Chapter 3
木こりの家にて Ⅰ
「ほっほっほ。それはまた、大変な目に遭ったのう」
長く伸ばした白ヒゲをゆらしながら、木こりのおじいさんはほがらかに笑った。
火元に吊り下がった鍋がふつふつと煮える。おじいさんが木べらでゆったり鍋底をかきまぜれば、はぜる薪の熱に乗って、温められたスープの豊かな香りが小屋のなかに広がった。
ぐぅっと、俺の腹が正直に鳴る。食卓テーブルの木のベンチにヘロヘロになって座る、さすらいの冒険者はつばを飲み込んだ。
そんな空腹の俺の前に、スープの入ったお
「森のなかを走りまわって、さぞかし疲れたことじゃろう。ささ、遠慮せずにいっぱい召し上がっとくれ」
俺は改めておじいさんに頭を下げた。感謝を伝え、疲労で震える手で木のスプーンをつかむ。
「い、いただきます……」
まずはスープをすくって、口に運んだ。
ふやけた干し肉と、森のキノコがたっぷり入った熱いスープだ。噛みごたえある肉の食感とその塩気が、疲れた体になんとうれしいことか。くわえて、キノコのよい香りと出汁がじつにおいしい。
気力体力ともにからっけつだった俺は、しばし夢中でスプーンを動かしていった。
いまから少し時間をさかのぼる。
俺こと、さすらいの冒険者ノシュアは、森のなかで凶暴な魔モノの群れに襲われた。魔モノの名はウッズウルフ。獲物を切り裂く鋭い爪と、骨まで砕かんばかり大きな牙を持った森の狼である。
ウッズウルフたちの猛攻からひたすら逃げまわっていた俺は、その途中で機転をきかせ、木の上へ避難することに成功した。
さすがの四つ足獣も、人間サマとちがって木に登ることはできなかった。したり顔の俺は、そのまま向こうがあきらめてくれることを待った。それはもう……辛抱強く待った。
だがまさか、以降両者のにらみ合いが果てしなく続くとまでは。朱色の空が紫に変わり、空に月が輝いてもウッズウルフたちの地獄のうなり声は続いた……。
最終的には、体力の回復した連れに追い払ってもらった。
かくして冒険者は
「ごめん、おじいさん。森の奥でいい木は見つけたんだけど……」
スープのお椀が
「気にせんでくれ。そんなもんより、ワシにはおまえさんが無事に森の奥から帰ってきてくれたことのほうが、ずーっとうれしいとも」
「おじいさん……」
「しっかしのう。魔モノの群れに襲われても、大したケガも負わずにおるとは。いやはや、ノシュア君の言う冒険者というのはすごいもんなんじゃなぁ」
「え、あっ……ハハハ……たまたま運がよかっただけだよ」
おじいさんがあんまりにも感心するように言うものだから、俺のなかに気恥ずかしさが込み上げてくる。いまのボロボロの俺には、笑ってごまかすことしかできなかった。
「どれ、もっとたくさん食べなされ」
「あ、いや……」
そのお椀を、おじいさんが俺の前に戻した瞬間だった。
「とおっ」
お椀の脇から、小枝の槍が伸びる。とがった先端に、汁の上の肉厚キノコが串刺しになった。
「…………」
したたる串刺しキノコは、ひょいっと横にかっさわれた。
俺が白けた眼差しをテーブルの脇へ向ければ、そこにはモグモグと小枝に刺さったキノコにかぶりつく妖精の姿があった。
透明な羽をたたみ、どんとテーブルの上に座る妖精は無心に食事を続けていた。見れば、パン切れの皿も彼女にやられたらしく、いつの間にか枚数が半分以上減っている。
「……おまえは、もうちょっと遠慮しなさい」
俺が小声でたしなめると「うるふぁい」と、くぐもった声だけが返ってくる。妖精はこちらを見向きもせず、ひたすら食べものを小さな頬に詰めていた。
「ふぁーれかさんの、ふぉかげで――」
ごくんと飲み込んでから、ようやく彼女は聞き取れる言葉を発した。
「――無駄に体力を使っちゃったからね。お腹が減ってしかたがないんだもの」
「…………」
ぐぬぬ、言い返せないこと言いやがって。
黙り込む俺に妖精は気をよくしたのか、スープのお椀をもっと自分のところへ寄せろと
(とはいえ、こいつには助けられたからなぁ……)
木の上から降りられなくなった俺を見かねてか、彼女が例の光の球でウッズウルフの群れを追い払ってくれたのだ。
さらに、木こりの小屋を探してもらったという借りもある。無我夢中で森のなかを駆けまわったせいで、当然、俺は行きにつけた帰り道の目印を見失ってしまった。渋る妖精に頼み込み、森の上を飛んで小屋の明かりを見つけてもらったからこそ、いまの自分があるのだ。
(もし、木こりのおじいさんのとこに戻れなかったら……)
いまごろは暗い森のなかだ。
それこそウッズウルフたちの晩飯になっていたかもしれないと思うと、背筋がぞっと震えるのだった。
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