食卓を囲んで

紫野一歩

食卓を囲んで

「うわ、本当に来た」

 コウタから家に来いと呼ばれたので行ってみると、第一声でそんな言葉を浴びせられた。奥の部屋ではジュージューと何かが焼ける音がしていて、香ばしいお肉の匂いも漂って来る。コウタはエプロン姿で奥の部屋からこちらを覗いていて、少し驚いているようだった。

 自分が呼んだクセによくもそんな顔が出来るものだ。

 コウタはいつもそうだ。真顔で適当な事を言うものだから、それが本当なのか嘘なのかどうにも判断が難しい。判断が難しいというか私には判別不可能で、いつもコウタの言う通りにしてから「冗談だったのに」と、これまた真顔で言われるのだ。

 コーラにライムを入れた物がペプシで、実はどちらも同じものだと教えられた事を友達に話して恥を掻くくらいならまだよい。

 釣り堀デート(これもデートとしてどうなの?)の時に餌をパンに変えた方が魚がよく釣れると聞いて、二時間もの間食パン釣り糸を垂らしていた時の徒労感と言ったら倒れそうになった。

『もう少し早く気づくと思った』

 と、涼しい顔で魚を釣りまくるコウタはしっかりイソメを使っていて、その時は流石にビンタを放つしかなかった。五回した。

 私も私だ。パンが入れるそばから溶けていくのを何度か見た時点で気付くべきだったのだ。それなのにあの時の私は(パンが広がると魚が寄って来るのかな。寄って来た魚は針をそのまま食べるのかな)などと呑気に合点しており、寂しく漂う釣り針を眺めていたのである。魚が金属をそのまま食べるわけなかろうが。

「なによ。来ちゃダメだったの?」

 少しご機嫌が傾き始めたままコウタを睨むと、コウタはゆっくり首を振った。

「ダメなわけないじゃん」

「本当に来たとか言ってたクセに!」

「いや、いつも呼んでも来ないじゃん」

「え……そんなに私呼ばれてなくない? いつも私が呼ぶか勝手にコウタのとこ行くかだったと思うけど」

「いや、毎日念じてるから。心の中で」

「わかるか馬鹿!」

 本当に人をおちょくるのだけは上手いのだから始末が悪い。

 私は怒りに任せてずんずんとリビングの座布団に座ると、コップとお皿が二つ用意してあった。

 何よ、何よ。来るとは思わなかったとか言っているクセに、しっかりと準備しているじゃない。コウタは言葉に行動が伴わない年中嘘つき系真顔男子だけれど、こういうところはちょっぴり好きだ。ツンデレというやつだろうか。

「今日は何?」

「ハンバーグかなぁ。安売りの合い挽きだけど」

 ハンバーグ! これまた私の好きな食べ物だ。私の事大好きだなコウタは。仕方が無い奴だ。

 コウタは人をおちょくるのだけは上手いと言ったけれど、もう一つ忘れていた。料理が何故か上手いのだ。

 そういえば思い出した。

 この真顔人間、褒められるのに弱いのだ。

 いつもはおおよそ碌な事をしないのでビンタをかますかチョップを落とすか、私のありったけの語彙を込めて罵るかしかしないからなかなかわからないのだけれど。

 料理が美味しいと言うと、ちょっと語尾が弾むのを私は知っている。そして耳が赤くなるのも知っている。

 そんなご機嫌なところにどうして美味しいの? と問うた事があった。

『シオリの為に作ってるからかな』

『うひぃ』

 普段歯の浮く台詞なんて吐かないで、出まかせばかり言っているものだから、あの時はそんな事を言われると思わなくて、変な声が出てしまった。

 コウタはそんな私を見て『今の無し』とすぐに真顔に戻ってしまったが、耳が燃えるように赤かったのを覚えている。何だかそれが妙に可愛らしくて背中をつつきながらからかっていたら、その日は怒って口を利いてもらえなかったのもついでに覚えている。

 今思うと我ながら大人気なかったかもしれない。

 あれはいつの事だったか。あの時以来、コウタからそんなキザな台詞は出てこない。

 それが何となく残念だ。らしくなくって鳥肌ものなんだけれど、やっぱり言われると嬉しい。あの時言われた台詞も、何だか言葉に温度があって、それがカイロみたいに何日もぽかぽか私の胸に居座るものだから、私はその後も何日かご機嫌のままだった。

 ジュワっと油が飛ぶ音と、着地する音が聞こえた。

 ハンバーグがひっくり返されたらしい。

「ねぇ?」

「ん~?」

「何でコウタの料理は美味しいの?」

「いや、まだ出来てないけど」

「もう! そういうことじゃないでしょ!?」

「え~……意味わかんねぇ……」

 コウタが持ってきたハンバーグにはデミグラスソースが掛かっていて、付け合わせに甘い人参も添えてあった。

 ご飯とサラダ、コンソメスープまであって至れりつくせりだ。こんなの久しぶり。

 どれもこれも美味しくて、終いには飾りつけのパセリまで美味しく感じて残さず食べてしまった。

「美味しかった?」

 チャンス、いや、むしろ誘われているのだろうか。なんだかんだコウタも自分の料理を美味しいと言ってもらいたいらしい。さっきすっとぼけたのも照れ隠しだろうか。

 美味しかった! と頷くと、そうか、と一言残して、台所へと言ってしまった。

 あれ?

