木こりの家にて Ⅱ

「食後のデザートに、木イチゴでもどうじゃな?」

「わぁ、アタシこれ好き!」


 木こりのおじいさんが小さな実を乗せた小皿をテーブルの上に出すと、妖精は嬉々としてふわり飛んでいった。

 誰も取りはしないのに、彼女はせっせと小皿から両手いっぱいに木イチゴを抱える。甘いものが好物なのだろうか。満面の笑みを浮かべて、さっそくその一つにかぶりついていた。


「ふーむ、本当にふしぎなことが起こるのう」


 木こりのおじいさんは、まじまじと木イチゴの皿を見つめる。そして、少し楽しそうな声でこう言った。


「皿に入れた木イチゴが、ころころ消えていくわい」

「…………」


 黙る俺をよそに、おじいさんはほっほと笑う。

 おじいさんはヤカンを手に、沸かしたお湯をコップに注いで俺の前に出した。そして、今度はコップとは別に小さな陶器のスプーンにお湯を少しだけすくい取ると――それも俺の前に置く。


「さ、妖精さんとやら」


 湯気の立つスプーンを見ながら、おじいさんは言う。


「こんな入れ物しかなくてすまないが、白湯さゆでも一杯いかがかね?」

「ああ、いや……こっちじゃなくて」


 俺は言葉をにごしながら、おじいさんが俺の前に置いたスプーンを木イチゴの皿のほう――正確には、木イチゴをぱくついている妖精の元へ動かした。


「こいつ――妖精は、ここにいるんだ」

「ほう! なるほど、こっちじゃったか」


 おじいさんは移動させたスプーンを、不思議そうに眺めていた。同時に、俺もおじいさんのしわくちゃの顔をまじまじと見つめる。

 当の妖精は、俺とおじいさんの顔をチラチラ見比べて、果汁で汚れた口元をぬぐった。


「な、なぁ、おじいさん……」


 俺は妖精の丸っこい頭を指で示しながら、いま一度、木こりのおじいさんにたずねてみた。


「本当に、こいつの姿が見えないの?」


 俺の質問に、おじいさんはううむとうなった。

 白い顎ヒゲをなでつけながら、首を伸ばして俺の指先をじっくり見つめる。ふさふさの白い眉毛が上下した。だが、しばらくして首を引っ込めると、やっぱり残念そうに首を振った。


「うんにゃ。やはり、ワシにはなんにも見えないのう……」


 消えていく木イチゴしか見えんわい。

 と言ったおじいさんに、俺と妖精は目をぱちくりさせた。

 これはいったい、どういうことなのか。俺たちは互いに目を見合わせて、そろって首を傾げた。


「きっと歳のせいじゃろう」

 

 ふぅ、とおじいさんは息を吐いた。しわくちゃの拳で、自分の肩をトントンと叩く。


「年々、目も悪くなってきてのう。特に最近は近くのものが見えづらくなっていかん。靴下の穴ぼこをつくろおうにも、なかなか針穴に糸が通らんで困ること……」

「いやいや……もっとこう、大きいんだよ。妖精ってのは」


 俺は両手で幅と高さをつくって、なんとか妖精のサイズを伝えようと試みた。


「こんくらいの大きさで、だいたい四等身くらいかな? 子どもみたいにぽちゃっとしてて、丸っこいやつなんだよ。横幅もこれくらいで――」

「ちょっと! 誰がぽちゃっとよ、失礼なやつね!」


 妖精はむっと顔をしかめて、俺の手をぺちりとはたく。それから唐突に、彼女はふわりとテーブルから飛び立った。


 淡いライム色の光をちらつかせて、妖精はしわくちゃの顔のまわりをふわふわ飛んだ。しかし、おじいさんはまだ妖精が木イチゴの皿の近くにいると思っているのか、視線をテーブル一点に向けたままである。

 ためしに妖精が「おーい」と耳元で声をかけても、おじいさんはなんの反応も見せなかった。


「変なの。全然、気づいてないみたいね」

「そうみたいだな」


 俺が妖精に返事をすると「どうかしたのかい?」とおじいさんが顔を上げた。俺のひとり言に聞こえたらしかったので「妖精と話していた」とだけ伝えた。


(妖精の姿が見えないだけじゃなく、声も聞こえないのか)


 俺は改めて、この木こりの小屋に住む一人の老人を観察する。 ……とはいえ、ごくふつうのお年寄りにしか見えない。腰が曲がっているせいで、背丈はおれよりもやや低い。頭はつるりとはげて、雪のような真っ白い眉とヒゲが年月の流れを感じさせた。


「ワシもだいぶ長く生きたよ。この森に住みはじめて……はて? どのくらいになるじゃろうか。

 年だけは取りたくなかったのう……木こりの仕事と自分の生活以外は、なにもかも忘れてしまったよ。昔のことみーんな忘れてしまうくらいワシぁ、すっかり老いぼれちまったわい」

「おじいさん……」


 はじめて出会ったときは、こんな鬱蒼とした森のなかでよく老人がひとり身で暮らしていることに驚いたものだ。

 毎日、斧やクワを振るって暮らしているから、体はいまのところ健康なのだという。森や畑で自分の食料をまかない、時折薪をこしらえては森の外の道端に出て、通りすがりの馬車を相手に物々交換をして生活しているらしい。


 近辺の村とか、もっと人里で暮らさないのかとたずねてみれば、本人曰くいまの生活が静かでしょうに合っているようだ。


「妖精、か……」


 ずずっと、白湯をすすっておじいさんは白い息を吐く。


「そんな不思議な生きものが、この森の奥に住んでいようとは知らんかったよ。なんとなく……懐かしいような響きはするんじゃがのう」

「あ、おじいさんも? じつは俺も、昔大好きだった本を思い出して――」


 つらつらと思い出の本のことを話しはじめると、おじいさんはにっこりほほ笑みながら聞いてくれた。


 ひとりたくましく暮らしていても、やっぱりさびしさを覚えるのかもしれない。素性のわからない俺に親切にしてくれるのも、そういった理由があるのでは……と思った俺は、おじいさんが楽しめるよういつもより多く口をまわした。


 妖精のほうは飛ぶのに飽きたのか、途中でまたテーブルの上に戻り、木イチゴに手をつけはじめた。あまーい、とうれしそうな表情を見せる彼女に、俺は機を見てこそっとたずねてみる。


「妖精ってさ。見える人と、見えない人がいるのか?」


 俺の質問に彼女はしばし無言で、モグモグと口を動かしていた。一応、深緑色の瞳を斜め上に向けて思案してくれたようではあったが、結局、知らないと小さな頭を横に振る。


「あっ、もしかして。心の清らかな人間にしか見えないとかーー」

「それはない」


 ポンッと手を打つ俺に、妖精は冷たく言った。

 しばらくして、おじいさんが火の始末をはじめた。その曲がった腰の後ろ姿を見ながら、俺はちょっとだけ悲しい顔を向ける。


(せっかく、妖精をつれて帰ってきたのにな……)


 枝木も回収できず、唯一残った本日の功績も無駄に終わってしまい、俺はとても残念に思った。

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