第8話 福田楓

 自宅謹慎を言い渡されてから1週間ほどが経った。僕はもう会社に戻れないかもしれないと思い、四十五歳にして初の転職活動をしていた。

 これがなかなか難しく、キャリア形成のために四十代の入社は受け付けていないことが大半だった。それに加えて、僕の動画はかなり出回っているようで、個人情報も特定されていたから、門前払いばかりだ。


 冤罪とはこんなにも人生を蝕むものだったのか。僕は少し甘く見ていたのかもしれない。今の企業は新卒採用の際にSNSをリサーチするし、ただの一般企業でさえSNSを中心に広報を行う。ネットの拡散力や、袋たたきにする力はよくわかっていたはずなのに。なぜか自分や身近な人はそうではないと思い込んでしまっていた。

「これはなかなか難航しそうだな」


 SNSの力の及ばないコミュニティを探すのは今や至難の業だろう。そして、おじさん世代にまで浸透しているネットの世界が学生に使いこなせていないわけがない。

 僕ははっとして、今まで見ていなかった自分の拡散動画についてSNSで検索してみた。蒼は変わらずふるまっているが、同じ学校の生徒が被害者となるとやはり何か言われているのではないだろうか。……蒼が誹謗中傷を受けていたらどうしよう。なぜ今までこんなことに気付かなかったのだろう。もし、そのうえですべてを飲み込んで僕に何も言わなかったのなら、蒼には一生頭が上がらない。


『ミズホが痴漢に遭ったらしい』

『SNSで有名だからって調子乗ってるからだよ』

『犯人のこども同じ高校らしいよ』

『福田蒼だって、どんな子?2年?』

『えーなんか可もなく不可もなく?ブナンな子(笑)盗撮しちゃったー!』

『拡散希望!2-B福田蒼、犯罪者の娘!』

『あおいチャンも痴漢されてるんじゃないwww』

 そこには、配慮のない言葉と被害者の写真、そして蒼の写真があった。その場の空気にかまけて、きっと1秒も彼女たちのことを考えることもなく、16歳の少女の人生を壊していく。顔も見えない、名前もわからない安全圏から何の罪もない女の子を言葉で殺す。こんなことが、あっていいんだろうか。


 僕がすべて変わってあげたい。僕は石を投げられようと、ナイフを刺されようとどうってことはない。

 しかし、彼女たちは違う。好機の目にさらされて、名前や顔や高校名まで全国の人が見れる状態にある。被害者が、全く関係のない人が、こんな目に遭っていいものか。いいわけがないだろう。


 十代の心はまだまだ柔い。少しの刺激でその形は変わってしまい、土台すら崩れてしまうかもしれない。自分の中で不変の価値観を持つには若すぎる。

 人間性が出来上がる前に、誰も守ってもらえないと社会に絶望しなくてはいけないのか。


 僕は無力で、ただのおじさんで、ただの父親だから、世界を変えることはできない。でも、父親だから、娘の人生や人間性を、心を守らなくてはいけない。

 引っ越しでも転校でも休学でも退学でも、なんでもいい。どちらかのおばあちゃんの家に行ってもいい。これが僕のエゴだとしても、彼女をこんな醜悪な環境から一刻も早く離したい。


 蒼はこんな言葉を目にしながら、一週間変わらずに笑って食卓を囲んでくれていた。やってないよね、と確認してくれた。気づけなかった。どうして気づけなかったんだ!

 なによりも守りたい家族に嫌な思いをさせてしまったのは僕だ。今すぐに帰って、衣織さんに相談しよう。


「ただいま!衣織さん、蒼は帰ってきてるか⁉」

「楓さん、おかえりなさい。そこに座りなさい」

 そこには、衣織の母がいた。衣織は珍しく泣きそうな顔でこちらを見る。衣織さんはお義母さんと折り合いが悪く、ほとんど付き合いはなかった。お義母さんはまじめで、衣織さん曰く「古く固い」人だ。

 お義母さんは白髪を綺麗にセットし、高級そうなアクセサリーをつけていた。上品なベロアの洋服にむせ返るほどの化粧品のにおいをまとっている。

 きちんとしているだけのはずなのに威圧感が否めない。ツン、とした空気につい背筋を伸ばしてしまう。


「楓さん、どうなっているんですか」

「お義母さん、お言葉ですが僕は冤罪です」

「冤罪を誰が証明できるんです。男の人は若い女が好きだし、まじめな人ほど性犯罪を犯すものですね。娘と孫は私の家に住みます。あなたは離婚して、親権も破棄なさいな」

「お母さん!何度言ったらわかるの!楓さんはやっていないし、私は楓さんと別れない!蒼だってそんなの望まないわ!」


 僕は淡々と告げられた言葉に反応できない。衣織さんが声を荒げているところなんて結婚してから一度も見たことがない。


「蒼は学校で嫌な思いをしていると思うんです。2人には引っ越しや転校をしないかと相談しようとしていました。彼女たちが望むのであれば、お義母さんの家でお世話になってもいいと思いました。しかし、僕は離婚はしません。蒼の父親も絶対に辞めたくはありません」


「転校なんてさせませんよ。逃げるだなんて恥です。そしてあなたの意志は関係ありません。自分の娘と孫を犯罪者のもとに置いておく人がいますか」

「お母さんいい加減にしてよ!なんで話を聞いてくれないの!」

「とにかく、今お父さんが蒼を学校に迎えに行っていますから。衣織もこのまま家に帰ってきなさい」

「なんでそんな勝手なことするのよ!私や蒼の意志はどうなるの!蒼がいないところで彼女のことを決めるなんて最低だわ!」


「お義母さんは地震や津波が来ても避難しないのですか?」

「何を言っているんですか、急に。するに決まっています」

「それは逃げですか?蒼に降りかかっている現状は天災と何ら変わりないんです。避難することの何が悪いんでしょうか。何が恥ずかしいんですか」

 僕は思わず言い返してしまった。


「あなたが引き起こしたことなのに何を言っているのかしら。とにかく衣織と蒼は連れて行きます」

「お母さん、待ってよ……!」


「衣織さん、大丈夫だよ。冷静になったらまた話し合おう。すぐご実家に伺うから、今日は大人しくしておこう。蒼ももう車に乗ってしまっているかもしれないし」

「……楓さん、不躾な母ですみません。すぐに戻ってくるわ。蒼がどうしたいか話してみる。蒼のことは私たちで守りましょう。あと、何を言われても私は楓さんを信じてる。忘れないで」


 身に余る言葉を残して、衣織さんはお義母さんに連れられて行ってしまった。

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