誘拐とかッそういう、その。犯罪めいたことでは無くてタダ単純にホント、色々あってそれで、その。あっ、いやぁとにかく!テーバさんはそんな悪い人じゃないですよ」
舌を回してぺらぺら喋るほど、シングルさんの顔は訝しげにクシャっと歪んでいく。
「その」
「分かった分かった。君がそこまで言うんなら信じよう」
彼はそう言いつつも顔は変えないままで、荷物を地面に置き、カバンの小ポケットから何かを取り出した。
「笛だ。何かあったら吹きなさい」
僕はその笛をシングルさんへの感謝とテーバさんへの申し訳なさを込めて、しげしげと受け取った。
「あの、ギルドってあとどれくらいで着くんですか?」
荷物を運び出してから正確な時間は分からないが、少なくとも30分以上は歩いた。普段筋トレも何もしていなかった僕の腕では既に筋組織がブチブチ唸っており、今にも荷物が腕からこぼれそうになっている。
そんな僕とは裏腹に、シングルさんは「なーに、もうすぐ見えてくるさ」と言って向こうの方を眺めた。
「ほら、あの建物。一軒だけ雰囲気が違うだろ?」
彼は荷物で塞がった手の中から人差し指だけを立ててそう言った。
首だけをうんと伸ばして目を凝らすと、確かにそこには周りの西洋風の建物とは違う、ノスタルジックな。まぁ言ってしまえば僕のおばあちゃん家みたいな、古風な親しみを持つ建築物がしげしげと建っていた。
「あ、あれですか」
予想に反してかなり和風だったので、驚いて声を上げる。
「そう、あれが私の運営するギルド『ホワイトクロウ』だ」
改めて名前を聞いてみても明らか洋風なのに近づくにつれて瓦屋根に白塗りの壁と、今時元居た世界でも見ないような和の趣がある。
「周りとは違った感じにしたくてね。あぁすれば分かりやすいだろう?」
確かに周りからは浮いて見える。クリスマスパーティーの机にザルソバが置いてあるような、そんな違和感を感じた。しかもよりによってその両隣の建物はレンガ造りの背の高い建物だったので、違和感は益々だ。
「脇の建物のせいで日当たりが悪いんだけど、それも何だかギルドのアングラな感じに一役買ってるんだ」
シングルさんは秘密基地を案内する子供みたいに、ぺらぺらとギルドの拘りポイントについて話し始めた。初めて会ったときはちゃんとした大人という印象だったが意外に緩い人なのかもしれない。
そしてついに、僕たちはギルドの前にまでたどり着いた。
「やー!頑張ったね。お疲れ様」
シングルさんは僕の方を見ながらそう言うと、足で玄関のドアを上手に開けた。この時にはもう僕の腕はぷるぷると感覚すら怪しくなっていたのは言うまでもない。というか、シングルさんはあそこで僕に会っていなかったら一人で荷物を運ぶつもりだったのか?
そんなことを考えながら、僕もシングルさんの後に続いてギルドの中へと足を踏み入れた。
「ようこそ、ホワイトクロウへ!」
そこは強いて言うなら家の中身だけをぐっぽりくり抜いたような、広々とした空間が広がっていた。そしてそこにバーカウンターやちょっとした椅子に机、壁には色んな紙が雑多に張り付けてある。
外観に比べてかなり洋風だったので思わず「ほ~」と口を半開きにさせたまま喉を鳴らす。
「ははっ、中は普通だろう」
荷物を入ってすぐの机に乗せて、シングルさんは肩をぐるぐると回した。
「君も荷物を置いて、適当にくつろいでてくれ」
そう言うと彼は持ってきた荷物をパカっと開けて中を物色し始めた。
僕はその隣の机に荷物を置くと、すっかりに固まった腕をほぐすために手首から先をぶらぶらと振る。
しかし本当に重かった。ここまで重いとは、一体何が入っているのか。腕の震えでかき消されていた思いが再びぞわぞわと浮かび上がって来た。
『シングルさんは他の荷物に夢中だし、今なら』
中でも特に気になっている小さいのにやたらと重い箱、異世界特有の品だとしても、どんなものなのか気になる。
僕はついに『チラッとね、ちょっとね』という思いを掲げて箱の方に目をやった。すると
「え」
なんと、テーブルの下から伸びた小さな腕が、僕が今開けようとした箱をヒョイと取ってテーブル下に引っ張り込んでしまった。流石に急な出来事で「ひゅっ!」と体を跳び上がらせる。
「どうした!?」
僕の声に驚いたのか、シングルさんも目を丸くして、こちらを向いた。
「いっ、今、手が」
「手?あぁ、なんだ」
シングルさんはこっちに寄って来ると腰を屈めて机の下を覗き「ほら、出ておいで」と言って手招きをした。すると、中から小さな女の子が顔だけを出して僕と目を合わせた。
「紹介するよ。僕の妹でモノ・ダブルだ」
女の子はそう紹介されると、まん丸な目が付いた顔をウンと頷かせて再び机の下に帰って行った。
「すまないね、シャイなんだよ」
「あ、いえいえ。そんな」
「まったく、ギルドの店番を頼んでいたのに。この様子じゃ、やってないな」
やれやれといった様子でシングルさんは僕が持ってきたケーキ箱サイズの箱を開けた。中には瓶に詰まった緑の苔の塊のようなものが数本入っていて、無理に例えるならモサモサした青汁のような見た目だ。
「これはね。千年竜の背中に生えている苔さ」
苔の塊のような、とは言ったがどうやら本当に苔だったらしい。するとシングルさんはその内の一本を手に取って、僕に手渡してきた。
「さぁ、今回の報酬だ」
「えっ!」
僕は再び手の中の瓶を見た。確かに報酬をくれるとは言っていたが、てっきり現金的なものかと思っていた。『まさか現物支給とは。』
「中々にレアなんだよ?ぜひ大切にしてくれたまえ」
彼はそう言うと「はっはっは!」と高らかに笑って、元の荷物を物色しに戻って行った。
僕は再び、手の中にあった瓶を覗き込む。まさか報酬が苔だとは、うむむ。しかしこの世界で苔は貴重品なのかもしれないし。と考えているところで、瓶の向こうでこちらを見ている女の子の存在に気付いた。
「?」
『どうしたの?』という意図を込めて首をかしげる。
「!」
女の子はあたふたすると、顔を引っ込めた後、腕だけを外に出してきた。そこには小さな紙が握られている。僕はその紙を静かに受け取ると紙面に目を滑らせた。
そこには真っ赤なクレヨンでグシャグシャに塗りつぶされた『☆』のマークが描かれていた。
可哀そうな人、転生しても可哀そう ポロポロ五月雨 @PURUPURUCHAGAMA
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