Chapter 2

出会いは突然に Ⅰ

 妖精が里の外に出ることは、めったにない。

 あるとすれば、警備当番の時の見まわりくらいだろうか。


 理由はおもに二つある。

 一つは、毎日の生活に必要な食料や素材といったものが、すべて里の内部でまかなえてしまうから。

 呪われているとはいえ、大樹のふもとでは農作物がすくすく育つ。畑が不作になることはほとんどないし、仮にトラブルが起きたとしても備蓄に頼れば十分事足りるのだ。


 もう一つは、外敵の存在åだ。

 里の外に広がっている深い森林は、野鳥をはじめ、様々な動物が多数暮らしている。ほとんどが害のない草食ばかりなのだが、一方で獰猛な魔モノも生息していた。


 その代表格が、ウッズウルフ。森に棲む危険な狼だ。

 体格は鹿よりもやや小さめなのだが、あなどることなかれ。非常に好戦的な性格で、ご自慢の鋭い牙と爪で狩りを楽しむ怖い魔モノだ。


 過去、里の外を見まわりしていた妖精数人が、気づかぬ間に背後に忍び寄られて、大ケガを負う事件もあった。

 これが一匹だけならば、まだなんとか妖精たちも応戦することができた。しかし、この魔モノの恐ろしいところは、グループで狩りをするところだ。複数匹の賢いコンビネーションで襲われたら、たとえ小さな妖精でなくてもひとたまりもないだろう。


 特に、秋口は冬に向けて食料を蓄えなければならないので、森のなかでの活動範囲がぐっと広がるとか。

 いまの時期は要注意である。



 * * *


 

 アタシはいま、妖精の里の外にいる。

 木々が鬱蒼うっそうと生える森のなか、里の入口からそう遠くない場所に一本のひときわ背丈の高い木が立っていた。その木の上から、アタシは森全体を見下ろしている最中だ。


「まったく。あいつったら、どこに行ったのかしら?」


 てっぺんに近い枝に腰かけ、アタシは一生懸命に目をこらして、妖精カールを探していた。

 むやみに森のなかを飛びまわって探すことは利口じゃない。こうやって高いところから森を見渡して、どこかでライム色の光が見えないか探したほうがずっと効率的なのである。


(だけど、さすがにちょっと森の範囲が広すぎるようね……)


 だだっぴろい木々の景色にうんざりしつつも、アタシはとにかくがんばってカールの姿を探した。時折、上空の強い風にさらされて吹き飛ばされそうになっても、踏んばって、しがみついて……手のかかる子分を見つけようと躍起やっきになった。


 けれど、結局カールを見つけることは叶わなかった。


「もうムリ……。ダメ、ぜんぜん見つからないじゃないの」


 ねばり強さには自信があったけれど、さすがのアタシもお手上げ状態であった。たった一人で、広大な森を相手に小さな妖精を見つけるのは無茶だったと気づかされる。


 疲労から、うめき声とともにため息を吐いた。

 ふと、目を上に向ければ、空はすっかり色あせている。太陽は大きく西へ傾き、あとちょっと時間が経てば夕暮れ時になってしまうだろう。


(日が暮れる前に……カールのやつ、里に帰っていればいいんだけれど)


 あきらめて里に戻ろうかな、と考えがよぎった。けれど万が一のことを思うと、アタシは枝の上から動くことができなかった。


「……はぁ」


 もう一度、アタシは重い息をつく。まわりに誰もいない木の上ということもあって、いつもの強気な表情を消した。

 しゅん。と、仲間の妖精たちにはけして見せられないような弱々しい顔で、アタシは自身の肩を寄せる。


『妖精の里は滅びます』


 呪いを受ける大樹とつながっているせいで、同様に弱ってしまった女王様の儚げなほほ笑みが頭から離れない。くわえて、女王様のあの言葉を思い出すたびに、深緑色の瞳の奥が熱く震えた。


(ダメよ、あきらめちゃ)


 目元を強くこすって、自分に言い聞かせた。

 再び、吹き荒む秋風が小さな体を傾けさせる。くしゃくしゃに乱れたショートヘアを何度も手で整えるはめになった。見れば、眼下に広がる森の枝葉も風にあおられざわついてる。


 前に見まわりに来た時にくらべて、森全体に活気がない。大樹のある妖精の里近辺の木々はまだましだが、遠方に見える緑は心なしかつやが失せている。


「……これから、どうなっちゃうんだろう」


 答えの出ない問いをつぶやく。

 どこまでも広がる大空は、小さな妖精の悩みになど親身になってはくれない。やがて、心身ともに疲れたアタシは、一本木の幹に体を預けた。


(そういえば、この木。ずいぶんと大きくなったわね)


 幹にもたれながら、アタシはふと思った。おもむろに、腰かけている枝を手で優しくさすってみる。


 ――かなり昔のことだ。

 あれは、はじめて里の外の見まわりをまかされた時。アタシは外で珍しい木の実を見つけたとはしゃいだ。

 その木の実を里近くの地面に植えて、しばらく間ずっと成長を観察していた。人目を忍んで、こっそり何度も何度も見にきたものだ。


 結局、苗木まで成長してみると、さして珍しくもない木だとわかってひどくがっかりしたことが、いまでも記憶に残っている。


(でも、それ以降もなんとなく気になっちゃって……見まわりの当番がくるたびに、アタシってばこの木の様子を見ていたのよね)


 懐かしい思い出に、ほんのり口元をゆるめた。

 やがて木は、周囲の木々よりもずんずん高く伸びていき、こうして見晴台みはらしだいにもってこいの立派な一本木にまで成長したのである。


「……あんたも、いつかは弱っちゃうのかな?」


 静かに問いかけて、幹に耳を当ててみた。


 ――ドスッ、ドスッ。


 心なしか、木の鼓動が聞こえてくるような気がする。

 音の心地よさに、アタシはゆっくりまぶたを閉じた。目尻ににじんた雫がぽたり、枝の上に落ちた。

 ……と、その時だった。


 ズンッ!


「あだッ!」


 ふいに、体が大きく揺れ、寄りかかっていた木の幹に頭をぶつけてしまった。

 あたた、とぶつけたところを手で押さえながら、アタシは慌てて周囲を見まわす。地震か? いったい、なにが起きたというのか。



「な、なに……なんなの!」


 今度は目の前の景色に、はっと息をのんだ。平行に広がっていた空と森の景色が――なんと、大きく斜めに傾きはじめたではないか。


「ウソでしょ! て、天変地異てんぺんちい……?」


 とっさに、アタシは木の幹にしがみつく。

 すると今度は、羽もはためかせていないのに、体が浮いているような感触に包まれた。必死に幹を抱きしめるアタシは、この奇妙な感覚に眉を寄せる。


「ちがう!」


 ここで、ようやく気づいた。


「傾いているのは空と森じゃない――この木のほうだわ!」


 気づいた時にはもう遅い。

 アタシの思い出の一本木は、大地へと倒れた。


 遅れてドシーンととどろいた盛大な音が、小さな耳のなかにいつまでも木霊こだました。

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