 声が沈んでる? 何故?

「本当に美味しかったよ?」

「うん」

 台所にいるコウタの顔は暗くてよく見えない。

 また耳を赤くして喜ぶと思ったのに、何とも予想外の反応に少しドキドキした。何か気に入らなかったのだろうか。コウタに気を遣っているわけではないけれど、思ってたのと違う反応の原因がわからないのは気持ち悪い。

「……コウタ?」

 返事は無い。

 何度か呼んでみたけれど、あー、とかうー、とか気の無い唸り声ばかりが返ってくるので途中から諦めてテレビを眺めていた。

 そうしているうちに手に汗握る展開にどんどん惹き込まれ、そして遂にクライマックスとな

「ブーーーー!」

 勢いよくコウタが鼻をかむ音が部屋に響き渡った。

「台無し!」

 何故ここで! 今!

 一秒だけ前後どちらかにずれていればそれでよかったのに、肝心な台詞だけが汚いコウタの鼻水に掻き消された。

「何すんのよ! めっちゃいいところだったのに!」

「仕方ないよなぁ……生理現象だしなぁ……」

「他人事!」

 録画していないのにどうしてくれるつもりだろうか。

 どれだけこの主人公がここまで頑張っていたのかと熱弁しようとしたところで、鼻先にずいと何かを突きつけられた。

 ふわりと甘い香りが鼻をくすぐり、頬が一人でに緩む。

 ケーキだ……!

「え、すごい……」

「手作り」

「手作り!? どうして! どうして!?」

 コウタは遂にお菓子作りにも手を出してしまったのか。もはやコックさんではないか。何だか驚き過ぎて、ちょっぴり涙が出てきてしまう。嬉し泣きともちょっと違う、本気でびっくりした脳みそがちょっと爆発しそうになるのを止めた拍子にピョッと出てしまったみたいな感じ。

 小さく手を叩きながらケーキを見ると、『お誕生日おめでとう 詩織』と書いてあった。

「……私の?」

 誕生日? 今日が?

 頭が不意に温かくなる。

 コウタが私の頭を撫でている。

 ゆっくり、ゆっくり、繰り返し。

 コウタは笑っていた。

 不意に見せるコウタの笑顔は、人を安心させる力があると思う。

「誕生日おめでとう」

 言われて、少し混乱する。

 今日が私の誕生日なんて、知らなかった。というよりも、もっと先ではないかと思う。だって、ついこの間、私の誕生日は来たばかりのはずなのだ。

 今日は別に特別な日ではない。ただ呼ばれて来ただけの、何の変哲もない、普通の――。

「来てくれて、ありがとな」

 不意に、抱きしめられた。

 不器用というか、私を抱き枕か何かと勘違いしてるというか、本当に、コウタの思うままに、ただギュッと。

 苦しくて、落ち着く。

 コウタの体温を感じて、凄く久しぶりだなぁ、と思った。

 そういえば、ハンバーグを食べた時も、久しぶりだと思っていた。

 毎日会っていたはずなのに何故?

 その理由はこうしてコウタの腕の中にいるうちに、段々とわかって来ていた。

 思い出したという方が正しいだろう。

 コウタの背中越しに見える棚に、私たち二人が手を繋いで笑っている写真が置いてあった。

 そして、その手前には、小さな花が生けてあった。

 コウタの身体が震えている。

 いつもの無表情はどうしたのだ。

「呼ばれたから、来たんだよ」

 私が小さく呟くと、コウタは頷いた。

 熱い吐息が、首に掛かる。

 ポタポタと、肩に落ちる、いくつものしずく。

「ケーキ、食べていい?」

「ああ」

 抱きしめられたまま、手を伸ばしてフォークを掴む。

 食べにくいったらありゃしない。

 でも、ここから動きたくないのだから仕方が無い。

 口に入れたケーキは、甘く、柔らかく、ふわふわと。

 天にも昇る美味しさだった。

「美味しいよ。本当、すごく美味しい」

「……そうだろ」

「どうしてこんなに美味しいの?」

 私が尋ねると、コウタは少し固まった後、少し笑った。

「シオリの為に作ってるからな」

 嗚呼、この目の前の、赤い耳を、いつまでも見ていたかったな。

 口の中の甘さが、優しく溶けた。



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