いびつな微笑 Ⅱ

「……そんな言い方はないんじゃないか?」


 低めの声音に、その場にいた妖精たちがいっせいにこちらを向いた。

 俺は眉を寄せて、妖精の女王だけを見すえる。けげんに、というよりも若干イラ立ちをあらわにして。


「妖精の女王よ。みなをまとめるあなたが、不安をあおるような言葉を容易く口にするべきではない。

 ここにいる妖精たちはみな、あなたを慕ってついてきているんだ。なかには、あなたの言うことを忠実に信じて……恐怖の対象である人間に、勇気を出して協力を求めた者もいるんだぞ」


 アイスブルーの瞳で、まっすぐ女王を射抜いた。


「それなのに……彼らの失意を前に、自分ひとりが平静にあきらめを口にしてしまうのは、妖精族の長としていかがなものだろうか」

「…………」


 女王はすっと目を細めた。

 異種族ごときが口をはさむな……と不機嫌をあらわにすると思いきや、彼女の表情はまだやわらかい。むしろ「ふふっ」と、より口角を上げて美しい微笑を解かなかった。


「ありがとう。ワタクシたちのことを、親身に考えてくださるのですね」


 ていねいな言葉で、感謝の意を述べる女王。

 一方で、俺は依然身構えたままである。


「でも、こればかりは……どうしようもないことなのですよ」


 運命ですから。と、女王は厳かに言った。

 彼女の額に飾られた、ティアラの青い宝石がきらりと光る。


 女王の言い分に対し、今度は余計な口をはさまなかった。

 呪われた剣とやらを引き抜くことができなかった俺の立場で、これ以上とやかく言ってもしかたがない……。


 という考えもあったし、それ以上に俺は――なにか……なにか、妙な違和感を覚えていた。


(二つだけ、気になる点がある……)


 一つは呪われた剣だ。

 俺はぎゅっとグローブに包まれた己の手を握りしめる。

 剣の柄を握った時の、あのなにもない感触はなんだったんだろうか。妖精の里を青灰色の染めるほどの禍々まがまがしい呪いの源のはずなのに、どうしてか、いま一つピンとこなのだ。


 それともう一つは、刀身に刻まれた――。


「女王様」


 ふわっと、俺と女王の間にウェンディが飛んできた。らしくもない不安げな面持ちの彼女に、女王はやさしい声でたずねる。


「どうしたのですか、ウェンディ」

「女王様、あの……どうか、アタシの話をお聞き下さい」

「ええ、どうぞ」


 ほほ笑み、うなずく女王に、ウェンディは頬を紅潮させてしゃべりはじめた。


「こういった案はどうでしょうか。その……里ではなく別の住処を探して、外の世界に出るというのは」

「そ、外の世界?」


 疑問の声を上げたのはチェルトだった。それを皮切りにまわりの妖精たちもウェンディの言葉に動揺する。

 しかし、当のウェンディは周囲の不安げな声を後押しに、より一層目の色を強くして女王に訴えかけた。


「この里から出て……外の世界で妖精一族が生き長らえる道を、アタシは見つけたいです!」


 それを聞いて、俺は木こりの家に飾られていた地図のことを思い出した。

 あの時もウェンディは、熱心に地図のことを俺にたずねていた。世界の広さを、里の狭さを知った時の彼女の驚きようと言ったら……。


「人間の住処に行って知りました。この妖精の里の外にも、まだまだ世界が広がっているんです。

 アタシ、たまに里の外にある高い木の上に登って考えているんです……群れで空の彼方へ消えていく鳥たちは、いったいどこに行くんだろうって」

「ウェンディ……」


 カールもウェンディのことを、しかと見つめている。


「このまま、まっすぐ飛んで終わりはあるのかなって。

 もし、この大地が限りなく広がっているのならば、アタシは……この場所で、黙って滅びを受け入れることはできません」


「ウェンディ……あ、あなた、何を言っているの?」


 チェルトは絶句する。彼女はウェンディに向き合い、その場で身振り手振りをしながらこう言った。


「伝承にもあったじゃない。その昔、人間たちに追われてワタシたち妖精族はこの地に身を隠したって。

 そりゃ、あなたの予想するとおり、外の世界は広く、空も大地もどこまでも続いているかもしれないけれど……それと、妖精族の運命を変えることとは……まるで別だわ」


「チェルト……」


 困惑して頭を振るチェルトに、ウェンディはまっすぐ言った。


「でも、アタシはこのままでいるのはイヤ。里のため、妖精族のため、なんとかしたいの。もし、もしも外に妖精たちを救う手立てがあるのなら、アタシは――」


「ウェンディ」


 女王はウェンディの名を呼んだ。

 はっと、ウェンディは女王のほうへ顔を向ける。すると、数歩前へ進んだ妖精の女王は、その細長い腕を開いて――彼女をやさしく抱きしめた。


「あなたは、とても勇気のある妖精ですね」

「じょ、女王様……」


 胸のなかでくぐもった声が聞こえる。喜び、感激、様々な感情が入りまじった彼女の声は震えていた。


「ワタクシは、あなたを大変誇りに思います」

「女王様ッ、では……」

「――ですが」


 女王は声を低くして、言った。


「我々に、外に生きる術はありません」

「!」


「かわいそうなウェンディ。あなたの里を救いたいという気持ちはよく伝わりました。ですが……あなたは無力です」


 ごらんなさい。と、女王は片手を解いた。ちょうどよく宙をはらはら舞い落ちてきた葉を、女王の指が捕まえる。

 やさしく指で柄をつかんだために、かろうじて形を保っていた葉っぱ。しかし、女王がふぅと息を吹きかけると途端に脆く散ってしまった。


「マーナの力をなくすと、こうなるのです」


 それは妖精も同じ。と女王は続ける。


「千年樹のそばにいるからこそ、妖精は生きられるのです。里から離れたら、おそらく……徐々に弱って、数日の内にこの葉っぱのように――妖精の身体はチリと化してしまうでしょう」


「うッ……!」


 声なき悲鳴があがる。

 背中向きで表情は見えなかったが、俺の目にもウェンディの羽が、肩が、背中が小刻みに震えるのが見えた。


「悲しまないで。怖くありませんから」


 女王は指のチリを払い、再びウェンディを抱きしめる。まわりの妖精たちからもすすり泣く声が聞こえる。そのなかで、たったひとり女王の囁きだけがとろけるように甘かった。


「妖精の運命です」


 いくつもの光の帯が、天上から差し込んだ。

 小さな妖精を抱きしめる女王の姿を見て、俺はいま一度思う。


(まるで、絵画を見ているようだ)


 震える我が子を抱きしめる母親の肖像画。母性あふれる絵画と、目の前の光景が脳裏で重なった。


 しかし、美しくはない。

 表面の構図だけが重なっているだけで、これは――妖精族の滅びの図であるのだから。


 そう考えていたら、俺の足は自然と前へ出ていた。

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