トロイメライ Ⅰ

「明日……俺はもう一度、あの木の場所に行く」


 と、俺はひとりごちる。

 寝床にした食卓のベンチに身を横たえて、俺は静かにまぶたをとじていた。何度か、幅の狭い木の板の上で器用に寝返りを打ってみるも、一向に眠りが訪れない。


 時刻は、そろそろ日付が変わるころだろうか。夜の静寂せいじゃくに包まれた木こりの小屋では、冒険者の俺、つれてきた妖精、そして家主であるおじいさんが各自の場所で床についていた。

 夕飯をごちそうになったあと、俺は今晩も木こりのおじいさんの小屋に泊めてもらうことになった。これで二宿二飯の恩義となってしまった。


 昨晩は小屋の裏手にある物置を寝床に借りたのだが、おじいさんはかたくなに『遠慮しないで、小屋のなかに泊まりなさい』と言ってきた。


『ウッズウルフの群れに遭ったんじゃろう? やつらは一度狙いをつけた獲物の匂いをけして忘れんという。どこまでもしつこく追いまわしてくるというウワサじゃ』


 外の物置はかえって危険になる。せめて火元のある小屋のなかにいなさい。

 と、おじいさんは渋い顔を見せた。ついでに『小屋がいい』とずうずうしく妖精がごねるものだから、俺はおじいさんのお言葉に甘えることにしたのだった。


「明日こそ、薪木を……」

「なあに、アタシに言ったの?」


 しんと静まりかえった室内に、妖精の声が響く。俺はまぶたを半分だけ開いて、声のした方向へ視線を送った。


 横たわる俺の足元に当たる壁に、小さな木戸がある。戸は少しばかり開いていて、そこから青白い月明かりが差し込んでいた。

 その月明かりのなかに、うっすら別の色がにじんでいるのが目に入る――そう、妖精のライム色の光だ。


 たしかテーブルの上で、布にくるまって眠っていたはずだ。妖精はいつの間にか起き上がっていて、ちょこんとテーブルの端に足を垂らして座っていた。

 妖精はじっと、こちらを見下ろしていた。足をぷらぷらと動かして、なにやら返事待ちをしている様子の彼女に、俺は適当に「ああ」と応えてみた。


「今日、俺が切り倒した木……あそこにたどり着くまでの目印を、ばっちりつけてあるんだよ。だから日さえ昇れば、またあの木の場所まで戻るのはそう難しいことじゃない」


 今度こそ、無事に森のなかを行き来できるはずだ。と、俺はゆるく意気込んでみせた。


「さすがに、あのおじいさんには世話になりっぱなしだからな。なーんの義理も返せないっていうのも……なんか、冒険者以前に、人として申し訳が立たないしさ」

「…………」


 妖精はじっとり半目を向けてくる。いまになって思い出したことだが、俺が切り倒したあの木は、この妖精にとって非常に大切な思い出の木とか言ってたっけ……。

 なにか言い訳する言葉をつけ足そうと、俺は慌てて頭を働かせる。すると、妖精のほうから先に口が開いた。


「アタシも一緒に行くわ。あそこまで戻ることができれば、帰り道はわかるしね」


 帰り道?

 妖精のなにげない一言に、俺はふと気にかかってたずねた。


「帰り道っていうと……なんだ? あの切り倒した木の周辺にはなにかあるのか?」


 興味本位で質問してみたのだが、妖精はぷいっと顔をそらして「さぁねー」とはぐらかした。


「人間には関係ないことよ」


 冷たくあしらわれ、さすがの俺もむっとして寝床から半身を起こす。

 そして、妖精に言ってやった。


「『人間』じゃなくって、ノシュアだ」


 さすらいの冒険者ノシュア。

 と自称の肩書も引っくるめて、俺は改めて妖精に名乗った。


「で、おまえの名前はなんていうの?」

「…………」


 俺の質問に妖精は、んべと舌を出す。

 彼女は背中の透明な羽をはためかせると、ふわり、テーブルの端から飛んでいってしまった。


(すっぱり、無視されちまった……)


 ふぅと肩を落とす。けれど、そう暗い気持ちにはもうならない。

 ひるがえった小生意気な背中を、俺はただ目で追っていった。


 ――人間が嫌い。


 異種族に向ける警戒や、嫌悪といった感情はわからなくもない。 今日遭遇した魔モノしかり、多くの生物が人間という圧倒的な数を誇る種によって淘汰とうたされてきたという話は、昔聞いたことがある。


 この妖精がどんな事情を抱えているかはわからない。ずっと森に住んでいるのか、どんな生活をしているのか、ほかに仲間がいるのか……なんにせよ、距離を置き、あまり刺激しないほうがいいだろう。


(じゃないと、また光の球でぶっ飛ばされそうだし……)


 ふわふわ小屋のなかを飛ぶ妖精を眺めながら、俺はそっと肩をすくめるのだった。


 月明かりにライム色の光の輪郭を馴染ませて、妖精は気まぐれに宙を漂う。

 きれいな光だ……と思う。まぁ小憎らしい毒気にさえ目をつむれば、それなりには


「さて、俺は眠るとしますか」


 俺は再び、ベンチに後頭部をつけた。ずれた肌掛けを肩まで引き上げる。

 それからまぶたを閉じて、静かに息を吐いた。


 明日のひと仕事に備えて英気えいきやしなおう。体の力を抜いて、眠りにつこうと――。


「……あのう」


 秒も経たぬうちに、俺はがばりと起き上がった。

 今度は上半身をきっちり垂直に起こして、ふわふわ飛んでいる妖精に向けて文句を言う。


「いいかげん、眠りたいんだけど。……そのピカピカ光るの、やめてくれないか?」

「んー?」


 少し離れたところから、妖精がちらっと俺のほうへ顔を振り向かせる。しかし妖精は「気にしないでー」悪気もなく語尾を伸ばし、手を左右にひらひら振ってくる。


「いや、気にするなって言われても……。俺さ、もともと夜は真っ暗じゃないと眠れない性分たちなんだ。だから、そうやってまぶしく光られると、どうしても気になって――」


「あら、アタシと逆なのね。アタシは明るくないと、すやすや寝れないの」

「……知っている。さっきもそう言って、窓の戸を開けろって、うるさかったじゃないか」


 忌々しく、俺は木戸を指さす。今夜は月が大きく膨らんでいるせいか、差し込む光も非常に明るく、真昼のようにくっきりと影の形が落ちた。


「窓を開ける件はゆずってやるよ。でも明日は、朝早くから森へ出かけるつもりだからな。おまえもついてくるなら、早く眠りなって」

「イ・ヤ」

 

 もうちょっとだけ、と妖精は子どもじみたことを言った。先程から室内をうろうろしている彼女は、まわりの家具や雑貨に興味があるのか、自由気ままに物色しはじめた。

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