そして旅立ち Ⅰ
俺は空を仰いだ。
日の光がまぶしい。大樹の枝葉に包まれた妖精の里の天上も、それは見事なものであった。だが、やはりこの果てしなく広がる青空の下が一番だ。
秋風に自前の銀色の髪をなでられて、俺はひとりしみじみと思った。
「それにしても。外から見ると、まるで気づかないものだな」
俺は振り向いて、背後に続く
まさかこの木々の背景が偽物だとは。目を凝らしても、まやかしと実物の差がつかない。これでは人間はもちろん、森の動物とて見抜くことは難しいだろう。
この偽物の森の奥に、妖精の里がある。天にまで突き抜ける巨大な樹木に、そのふもとでひっそりと生き延びている妖精族の住処が――。
なんだか、いままで夢を見ていたような気分だ。仮に人に話したとしても、誰も信じてくれやしないだろう。せいぜい、本の読みすぎだと笑われるのがオチだ。
「女王様の結界の力かしら」
きびっとした声が、俺を現実に戻す。
やや離れた場所で、ふわり、背中の羽をはためかせて浮かんでいる妖精の姿がそこにあった。コケモモ色の長い髪をなびかせる、妖精チェルトである。
「もっとも、この結界もあとどのくらいもつか、わからないのだけれど。今日の騒動のせいで、女王様のお心も体力もだいぶ
ジロッと、チェルトはトゲのある視線を俺に向ける。
すっかり妖精の敵意に慣れてしまった俺は、ただ黙って肩をすくめた。
太陽の位置を見るに、時刻は正午を過ぎたころだろう。
妖精裁判がお開きになってから、だいぶ時間が経過した。俺はいま、妖精の里の外にいる。ちょうど、里の入口が隠された低木の茂みの前に立っていた。
俺のまわりには、チェルトを含めた里の警備当番の妖精たちがふわふわ浮かんでいる。彼らは『人間を里の外まで丁重に見送るように』と妖精の女王から仰せつかったのだという。
ウェンディに似た強気の性格のチェルトは、まだ俺とふつうに会話してくれる。しかし、ほかの妖精はというと、まったく目すら合わせてくれやしない。
(少しくらいは、人間に慣れてきてくれないかな……)
捨てきれない淡い期待から、彼らのそらした顔をのぞき込もうとすれば、ぴゃっと声を上げていっせいに体の角度を変えてくる。どの妖精の顔もひどくこわばっているし、小さな手には武器のような棒がしかと握られていた。
しかたがない、それだけ妖精と人間の両種族の断絶の根は深いのだ。たまたま自分が出会った、あの二人の妖精が……イレギュラーなだけで。
そのうちの一人――クルミ色の髪を持った三角帽の妖精に俺は視線を向けた。妖精カールは、警備当番の妖精たちに囲まれて厳重にお縄についている。
「ごめんな、カール。君に一番イヤな役目を負わせてしまうことになって……」
いま一度、申し訳なさから俺はカールに声をかけた。
カールは俺を見て、ブンブンと首を大きく振る。
「ううん。ボクのことは気にしないで」
こちらを心配させないためか、努めて明るい表情で彼は言った。
「大丈夫だよ。ボク、ノシュアさんのこと信じているから。ノシュアさんだったら、きっと千年樹にかけられた呪いを解いてくれるって――」
「あら、それはどうかしらね?」
くすくすと、チェルトが横槍を入れてきた。
「人質のあなたを置いて、そのままどこかに逃げ去るつもりかも。……まったく、女王様もお
悪態をつきつつ、人を小馬鹿にするような笑い声を立てるチェルト。
そんな彼女に、俺は
「好きなだけ高笑いしていればいいさ。だが、俺は逃げるつもりは毛頭ないよ」
俺がきっぱり言い切ると、ほかの妖精達も徐々にこっちを見つめはじめた。
「呪いを解く方法を見つけて、必ずこの里に戻ってくるからな――」
俺たちは。
と、最後の言葉をつけ足して、俺は挑戦的な笑みを返してやった。
「…………」
むすっと、チェルトのけげんな顔つきは変わらない。
人間と妖精。両者が視線をぶつけ合っていると、ふいに茂みがガサガサと音を鳴らした。
「!」
「ふぅ、遅れてゴメンね!」
茂みのなかから現れたのは、妖精ウェンディだった。
彼女は茂みから身を出すと、いったん一同に背を向ける。よいしょっとかけ声をあげて、茂みのなかからなにやら大きな丸い包みを無理やり引っぱり出した。
「もう遅いっ! あなた、
待たされる身にもなりなさい。と、チェルトが噛みついてくる。それを手慣れた様子で受け流しながら、ウェンディはつんと顔をそらして言った。
「うるさいわね。しょうがないじゃないの、なにせ急に出発が決まったんだから。あれもこれも必要かと思って……ま、とりあえず家中のもの、全部つめ込んできちゃったってわけ」
自分の身丈ほどある荷物の袋をしょいこむと、ウェンディはふわりと浮かんで、俺のとなりに並んだ。
「長旅だし。なにごとも備えあれば、なんとやらよ」
「……長旅って言っても、七日だぞ?」
俺も呆れた調子で言った。まん丸に膨らんだ荷物をいたずらに指先で突けば、ウェンディににらまれてしまった。
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