出会いは突然に Ⅱ

 ――バキバキッ。


 一本の背の高い樹木が倒れた。

 まわりの木々を押し分けながら倒れていく迫力に、俺こと、さすらいの冒険者ノシュアは額の汗をぬぐう。


「やっぱり、素人が下手に手を出すものじゃないな……」


 斧を地面に突き刺して、俺は両手をパタパタと振った。手がひどく痛い。木こりのおじいさんは顔色一つ変えずに木を切っていたというのに……。

 熟練者との力量の差を思い知り、俺は嘆息をこぼす。木の一本を切り倒すのにかかった時間も考えると、意気揚々と森の奥へ入った自分が急に恥ずかしくなった。


 とはいえ……倒した木のきれいな切り口の色を見て、俺はよしとうなずく。見立てどおり、青灰色に変色していない良質な木であったようだ。


「おおっ、これなら立派な薪ができるな。森の奥まで進んできたかいがあったってもんだ」


 はじめて自分の力で木を切り倒した経験も含めて、手にした達成感に俺はひとり満面の笑みを浮かべるのであった。

 さっそく俺はおじいさんに教わった手順のとおりに、倒した木を解体する作業を進めることにした。再び斧を握りしめて、まずは木の枝から切り落としていく。


「しっかし、さすがにちょっと大物を狙いすぎたかも」


 俺は横に倒れた木の全長を眺めて、つぶやいた。

 おじいさんに木の選び方を聞けばよかった。森の奥を進んでいくなかで、なんとなしに目に入った一番背丈の高い木を選んだのだが……欲を出しすぎたかもしれない。


「これをまるっと一本、小屋に運ぶのは難しいな……。しかたがない、今日のところは枝木だけでも小屋に持っていくか」

 

 なに、ちゃんと目印をつけてきたから大丈夫。明日、この場所へ木こりのおじいさんを案内してやろう。

 と、上機嫌にひとり言を口にしながら、持ち運べるだけの量の枝木を借りた背負子しょいこに積んでいった。


 作業の途中で、俺は空を見上げる。空の青みはすっかり失せていた。じきに朱色に染まって、夕闇が覆いはじめるのもそう遠くないことだろう。

 日没を計算しつつ、木のてっぺん近くまで作業を進めていく。身をかがめながらの仕事はなかなかに腰にくる。そして、切り落とした枝葉の一房ひとふさを持ち上げた――瞬間だった。


「コラァッ!」


 ビュインッ! 枝葉の影から、なにかが飛びだした。


「!」


 ――淡いライム色の光。

 俺はとっさに身をのけぞらす。だが、それよりも早く、鼻頭に衝撃が走った。


「いたっ!」


 なにかが鼻をかすめた。痛む鼻を手で押さえながら、俺は後方へとよろめく。


(……なんだ、なにが起きた?)


 目をまたたかせる俺の真正面に、ソレは浮かんでいた。

 淡いライム色の光に、視界が満たされる。

 そのまばゆい光のなかに、なにか影のようなものが見えた。俺は目をすっと細めて、その影なるものの輪郭をたどる。


(……人だ、人の形をしている)


 光のなかに、小さな人の姿が浮かんでいた。だんだんと光のまばゆさに目が慣れてきて、細かい顔立ちまでよく見えるようになると……その人物は、幼い少女のような姿をしたいた。

 少女はこれまた小さな手に小枝を握りしめ、怒りをあらわにした顔で俺のことをにらんでいた。


「……ようせい」


 ぽつり、俺の口からその言葉がこぼれ落ちる。

 それはいつか読んだ書物に描かれていた幻想の生きものの名である。遠い日の記憶の一ページ――憧れた美しい挿絵と、いま目の前にいる小さな少女の姿が重なり合った。


(間違いない、妖精だ。小さな体を緑色の光で包み、四枚の蝶に似た美しい羽をはためかせる――)


「…………」

「…………」


 人間と妖精。

 しばし、お互い無言で見つめ合った。

 俺も十分に驚いているが、相手のほうもいつの間にか怒りの潜めて、そのまん丸い瞳を目いっぱいに見張らせている。


「――いや」


 どのくらい時間が経ったろうか。最初に沈黙をやぶったのは、俺のほうである。

 眉を寄せ、小首を傾げ、そして喉からうなり声を上げる。斧を持っていないほうの手であごを押さえ、少しうつむき考え込んでから――また、ちらっと妖精に視線を向けた。


「なんか、こう……思っていたのとちがう」


 だいぶ、ちんちくりんだな。

 と、言い終わるやいなや、妖精は「ふんぬ!」と謎のかけ声とともに、手にしていた小枝で俺の眉間を強く叩いた。


「あいたっ!」


 ちびっこいからと、あなどるなかれ。

 容赦ようしゃのない痛打に、俺はすかさず身構えた。


「い、いきなり、なにをするんだよ!」

「言うに事欠いて、第一声がそれなの!」


 握った小枝をブンブン振りまわして、妖精は激怒した。かわいらしい見た目とは裏腹に、ずいぶんと強気な性格のようだ。

 妖精は両手を腰に当てると、えらそうに肩をいからせて言った。


「それだったら、アタシだって! 人間ってのが、こーんな間の抜けた顔をしたやつだとは思ってなかったわよ」


 なんか頭は白いし、肌はこんがりだし。

 と、深緑色の小さな瞳を上下させて、妖精は俺のことをじろじろ見てきた。


「見た目は生まれつきだ。元より、この辺の土地の人間じゃあないからな、俺は」

「あと、ウワサに聞いていたよりも大きくない」

「せ、背丈はべつにいいだろう。俺まだ十六歳だし、これからもっと伸びる予定なんだよ」


 こちらが声を荒げて言い返すと、んべっと妖精は舌を出して挑発してくる。

 その妖精がふいに、くるりと身をひるがえした。そのままどこか森のなかへ飛んでいってしまうのかと思ったが、彼女はその場を動かずなにやら頭を下に向けていた。

 見れば、肩をわなわなと震わせている。


「ウソでしょ……アタシの思い出の木がぁ……!」


 ヘナヘナと飛んでいる高度を下げて、妖精は地面に倒れた木の上にぺたんと座った。さっきまで強気だったのに、急にしょんぼりとへこんでいるようである。


(あれ? もしかして、この木……切ったらまずかったとか?)


 倒れた木を健気になでる後ろ姿に、俺は気まずさを覚えた。そそくさと、手に握っていた斧を背中に隠す。

 振り返った妖精が、キッと俺をにらみつけた。目尻に水滴を光らせ、小さいながらも気迫のある眼差しに刺された俺は……指で頬をかきながら「ごめん」と素直に謝ることにした。


「君の大切な木だったとは知らなかったんだ。勝手に切り倒して……その、本当に悪かったよ」

「イヤ、もう絶対に許さないっ……!」


 時を戻す力があれば、と何度となく思ったことか。しかし、いつだって現実は無情で、切り倒した木は無言で横たわったままである。

 ぐずりと涙声の妖精に、なんとかこう――前向きな言葉をかけられないものかと必死に俺は頭を働かせた。


「えっと……本当に悪かったって。これからたくさん反省するし……でも、切ってしまったものは元に戻らないから……」

「…………」

「そ、その代わりになるかどうか、わからないけど――はは……」


 前向きに、前向きに、前向きに……。

 上ずる声を無理やり喉から押し出す。俺はぎこちない笑顔をつくって、できうるかぎりの最高の案を妖精に提示した。


「責任持ってさ、この木を……立派な薪木にしてやるから!」


 無駄なく資源を利用することこそが、せめてもの償いだ。

 グッっと親指を突き出した手を見せて、俺はにっこり笑った。


「質のいい木だし、きっと高く売れると思うぜ?」

「言いたいことはそれだけ?」

「……ごめん、正直自分でも苦しい言い訳だと思――」


 言いかけたところで――やっぱり、妖精に小枝を投げつけられる俺であった。

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